3-9【不吉と天籟】


 

 朝日が雨戸の隙間から滑り込んでシスター和恵の頬をくすぐった。

 

 起きなさい。

 

 天籟てんらいが啓示を伴って、夢現の中で囁きかける。

 


 まだもう少し……

 

 ほんの少しだけ……

 

 この穏やかな時に微睡むことをお許しください……


 

 両手の中にあみの柔らかな頭髪を感じる。

 

 安心しきって胸に顔を埋める、あみの体温と呼吸を感じる。

 


 神に捧げた独身の誓い。

 

 同時に失った母親になる未来。


 その未来が意識の霧海にひれを出した途端、皮下に残った棘のような、チクリとした痛みが走る。




 いいえ。違うわ。

 

 私は、この子たちの母親代わりなのだから……

 

 何も失ってなどいない……

 

 むしろ神から多くを頂いたのだ……

 

 

 棘の刺す痛みと共に意識が覚醒していく。

 

 輝度を増した白い朝日が、再び和恵の頬に触れた。

 


 その瞬間、頬をひっぱたかれたような衝撃が走った。

 

 起きなさい……!!

 



 暗黒が来るぞぉおヲをおオ゙ぉおお!?

 


「嫌ぁあああああああああああああああ……!!」



 シスター和恵は悲鳴を上げて起き上がった。

 

 瞼の裏に張り付いた邪悪な残像を振り払うように、シスター和恵は両腕を振り回す。

 

 驚いて目を覚ましたあみはベッドの隅に這って逃げると、怯えた顔でシスターを見つめた。

 

 我に返ったシスター和恵は、肩で息をしながらあみをの方を見た。

 

 あみは恐怖を顔に貼り付けたまま小さく震えている。

 

 手を伸ばすと、少女はビク……と身体を震わせた。

 

 それを見た和恵は大きく深呼吸すると、表情を崩して普段通りのおちゃらけた声色で言った。

 

「ごめんね……びっくりしたよね? 怖い夢を見て叫んじゃった」

 

 それを見て少し安心したのか、あみはコクコクと頷いた。

 

 再び差し出されたシスターの手を、少女はそっと握り返す。

 

「起きよっか? そろそろ朝の礼拝の準備をしなくちゃ。部屋に着替えを取りに行こう」

 

 和恵はそう言って立ち上がると、部屋の扉を開いてあみを手招きした。


 あみの後ろについていく形で部屋を出ようとしたその時、頭のすぐ後ろで再び声がした。

 

 暗黒が来きた……

 

 地の底から響くような冷たい声に、シスター和恵は総毛立つ。

 

 しかし勢いよく振り向いた部屋の中には誰もいなかった。

 

 ばくん…ばくん…と心臓が不吉な太鼓を打ち鳴らすのと時を同じくして、エリザベート孤児院の門の前に、黒塗りの車が三台到着した。

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