0-6【石棺に満ちる不穏】


 聖なる会堂の暗がりに、怪しい影がうごめくのがわかった。


 清らかな静謐とは異質な、薄気味悪い沈黙、そして静寂が会堂の中に充満する。

 

 ……嗚呼不穏……

 

 ……限りない不穏だ……

 

 その底は果てしなく、足を踏み外せば、真っサカサマに落ちていくような、奈落の気配を孕んだ不穏。

 

「神父様……悪魔の仕業などと、恐ろしいことを仰らないでください……」


 縋るようにそう言った修道女に、神父は穏やかな、それでいてはっきりとした強い言葉で答える。


「真実から目を逸らしてはなりません。ただ恐れないで、わたし達の神を信じるのです。神の加護を願うのです……」


 修道女の目に、消えかけていた信仰の火が小さく灯りなおしたのを確認して、神父は壁に掛かった絵画に手を伸ばした。


 その絵を人目に触れないように抱えると、その場を後にして会堂の裏手に設けられた自身の寝室へと運ぶ。


 八畳ほどの小さな小屋には裸電球が一つぶら下がっているだけだった。


 木製の机と簡素な寝台、そしておびただしい数の書物がきちんと収まった本棚の他には目ぼしいものは何も無い。



 寝台に腰掛けた神父は、両手で掴んだ絵画に再び視線を落として険しい表情を浮かべた。


 ……嗚呼、なんということだろう……


 ……この絵の暗示するところは、目を覆いたくなるような悲惨な現実だ……

 

 知らぬ間に強く噛み締めていた唇が痛んで、神父は我に返ると、その絵を寝台の上に放った。

 

 小さな窓から周囲に人が居ないことを確認すると、決して建付けが良いとは言えないドアに、気休め程度の錠前を掛け、床に敷かれた絨毯ラグを捲る。



 すると秘密の戸口がそっと顔を出した。

 


 ガッコン……と、留め具の噛み合う音が小屋に響いた。

 

 神父は机に手を伸ばし、処々、緑青ろくしょうが生えて翡翠あおく濁った燭台を取り上げると、燐寸マッチを擦って火を灯そうとする。

 

 ……じゅ……

 

 そんな音を立てて燐寸は灯ってすぐに消えた。

 

 地下室から吹き上げてくる、轟轟という風の音が、何時にも増して猛っているように感じられる。

 

 神父は小声で祈りならが再び燐寸を擦った。

 

 今度はしっかりと手で覆い、暗い風から火を守ると、燭台に刺さった熔けかけの蝋燭に火を移す。

 

 小脇に絵画を抱え、その手に燭台を持つと、神父はまるで蜥蜴とかげのように、器用に地下への梯子はしごを降りた。

 

 二メートルほど降りた先には、正方形の空間が広がり、その四壁には見るからに手作りの古ぼけた木棚が備え付けられている。

 


 そこはまるで石棺のようだった。


 いつしか集まってきた呪われた品々を封じるための棺だった。



 どういうわけか、神は未だにそれらに宿った暗い力を、滅ぼすことはしないらしい。


 仕方無しに神父は、こうして地下に設けた棺に、彼らをは埋葬する。



 ……さんだらら、るばとぎあ、けせるぱにえ……


 ……主よ。悪しき者共をあなたの十字架の血によりて縛り給え……

 

 ……悪しき者の呪いを暗闇の中に縛り付け封じ給え……

 

 

 神父は祈り終えると、小脇に抱えた呪いの絵画を棚に立てかけ十字を切った。

 

 絵に背を向けて梯子はしごを登る神父の背後では、絵画の中のマリアが、こぽこぽ…と小さな音を立てて、黒い涙を流していた。

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