第4話 皇帝の影

 竜帝国第十三代皇帝の名をりゅう星命せいめいという。十年前におこった帝位争奪戦争である八王の乱を征し、皇帝に即位した人物である。即位後は北方騎馬民族の侵入を何度も防ぎ、内政においては公明正大な政治を行い、いくつもの改革を行った。

 それが、明鈴の知る皇帝のすべてであった。後宮の女官としてつかえていた彼女であったが、その姿をはっきりと見たことはない。それは明鈴の身分が低すぎたためである。


 竜帝国の頂点にたつ皇帝ならば、あらゆる美女を思いのままにできるはずなのに三千人はいた後宮ハーレムの女性たちをあるものは功績のあった部下に嫁がせ、希望するものは好きなものに嫁がせ、その数を百人までに減らしたという。後宮を維持するための予算を減らし、国庫に少しでもゆとりを持たせるためだと烏次元は明鈴に説明した。


 その百人の美女たちにも皇帝は手をつけない。もちろんだが、皇帝には世継ぎはいない。世継ぎを作ることも皇帝の大事な仕事である。だが、皇帝はどの美女も相手にしないという。皇帝の側近くにつかえる烏次元でもその理由は知らないという。


 明鈴は皇帝の人となりについて、烏次元に尋ねてみた。

「私などには想像も思いもつかない、それは深い考えをお持ちのかただ。とてつもなく優しく、誰にも怒ったことがない。真の名君であらせられる」

 それはもしかするとひいき目かもしれないが、皇帝りゅう星命せいめいが名君であるのは下級女官であった明鈴ですら知るところであった。


「百聞は一見に如かずといいます。この手巾ハンカチからどこまで読みとれるかわかりませんが、みてみましょう」

 明鈴は手巾を両手で挟むように持ち、うっすらと眼を閉じ、精神を集中させる。

 次の瞬間、明鈴は烏次元の屋敷にいなかった。



 ここはどこだろうか?

 つい最前まで、皆と昼食を食べていた広間にいたというのに、今はまったく違う場所にいる。


 耳が痛い。

 それは人の声だった。

 無数とも思える人が周囲にいる。

 明鈴の視界に入ったの人の群れであり、その全員が忙しそうにどこかに歩いていく。

 視界にはいるのはどんなに見上げても頂点の見えないこれもまた無数の建物である。その建物はすべて日の光を反射して、光輝いている。まぶしいほどにだ。

 馬もいないのに鉄の馬車が独りでにはしっている。突然、建物の光る壁に人があらわれ、きいたこともない言葉で話し、消えていく。


 明鈴は言い様のない恐怖に襲われた。

 ここはいったいどこなんだ。

 もしかすると仙界とか魔界とか呼ばれるとこなのだろうか。

 せっかく烏次元に牢屋から出してもらったのに自分は奇妙な世界に迷い込んでしまった。

 もう、どうでもいい。早くここから立ち去りたい。明鈴は心からそう思った。


 そう思った次の瞬間、世界が変化した。今度はほとんどが闇の世界であった。

 その闇の中に人がいた。

 どうやら、男性である。

 もじゃもじゃの髪をした、無精ひげの男は視線を反らすことなく小さな箱を見ている。

 その箱を見ながら、気味悪く笑っている。

 明鈴は恐る恐る近づき、その箱の中を見る。

 そこには小さな小さな女の子が綺麗な衣装を着て、歌い、踊っていた。

 明鈴の存在に気づいた男は首だけまわして、彼女を見る。

 ニヤリと笑い、またあの意味のわからない言葉を言う。

 そこで明鈴の視界は真っ暗になった。



 次に眼を開けたときに視界に入ったのは心配そうにのぞきこむ小梅シャオメイ麻伊まいの顔であった。

 明鈴は自分が布団に寝かされているのだということを認識した。ほんのついさっきまであの広間にいたというのに自分は今、布団に寝かされている。


「ここは……どうして……」

 自分の声がガラガラになっていることに明鈴は驚いた。小梅の差し出す白湯を飲む。


「明鈴姉さん、まる二日眠っていたんだよ。もう、起きてこないじゃないかって心配したんだよ」

 ボロボロと小梅は涙を流す。

 麻伊も誰にはばかることなく、涙を流した。

 出会ったばかりの二人が泣いてくれることに、明鈴は素直にうれしかった。それにこちら側に戻ってこれて本当によかったと彼女は思った。


 いったいあの世界はなんだったのだろうか?

 まったくもって見当もつかない世界だった。

 ただひとつ言えるのはあの世界は皇帝竜星命が見たことがある世界だということだ。

 その世界を垣間見た明鈴は天啓のように理解した。

「皇帝陛下がどのような女性を好まれるのかわかったような気がします」

 明鈴は小梅と麻伊にそう言った。

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