【短編】竜姫童女生贄磔刑、神国滅亡前夜録
卯月スズカ
第1話 竜姫童女生贄磔刑、神国滅亡前夜録
神の国。そう呼ばれるようになってから実に七百年が経つ。とはいえその冠詞とは裏腹に、彼の国で重宝されているのは神が賜ったとされる魔術ではなく、人が編み出した科学だった。
時は神歴五百二十七年。神国が世界の中枢を握ってから五百年。支配と繁栄は盤石のものとなり、王宮の座す花の都は今日も平穏に満ちている。
しかし、都に穏やかな空気が流れる一方で、王宮の内部は混沌、混乱を極めていた。より正しく形容しようとするのなら、未曾有の恐怖に突き動かされていたとするのが適切なほどに。
「アリアの様子は?」
「順調です。意識レベルは安定、暴走の兆候もありません」
王宮の廊下を歩くのは二人の男性。齢三十七の若国王と、「世界最高の頭脳」と讃えられる老研究者。
科学者にして魔術師。人生のすべてを使って叡智を追い求めてきた老人は、その能力を買われ、神国、ひいては世界の存亡を賭けた計画の責任者として招聘された。
「この調子で精神破壊が進めば、
「それはなにより」
二人は地下へ地下へと降りていく。太陽の届かない地下空間は、時代錯誤とも言える蝋燭によって、誰かが地下の先へと向かうときのみ照らされていた。
橙色の炎が灯る廊下を進む。廊下の終着点には、人の身長など遙かに超える、石造りの巨大な扉が鎮座していた。
国王が扉に手を伸ばす。
指紋。顔。魔力。三つの生体認証とパスワードによって施錠された扉が開かれると、中の惨憺たる光景が二人の前へと露わになった。
深く深く、暗い穴の底からそびえる柱。
四方八方から伸びる鎖。雁字搦めに縛られ、磔にされる童女。
童女の四肢と首に打ち付けられた杭。
童女の裸身を這い回って肉を溶かす、おぞましい腐臭を放つ蟲。
「――これでもまだ、心は死んでいないか」
「さすがは竜混じりと言うべきでしょう。この齢にして耐久力が人どころか、歴代のアリアたちを超えております」
この世のものとは思いたくない地獄を前にしても、二人は眉一つ動かさない。彼らが作り出した地獄なのだから、今更になって動じるはずもない。
常人なら確実に命を落とす責め苦。童女は未だ生存してはいるが、喉に打ち付けられた杭によって悲鳴どころか呻き声を上げることすら叶わなかった。
かつては母によって丁寧に手入れされていた髪は蟲に喰われ、ぐずぐずに縮れている。蟲に溶かされてもなお、すぐに傷が塞がる異様な肉体には、全身に焼印が刻まれていた。
総じて、人に対する仕打ちではない。死罪人ですら顔を青くするだろう、罪なき童女の苛烈な有様。
けれど、童女は人ではない。だからこそ、この地獄に落とされた。
絶えることのない壮絶な痛みに意識を失いながらも、童女はまどろむように思考を続けていた。
――ゆるさない。ゆるさない。ゆるさない。ゆるさない。
――くるしい。つらい。いたい。だれか、たすけて。
――ゆるさない。わたしたちをくるしめたすべてを、ぜったいに、ゆるさない。
折れそうになる心を憎悪で奮い立たせる。
かくも凄まじき精神力。しかし、この地獄にやってきてから一年が経って、童女の心にはとうとうヒビが入り始めていた。
神国が定義した童女の正式名称を、五十六代目アリアという。
科学力に優れた神国は遡ること五百年前、人型生体兵器の開発に成功した。「プリマヴェーラ」と名付けられた兵器たちは、短命と引き換えに、極めて高い魔術の適性を持ち、なおかつ人を超える頑健な肉体を持つ。その力は、苦心の果てではあるが、生態系の頂点である竜すら打ち倒すほどだった。
神国が覇権を握れたのも、プリマヴェーラの圧倒的な武力によるところが大きい。神国はプリマヴェーラを貴重な人材として重用し、寵愛し、やがて支配が盤石のものになると切り捨てた。
意思を持つ強大な兵器など、泰平の世にはリスクでしかない。ゆえに神国はプリマヴェーラの新規製造を密かに停止して、架空の武力による支配を続けている。
その一方で、プリマヴェーラ製造の失伝を神国は恐れた。もしもプリマヴェーラの不在が露見すれば、反逆をもくろむ逆賊が現れる可能性は大きい。
かくして、プリマヴェーラはこの世に一体だけとなる。「アリア」と名付けられた彼女たちは密かな戦力として、そして実験体として、これまでに五十五人が使い潰されてきた。
「先代が孕んだときは意見が激しく対立したそうだが、殺さなくて正解だったようだな」
「ええ。竜混じりのプリマヴェーラ……このような異形、二体目が現れる可能性はゼロと言えるでしょう」
童女はアリアだ。
けれども、純粋なプリマヴェーラではなかった。
童女の母、五十五代目アリアは、史上初めて子を宿したプリマヴェーラだった。それも人ではなく、竜と結ばれて。
竜の血が流れるプリマヴェーラ。その特異性が、童女に地獄を招いた。
「神の器。ああ、通常のアリアならば、とうに神に身体を乗っ取られていただろうな。怪物も生かしておくものだ」
事の起こりは一年前。
神国内で、集落規模の不審死が続出したことが始まりだった。
数万もの死者が発生した、史上最悪の事件。
死体には外傷の一つもなく、また死に至る内部要因すらなかった。
死体はすべて健康そのもの。ただし命だけが存在していない、異常な肉体。
その元凶は神だった。
生と死の女神。冥府の神、祈奏妃ファルシャナ。
とうに大地から消えていた神が、自我を失い命を奪う。
このまま祈奏妃の暴走を許せば、いずれ人という種が消え去る。ならば排除するしかないが、人は神に触れる術を持っていない。
その窮状の中、白羽の矢が立てられたのが童女だった。
神国は先代アリアを殺害すると、童女に祈奏妃を封印した。
期待通り、童女は自我を奪われることなく、己のうちに祈奏妃を受け入れた。あとは童女の精神を破壊して、欠けた心に祈奏妃を定着させ、童女を殺す。
それこそが、人が神を殺す唯一の手段だった。
「竜混じりといえど、首を落とせば生きられないでしょう。神国はこれで安泰でございます」
「ああ。昨年はどうなるかと思ったが……王としての責任は果たせそうだ。感謝するぞ」
「ええ。この老体も報われます」
祈奏妃を受け入れた童女の死。それを待ち望みながら、二人は地獄を後にする。
彼らの望み通り、神国は繁栄を続けるだろう。
砕けた童女の心がツギハギされて、息を吹き返すそのときまでは。
【短編】竜姫童女生贄磔刑、神国滅亡前夜録 卯月スズカ @mokusei_osmanthus
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