0-13【影送り】

 

 あれから少年の姿は見えない。

 

 家を聞いておくべきだったと後悔しながら、神父は炊き出しの配給に追われていた。

 

 聖日の度に開催する炊き出しを頼りにしている者は多い。

 

 炊き出しの時にだけふらりとやって来て礼拝には参加しない者も多かったが、神父はそれで構わないと思っていた。

 

 崇高な信仰よりも、日用の糧を必要とする人は多い。きっとその方が多い。

 

 そんな彼らを置き去りにする教会の在り方に疑問を持ち、神父は東方正教会の枢機卿の立場を蹴ってここにいる。

 

 暗い顔で炊き出しを受け取り去っていく困窮者達の背中を見送る間も、神父は視界の端に少年の影を探していた。

 


「神父様……」

 

 突如背後からかけられた声で神父はハッと我に返った。

 

 振り返ると修道女シスターが心配そうにこちらを覗いている。

 

「どうかなさいましたか?」

 

 神父がにっこりと微笑んで言うと、修道女はおずおずと口を開いて言った。

 

「神父様はお気づきになりませんでしたか? 炊き出しに来ていた人達の中に……」

 

 その時神父の視界の端、曲がりくねった檸檬の木陰で、小さな影が揺れるのが見えた。

 

 神父はそれが少年だと直感すると、修道女の言葉を遮り駆け出していく。


 何事かと思い修道女が慌てて後を追うと、そこには衰弱した少年を抱きかかえる神父の姿があった。


 俯く神父の顔は影で見えなかったが、その肩は小さく震えている。


「すぐに手当の準備を……それとおかゆを作って上げてください……」


 ただならぬ雰囲気に、修道女はコクコクと頷くと、大急ぎで会堂の方へと走っていった。


「なんて非道いことを……よくここまで来てくれました。もう心配ありませんからね?」


 

 少年が小さく頷いたその時、会堂の中から鋭い悲鳴が聞こえた。



 酷く嫌な予感がした。


 


 神父は険しい顔で立ち上がると、少年を檸檬の幹にもたれ掛からせ、まっすぐに目を見て言った。

 

「いいですか? すぐに戻ってきます。君はここを動いてはいけません。わかりましたね?」

 


 再び小さく頷いた少年を抱きしめると、神父は会堂の方へと駆け出した。

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