2-35【それは誰が為の聖歌か】  

 

 車内に緊張が走り大声が飛び交った。

 

 診療所が近づくにつれて丹村の痙攣は激しさを増し、ぐるりと裏返った目玉が不自然な方向に動き回る。

 

「丹村くん……丹村くん……」

 

「おい……!! どうなってる!? 呪いは距離の制約じゃなかったのか!? どんどん酷くなってるじゃねえか!!」

 

「時間の可能性があるとも言いました……!! そんなことより、なんとか呪いの進行を食い止めないと……」

 

 そう言って真白は聖書を開いた。

 

 その中から一節を読み上げようとしたその時、グルグルと不規則に動く丹村の両の黒目がじろりと真白を捉える。

 

「丹村くん!?」

 

 そう呼びかけるのとほとんど同時に、丹村が真白の聖書を払い除けて叫び声を上げた。

 

「やめろぉぉぉおおおお……!! 主を裏切る者は呪われます…!!裏切り者は産まれないほうがよかった…産まれないほうがよかったああああああ…!!」


「怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い」


「丹村くん落ち着いて!! わたし達は誰も丹村くんに危害を加えたりしません!!」


 叫んだかと思うとガタガタと震えだした丹村に真白は落ち着くように促すが無駄だった。


 震える丹村を抱きしめながら、橘は意を決して口を開いた。


 恐慌に見舞われた車の中で、始めそれは誰の耳にも届かなかったが、橘の震える賛美の歌声が車内に充満していく。



「あなたも……其処に居たのか……主が十字架に……ついた時……」


 悲しい響きを伴って、橘は震える声で賛美を口ずさむ。


「嗚呼……今……思い出す……と、深い……深い……罪に……わたしは震えて……くる……」


 敬虔な父と母が好んで口ずさんだその歌に縋るように、懇願するように、橘は丹村を抱きしめながら歌う。



 パパ……ママ……神様……


 どうか丹村くんを助けて……


 

 いつの間にか橘の目からも、丹村の目からも涙が溢れていた。


 こぼれた涙が、二人の手の中で混じり合う。




 丹村の震えが小さくなっていくのに気が付き、真白は犬塚に目で合図を送った。

 

 犬塚は頷き、再び車を走らせる。



 ガタガタと揺れる車には、橘の歌う賛美の歌声が流れ続けていた。


 それは賛美と呼ぶにはあまりにも個人的で、神を賛えた美しさではなく、悲壮と哀願とに満ちている。



 しかしどうだろう。


 切実さにおいては、会堂で歌われる荘厳で秀麗な、どの賛美の歌にも勝り、聞く者の心を震わせた。

 

 丹村の呪いが弱まったのは、神の心さえも震わせたからなのかも知れない。


 あるいは悪魔の心を……



 丹村は流れ落ちる涙はそのままに、呼吸を整えながら、橘の手を握りしめていた。



 闇が深まった林道の奥には診療所の緑のランプが不気味な光を放っていた。

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