2-47【ラクリモサ】
音を立てて丹村はその場に崩れ落ち、同時に橘を包むシャボンも割れた。
すぐさま丹村に向かって駆けだした橘を、蛇の眼を解いた真白が慌てて追いかける。
橘は亡骸の首を抱きかかえると声を上げて泣いた。
「嘘だ……」
泣きじゃくりながら丹村の名を叫び続ける橘の声に混じって、父の呆けた声が虚しく響く。
「そんな馬鹿な……ニムロド様が死ぬはずがない……嘘だぁぁあああああ!!」
半狂乱で息子の遺体、否、ニムロドの遺体へ向かおうとする男を犬塚が渾身の力で殴りつけた。
犬塚は倒れた男に馬乗りになると、大声で叫びながら何度も顔面を殴りつける。
「てめえは……!! てめえ等は……!! 揃いも揃って……!! どうして自分の事しか考えない……!!」
「てめえのガキが……!! 死んだんだろうが……!! ニムロドじゃねえだろおがあああああ!!」
顔を腫らし、口から血を流しながら、男は気の触れたような笑みを浮かべて口走る。
「道隆は死んだんじゃない……お前が殺したんだ……その銃でな……」
「ふざけるなぁっぁぁああ……!!」
犬塚の拳が男の鼻にめり込み、ごりゅ……と鈍い音がした。
「先輩……!! それ以上はやめてください……!! 死んでしまう!!」
泣き崩れた橘を抱きしめながら真白が叫んだ。
それを聞いた男は、折れて歪んだ鼻からぼとぼとと血を垂らしながらなおも笑って言う。
「かつてポルピュリオスは言った……キリストは敬虔な人であったがキリスト教徒は混乱した悪性の宗派だと。貴様らがそうだ……!! この人殺しめ!! あのままニムロド様が顕現していれば道隆は再び生を受け、橘咲と幸せになれたのだ……!! もはや全てが台無しだ!! 私に生きる意味は無い!! 殺せ!! 道隆も最期の最期で自ら死を選ぶとは……とんだ負け犬に成り下がった!!」
犬塚は男の胸ぐらを掴んで立ち上がらせると、その口に銃口を押し込んで言った。
「べらべらと胸糞悪い御託はもう沢山だ……」
「犬塚さん!! 駄目です!! 冷静になって……!!」
叫ぶ真白を無視して犬塚は身体を震わせて言う。
「丹村が負け犬だと……? ふざけるなぁあ……あいつは、嬢ちゃんの世界を守るために死ぬことを選んだんだ……!!」
「祓魔師も教会の連中も勝てないような伝説級の悪魔を丹村は倒した……」
「誰も見向きもしなかった丹村道隆と橘咲が、か細い糸を切らねえように、庇いあって握りあって守ってきた愛が……ニムロドに勝ったんだ……!!」
「妻の死を受け入れられず、自己憐憫に酔いしれたてめえが……丹村道隆を負け犬と呼ぶ資格は一ミリもねえ……!!」
「妻が大事だったなら、どうして大事な忘れ形見の丹村を愛してやらなかった……!? てめえは妻を愛してたんじゃねえ……お前の愛は、ただの腐りきった自己愛だ……!!」
銃を握る犬塚の手に力が入る。
満足げな顔で男は目を閉じる。
真白の叫び声が響く。
ぎりぎりと…犬塚の食いしばった歯が音を立てる。
犬塚は引き金を引くかわりに、男の口から素早く銃を引き抜くと、グリップで男の額を殴りつけた。
どさりとその場に崩れ落ちた男の脇で、犬塚はだらりと両手を垂れて、力なく膝まづく。
「先輩……」
「こいつを殺しても……丹村は蘇らない……第二の丹村を出さないためにも……こいつには聞くことがある……そうだろ……?」
それを聞いた真白は唇を噛み締めて目を閉じ、小さく頷いた。
「嬢ちゃん……すまねえ……俺は……約束、守れなかった……」
犬塚が肩を震わせてそう言うと、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、橘が言う。
「丹村くんの……丹村くんの魂は……救われました……天使が言ってたから……わたしはそのこと、信じます……それに……それに……」
「丹村くん……ち゛ゃん゙ど帰っでぎた……また明日って……言っでたから……」
誰も言葉を発する者はなく、ただ橘の哀哭が家中に響いた。
それはまるで、橘に抱かれて穏やかな顔で眠る丹村のための
やがて特別公安と極東正教会の職員が駆けつけるその時まで、悲しみの歌声が止むことはなかった。
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