2-44【初めに地上に降りた神】


 丹村は父の言葉で腕を捲ると、何も言わずにその腕を差し出した。

 

 父は白衣のポケットから古い硝子の注射器を取り出し中の空気を抜く。

 

 針先から赤茶けた粘度の高い液体が飛び出した。

 

 そのニオイを嗅いだ犬塚から血の気が引いていく。

 

「やめろ丹村……!! それが……それが何か理解ってんのか!? 相当凶悪な…いにしえの悪魔の血液だぞ……!!」

 

祓魔師エクソシスト……これは悪魔の血などではない……古き世を支配した神々の血だ……」

 

 父親はそれだけ言うと、息子の腕にゴムのチューブを巻き付け、浮き出た静脈に躊躇いなく針を突き刺した。

 

 丹村はほんの僅かに顔を歪めただけで、身体に注ぎ込まれる血を受け入れていく。

 

「どれだけこの時を待ちわびたか……」

 

 父親が震えながらつぶやいた。

 

 針の刺さった場所を中心に、丹村の腕には禍々しい黒い根のような血管が浮き上がっていく。

 

 それと同時に、丹村の頭の中に太古の映像と声とが蘇り始めた。

 

 

「は、はっきり見える……僕が……僕がずっと夢で見ていた……巨人の姿があぁぁぁぁぁああ……!!」


 

 篝火の焚かれた祭壇の上空、暗い闇に閉ざされて見えなかった偶像の顔が、今やはっきりと見てとれる。


 生贄の台に縛り付けられた丹村を見下ろして、黄金の像は顔を歪めて高らかに嗤った。

 


 その神は、片方の目を欠いた巨人の姿をしていた。



 肩や首には裸の女達がまとわりつき、逞しい黄金の筋肉を舐め回している。


 ぽっかりと穴のあいた不具の片目の奥からは、夥しい数の使い魔が出入りし、祭壇の周りで自傷を繰り返しながら叫び声を上げる信者達のもとへと飛び立っては、彼らの額に三本の爪痕を付けて回った。

 


 体中を焼くような痛みが這い回り、丹村は悲鳴をあげた。

 

 見ると祭司が焼けたナイフでそこかしこをずるり……ずるり……と削ぎ落としては、土器の瓶へと肉片を放り込んでいる。

 

「やめろろろろろろろっろろろろ……!?」

 

 呂律が回らず舌を伸ばそうとしたが、そこに舌は無かった。


 いつの間にか根本で切られた舌が、串刺しにされて掲げられている。

 

「道隆……ここまで来るのは本当に大変だった……よく頑張った……」

 

 フードを脱ぎながら祭司が言う。

 

 丹村が目を見開くと、そこには嗤う父の顔が付いていた。

 

お゙うあ゙ん゙父さん……?」

 

「お前の魂をいくら擦り減らしても駄目だった……それではの器には及ばなかった……」

 

「諦めかけていた……もうお前の心も身体も保たないと思っていた……だが……お前は橘咲に出会った……!!」

 

「愛だ……自分を捧げる献身的な愛……!! 全てを滅ぼしてもあの娘を守りたいと思った愛が……お前に神の器たる資格を与えたんだ……!!」

 

 父はナイフで丹村の胸をそっと撫でた。

 

「お前を産んで良かった……お前を神の依代として捧げれば、私はまた……母さんに、恵子に会うことが出来る……!!」

 

 そう言って父は息子の胸を横一文字に切り裂いた。

 

 どくどく……と鼓動に合わせて血が溢れ、丹村の呼吸が苦しくなる。

 

「や゙め゙で……」

 

「安心しなさい……もう一度お前は父さんと母さんが産んでやる。橘咲もお前が年頃になったら、今の姿で生き返らせる……これで皆が幸せになれるんだ……!!」


 父は狂気の笑みを浮かべたまま、丹村の傷口に手を差し入れた。

 

 同時に冷たい感触が丹村の心臓を握りしめるのが分かる。

 

「偉大なるニムロドよ……息子の心臓をお捧げします……引き換えに恩寵を賜り、妻の身体を冥界から呼び戻し給え……!!」

 

 ぶちぶち……と音を立てながら心臓の動脈が引き伸ばされて千切れていく。

 


 どっ……どっ……どっ……どっ……



 引きちぎられた己の心臓が、父の手の中でなおも脈打っているのが見えて、丹村は長い長い悲鳴を上げた。



 同時に篝火が燃え上がり、鼓動に合わせて打ち鳴らされる信者たちの地団駄と雄叫びが、丹村の悲鳴を掻き消してしまう。

 

 金色の偶像は信者たちの声に応えるようにして滑らかに腰を曲げると、顔を地上に近づけ、父の手から心臓を受け取り舌に乗せた。

 

 

 ぷじゅ……

 

 小さな音だった。

 

 小さく間抜けな断末魔を残して、丹村の心臓が口内で弾けた。

 

 



「嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼……!!」

 

 丹村は片方の目からドロドロと血を流しながら叫び声を上げた。

 

 それを見た犬塚は動けぬ身体を無理やりに起き上がらせようとした。

 

「動きやがれええええええええええ……」

 

 体中の筋からミチミチと厭な音がするのも構わず犬塚は上体を起き上がらせて父に向けて引き金を引いた。



 しかし銃弾は父の額を撃ち抜く寸前で、ピタリと動きを止める。


 見ると、片目が溶けて無くなった丹村が、不思議そうな顔をしてこちらを眺めていた。



「我の下僕に弓を向ける……この愚か者は誰じゃ?」


 変声機を使ったような、上ずった低い声だった。


「誰だてめえは……? 丹村を……返せ……!!」

 


 丹村は無表情のまま、一つだけのまなこを大きく見開き不気味な声で答えて言った。


「口を慎め。我はこの地上に降り立った神々の初穂。ニムロドである」

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