0-5【冒涜の印】


 正午過ぎの白い太陽は、不気味な姿をありありと照らし出し、グロテスクな細部までもをくっきりと炙り出してしまった。

 

 ひゅぅ、ひゅう、と苦しげな息を引き取って、動かなくなった大蜘蛛を見つめたまま、神父が身動き出来ずにいると、背後から鈴のような呼び声が聞こえてハッと振り返る。

 

「神父様? 神父様? どうなさいました?」

 

 不安げにこちらを覗き込む修道女に、神父はにっこりと微笑んで答える。

 

「いいえ。素敵な出会いがあったので、神に感謝の祈りを捧げていたんですよ」

 

 その言葉を聞いて、修道女は一瞬安堵の表情を浮かべたが、またすぐに顔を曇らせてしまった。神父はそのことに気がついて優しい声を出す。

 

「どうかなさいましたか?」

 

「こちらへおいでになってください……」

 

 

 

 天窓から差し込む明かりが、薄暗い会堂の宙に漂う埃にぶつかり、予測のつかないフラクタルをかたどっている。

 

 万華鏡のように次々と崩壊しては現れる象徴的なしるしの数々から、正確に神の啓示を読み取るのは難しい。



 ……主よ。あなたの御心を下僕しもべにお示しください……


 

 そそくさと前をゆく修道女について、神父がぼんやりとそんなことを考えていると、彼女は忌まわしい秘密でも打ち明けるように、怯えを含んだ声で囁いた。

 

 

「あそこです……」

 


 そう言って修道女が指さした先には、聖母が幼いキリストを抱いた絵画が掛けられている。

 

 暗がりの中に、優しい微笑みを御子イエスに向けるマリアの白い肌が、ぼぅと浮かび上がると同時に、神父は思わず息を呑んだ。

 

 

 ……黒い目玉。いや、眼孔と呼ぶべきだろうか……

 


 塗りつぶされたような黒い目からは、濤々とうとうと闇が垂れ下がっていた。涙と呼ぶには醜く歪んだ口元があまりにも禍々し過ぎる。

 

 溢れた闇は、御子の口を目掛けてずんずんと触手を伸ばし、掻き分けるように咽頭の奥に侵入しているかのように見受けられた。

 

 

「なんと恐ろしい……御子と聖母を冒涜するなんて……!!」

 

 そう言って修道女は顔を両手で覆った。

 

「きっと悪戯に決まっていますよね……?」

 

 そう言って指の隙間から神父を覗く修道女の目には恐れと疑心が揺れている。

 

 神父はゆっくりとした足取りで絵画に近づくと、マリアの目から零れ落ちた闇を二本の指でなぞって言った。

 


「いいえ……これは悪魔の仕業です……」

 


 キィ……キィ……キィ……キィ……キィ……と、ごくごく短い間隔をもって、何かが軋む音がした。


 音がした方に二人が振り向くと、壁に打ち付けられた十字架が逆さまになって、ぷらり、ぷらり、と不気味に揺れて踊っていた。

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