0-16【囚われの霊魂】

 

 母は少年の手を引きコンビニへと向かった。


「何を買うのか?」と少年が問いかけても微笑むだけで答えはない。


 乱暴に買い物かごに商品を放り込み会計を済ませると、母は再び少年の手を引き襤褸ぼろアパートへと歩き出す。

 

 錆びた階段がガランガランと不吉な音を立てて少年を出迎えた。


 隣の部屋のドアに備え付けられた郵便受けには、無理矢理ねじ込まれたチラシが溢れかえり、玄関灯に張り巡らされた蜘蛛の巣には蛾の死体がぶら下がっている。


 隣人はもういない。

 

 その肉体は骨すらもこの世に残っていない。


 では魂はどうだろう?

 

 死んだら何処に逝くのだろう?

 

 ぶら下がった蛾の遺骸のように宙吊りにされたまま、何処にも逝くことはないのかもしれない。 


 もしそうなら、この世界の何処にも、救いは無いように思えた。

 


「すぐに作るね」

 

 母はそう言うと机の上のゴミを床に落とし、買ってきたサンドイッチ用のパンにマーガリンを塗った。

 

 ツナ缶を開け中にマヨネーズをしぼると、スプーンでぐちゃぐちゃとかき混ぜる。

 

 時折缶にスプーンが当たり、カチカチと音を立てた。

 

 咀嚼音のような混ぜる音と、歯噛みするような金属音が汚い部屋に響き渡る。

 

 サラダ用のレタスが入った袋を開けパンに乗せると、母はマヨネーズ和えにしたツナ缶の中身をレタスに乗せてもう一枚のパンで閉じた。

 

「じゃーん! ツナサンド! サンドイッチ好きなんでしょ?」


 そう言って手渡されたサンドイッチを黙って見つめていると神父のことが頭に浮かんだ。


 あの人はどうしているだろうか……


 約束を破った自分に怒っているかも知れない……


 そんなことを考えていると、このサンドイッチを食べてはいけない気がして、少年は口をつけられずにただただサンドイッチを睨んでいた。

 

 

「けんごくん……ごめんね……」

 

 思いがけない言葉が聞こえて少年は目を上げる。


 するとそこには萎れたように元気のない母がいた。 


「あいつ、嫌いだよね……? けんごくんのこと殴るしさ……」

 

 少年はどう答えていいか分からず再び俯いた。

 

 すると母は少年の足元にしゃがみ込み、覗き込むように顔を見上げてなおも尋ねる。

 

「けんごくんはどうしたい? もうあいつに居なくなってほしい? それで教会に行ってたんだよね?」

 

 その言葉で、少年の小さな心臓がどくん……と強く脈打った。



 居なくなってほしい……

 

 助けてもらおうと思って教会に行った……

 

 そのどちらも嘘では無い気がして、少年は小さく頷いた。


「もう神父さんには話したの?」


 母が深刻そうな顔で尋ねたので、少年は正直に首を横に振った。



 

 するとその時、玄関の方で音がする。

 

 帰ってきた……

 

 そう思うと身体が強張る。

 

 母はそんな少年に、にっこりと微笑むと一度だけ抱きしめて玄関へと向かった。

 

「おい!! どうなってんだよ!? あの神父……銃持ってやがったぞ……!!」

 

 ドアを開けるなり、男は怒鳴り散らしながら手当たり次第に家の中の物を蹴った。


 母は男の尋常ではない様子を見ると、少年の方に振り返り、にやりと妖しく笑ってみせた。 



「こいつ、あんたのことチクる気だったらしいよ? でもアタシが迎えに行ったから、まだチクってないって」

 

 男の狂気に濁った目が少年を睨みつけた。

 

「上等だよ……お前。マジで上等だよ……やってくれたなあ……!? 食わせてやってんのによお!?」


 

 男は少年の髪を掴むと風呂場へと引きずっていく。


 男の放つただならぬ気配に、少年の本能が警告を発した。 


「助けて……!! 母さん……!! 助けて……!!」

 


 無我夢中で少年がそう叫ぶと、母は黙って微笑み手を振るのだった。

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