Case3.ひつじ達の失楽園
3-1【聖エリザベート孤児院】
「悪魔憑きを解除して投降しなさい!」
襤褸アパートに緊張が走る。
悪魔憑きの母親は背中から伸ばした無数の触手の一つで幼子を宙吊りにし、唾を飛ばして喚き散らしていた。
部屋の奥にはうずくまって震える兄妹が互いを庇い合うようにして抱き合っている。
「金を持ってきなさいよ!! 金さえあれば私だってまともに子育て出来たわよ!! 子どもを育てるのにいったいいくら掛かると思ってるのよ……!!」
住民たちが次々と逃げ出す中、拡声器を持った真白の声が朗々と響く。
「教会の用意した更生プログラムもあります。未来はいつだって自分の選択次第です……!!」
「五月蠅いわよ!! アンタみたいな小娘に説教されたくないわよおおおおおおおおお……!!」
母親が怒りの形相で真白を睨みつけた瞬間、真白の瞳が紅く光る。
「虎馬……発動!!」
真白の蛇の眼に縛られた母親は、自身の身体に起きた異変に驚愕する。
慌てて逃げようと藻掻いたが、時すでに遅く身じろぎ一つ出来なかった。
階下の廊下で待機していた犬塚が身軽な動作で欄干を蹴って駆け上がり、女の前に姿を現す。
「壱の塚……
唸り声を上げる黒いナイフで、犬塚は女の触手を切断すると、幼子を抱きかかえて部屋に突入した。
震える兄妹に手を差し出し犬塚が言う。
「
泣きながら縋り付いてきた兄妹と幼子を抱えて犬塚は部屋を飛び出した。
それを確認すると真白は蛇の眼を解き女に言う。
「投降しなさい……! さもないと、あなたをこの場で断罪することになります……」
それを聞いた女は狼狽した表情を浮かべたかと思うとガク……と力が抜けて口から黒いモヤを吐き出した。
それ薄目で睨みつけてから、真白は周囲を固める警官に言った。
「悪魔は去りました。制圧完了です……確保と移送をお願いします」
警察の車両が母親を乗せて去っていくのを、保護した子どもたちが複雑な表情で見送っている。
犬塚と真白は彼らの脇に立って穏やかな声で言った。
「心配すんな。お前らの生活は教会がちゃんと保護してくれる」
「お母さんも、更生プログラムをきちんと受ければ、いつか会うこともできるからね」
すると兄らしき少年が静かに首を振った。
「……もうお母さんには会いたくない……また妹を虐めるから……」
その言葉が真白の胸を抉る。
しかし犬塚は顔色一つ変えずに少年の頭をくしゃくしゃに撫でながら言った。
「なら会わなくていい。お前がずっと妹たちを守ってきたんだな」
すると少年は大粒の涙を零しながらひっく……ひっく……としゃくりあげた。
何も言わずに犬塚が頭を撫でていると制圧の一報を受けて聖教会の保護職員がやって来る。
祓魔師と違い純白の制服に身を包み、百合の紋章を胸につけた彼らは極東聖教会が所有する聖エリザベート孤児院の職員達である。
「祓魔師のお二方……ご苦労さまです。ここからは私達が引き継ぎをさせて頂きます」
「よろしくお願いします」
そう言って真白が引き渡しの書類にサインをする横で犬塚は少年と拳を突き合わせて話していた。
「お兄ちゃんまた会える?」
「ああ。落ち着いたら会いに行く。約束だ」
少年は嬉しそうに笑うと、妹たちを連れて聖エリザベート孤児院の車両に乗って行ってしまった。
「まーた約束が増えちゃいましたね」
真白が言うと犬塚は眉間に皺を寄せて言う。
「うるせえよ……」
その時真白のデバイスから呼び出し音が響いた。
†
緊急の呼び出しで犬塚と真白は室長室へと急いだ。
どうやら新たな魔障反応が出たらしい。
真剣な面持ちで真白がドアをノックすると、京極の重苦しい声が返ってきた。
「入りなさい」
中に入ると京極は机に両肘をついて頭を抱えていた。
「魔障反応ですね?」
真白の言葉で京極は顔を上げると、大きく深呼吸してから話し始めた。
「そうなんだが……少し困ったことになってね……」
ただならぬ京極の雰囲気に犬塚が身を乗り出して言う。
「まさかあの時の悪魔の居場所が分かったのか……!?」
京極はその言葉に首を振る。
「いいや……辰巳くんの記憶に鍵をかけた悪魔の居場所は依然として掴めていない……今回のケースで問題なのは魔障反応があった場所だ……」
「どういうことですか……?」
眉をひそめて問いかける真白に、京極は再び大きな溜め息をついてから答えた。
「魔障反応が出た場所は聖エリザベート孤児院だ……」
「そんな!?」
「馬鹿な!?」
犬塚と真白はほとんど同時に声を上げた。
「知っての通り聖エリザベート孤児院は教会の主要な内部機関の一つだ。あってはならない事だが極東聖教会の内部に悪魔憑きが紛れ込んでいる可能性がある……」
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