2-45【聖エラスムスの巻取り機】

 

 ぎょろぎょろと片目を動かしてから丹村に受肉したニムロドは犬塚に目をやった。

 

 するとニムロドは人差し指を立てて口をすぼめる。

 

 すぼめた口は、まるで肛門のようだった。気味が悪い皺が幾重にも重なり、およそ人間の口には見えない。

 

 その口でもってして、ニムロドは静かに言った。

 

קומו立て

 

 それと同時に犬塚の身体は空中に引き上げられた。


 まるで全身を幾頭もの見えない馬で引き裂かれるような感覚が犬塚を襲い、思わず悲鳴が口をつく。

 

 しかしニムロドはそこに愉悦を覚えることもなく、なんら関心が無いような素振りで父親の方へと振り返った。


 

「偉大なる王の王よ……」

 

 父はそう言って跪き、両手のひらを天井に向けて突き出した。

 

 ニムロドがその手に唾を吐きかけると、それは濃硫酸のように父の手をやいた。


 焼印のように爛れた傷痕を合わせながら父はニムロドを伏し拝む。

 

「お前の願いと我への忠誠は受け取った。身体が馴染み次第、すぐに願いのものをくれてやろう……」

 

 感謝します……感謝します……そう父が繰り返している横で、ニムロドは自身のあごを人差し指と親指で摘みながら、首を傾げながらしげしげと犬塚を眺めて言った。

 


「嘆かわしい……呪われた男よのぉ……人の分際でよおもここまで喰らったものよ……」

 

 そう言ったかと思うと、ニムロドはいつの間にか変形して節くれ立った長い指を犬塚の腹にずぶりと突き刺した。

 


「ぐあ゙あ゙ぁあああ!?」


 

החרש黙れ

 

 ニムロドの言葉で犬塚の口がどろり溶けた。

 

 溶けた口唇はすぐさま固まり、肉のマスクが犬塚の口を塞ぐ。

 

 それでも呻く犬塚を一瞥してからニムロドは静かに言った。

 

「今から貴様の腸を引きずり出す……己の罪を悔い、心底懺悔しながら、腸が抜き取られていくのを眺めるが良い……」

 


 ニムロドはそれだけ言うと自身の口を大きく開いて咽頭の奥深くに横たわる闇の中へと手を入れた。



 ぐえ……ぐえ……と静かな部屋にニムロドの嗚咽が響く。

 


 嗚咽と共に吐き出されたのは、唾液にまみれた純金のオルゴールだった。

 

 美しい彫刻がなされた金の小箱には、ゼンマイを回す取っ手が付いている。

 

 酷く邪悪な気配がする美しいオルゴールを、ニムロドの痩せて節くれ立った手がかぱぁ……と開いた。

 

 中身を見た犬塚に悪寒が走る。

 

 オルゴールに見えた小箱の中には音を奏でる為の振動板はなく、無数の湾曲した針が突き刺さった、剥き出しの軸が待ち構えていた。 



 同時に聖エラスムスが描いた絵画が犬塚の脳裏に蘇る。

 

 引きずり出された自身の小腸が、針付きの軸に巻き取られていく光景を想像して、犬塚の全身にねっとりと重たい脂汗が吹き出してきた。

 

 ニムロドはそんな犬塚には何の興味も示さずに、粛々と器具の準備を整えると、犬塚に目をやった。

 


「さて……始めるとしよう」

 

 犬塚は必死に身体を動かそうと藻掻いたが、身体を縛る見えない力は身じろぎ一つ許さない。

 

「ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙……!!」

 

 閉ざされた口で虚しく唸ることしか出来ない犬塚のシャツが引き裂かれ、腹の傷にニムロドの指が侵入する。

 

 一際強く唸り声を上げたその時、背後から名前を呼ぶ声が響いた。

 


「犬塚さん……!! 丹村くん……!!」

 

 振り返る事もできず空中に磔にされたままの犬塚の目の前で、ニムロドは片目を大きく見開き、小刻みに震えながら呟いた。

 

 

「た……ち……ばな?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る