0-17【冥き御座の王】
息が出来ない。少年の悲鳴はあぶくとなって上へ上へと昇っていく。
顔を覆う冷たい水の感触とは裏腹に、背中には焼けるような痛みが走った。
息を吐き出さないように必死に口を閉じるも、背中を襲う痛みのせいで意思とは裏腹に悲鳴があがる。
意識が遠のき視界が狭くなると、少年の顔は水から引きずり出された。
「ねえ? 死んじゃうよ?」
風呂場の入口にもたれ掛かった母が他人事のような声で言う。
「うるせえ……!! こっちこそ殺されるところだったんだぞ? 大体お前が神父を引き止めてる間に金を盗む計画だったろうが!? 何で神父が
男は再び少年の頭を水に押し込みながら叫んだ。
「しょうがないじゃん。気分が悪くなっちゃったんだから」
髪をいじりながら気怠そうに言う母の姿に男は舌打ちすると再び少年の背中に熱湯を注いだ。
ゴボゴボと少年の吐き出す空気の音が響く。
ねえ? 死んじゃうよ……?
薄れゆく意識と苦痛の狭間で母の声が聞こえた。
死んだら僕はきっと地獄に堕ちる……
捕まってしまう……
そう思うと、先程まで感じていた恐ろしさとは異質な、骨の髄を震わせるような恐ろしさが込み上げてきた。
それと時を同じくして身体が激しく痙攣する。
少年は両手をばたつかせて必死に抵抗したが、頭の中で何かがぶつんと音を立てて千切れる音がして世界が暗黒に覆われた。
先程までの痛みを感じない。
冷たくもない。
何も感じない。
見えないはずの目を開くと、闇の奥には
なぜそのように思ったのかは分からない。
しかしそれは冥き御座で、そこには冥き王の姿があった。
姿の見えない王の、見えない唇が動くのを感じる。
すると聞こえない声が耳に侵入し、覚えることの出来ない記憶が植え付けられた。
冥き王は満足げに見えない口角を上げて、聞こえない声で小さく笑う。
にゅる……
その時、何も感じることのないはずの唇に、生温かくぬめる何かが覆いかぶさった。
それは口内を蹂躙しながら奥へ奥へと伸びていく。
やがて咽頭にまで達したその時、激しい異物感に身体が反応した。
腹筋が激しく収縮し、食道が異物を押し返そうと逆流する。
「げぼぉお……ごほっ……げほぉおおお……!?」
少年は大量の水を吐き出し意識を取り戻した。
倒れた少年の隣には床に座り込む母の姿があった。
目だけ動かして辺りを確認すると男の姿は見当たらない。
少年が力なく母を見上げると、母は自らの唇を舐め妖艶な笑みを浮かべ、ひそひそと少年に囁くのだった。
「このままじゃ殺されちゃうよ? けんごくんはどうしたい?」
「じに……たく……ない……」
「じゃあ殺さないでってお願いしてみる?」
少年は力なく首を振った。
「じゃあどうするの……?」
「あいつを……」
何処からともなく湧き出た黒い液体が少年の脳細胞の隙間を埋め尽くした。
バスタブに満ちる血液、くさい内臓の臭い、人間の脂でぬめる
「あいつを……殺す……」
それを聞いた母はそっと少年の手に果物ナイフを握らせた。
何も言わずに風呂場を出ていく母の顔は少年からは見えない。
笑いを噛み殺す邪悪な顔は、少年からは見えない。
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