2-29【微睡みの中に悪魔】


 目を覚ますと橘が心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。

 

 祓魔師の……確か犬塚とかいう男は無言で車を走らせ続けている。

 

 フロントガラスの向こうはヘッドライトの明かり以外には光源の一つもない暗闇だった。

 


 一体この車は何処に向かっているんだろう……?

 


 橘に尋ねようと思ったが、声が出なかった。

 

 そんな丹村に橘は優しく微笑みかけ、汗で濡れた前髪をわけて優しくおでこに触れてくれる。

 

 その手の温もりが心地よくて、丹村は再び目を閉じた。

 

 瞼の裏、薄闇の奥に、遥か遠い記憶の風景が蘇った気がした。

 

 白いリネンのシャツを着た髪の長い女性が丹村に優しく微笑みかける。

 

 緩く巻いた茶色がかった髪を耳にかけながら、女性はこちらに手を伸ばした。

 


 なんとしても……何を支払っても……この手を掴まなければ……

 


 強い衝動だった。ただならぬ危機感を孕んだ強い衝動だった。


 咽頭を突き破って血みどろの腕が姿を現すのではないかとうほどの、尋常ならざる強い衝動が丹村の中に沸き起こった。

 

 

 しかし女は瞼の裏の幻影に姿を消していく。

 

 必死になって突き出す丹村の手を温かい何かが包みこんだ。

 

 

 再び目を開けると、そこは白い壁紙の貼られた小さな部屋の中だった。

 

 勉強机には綺麗に整頓された参考書や教科書が並んでいる。

 

 薄いピンク色の掛け布団やぬいぐるみを見るに、どうやらここは少女の部屋らしい。

 

 丹村が戸惑っているとガチャリと音がして扉が開いた。

 

 そこには橘が立っている。

 

 するりと丹村の横を通り過ぎて、橘はベッドの脇で立ち止まった。

 

 橘……?

 

 やはり声が出ない。

 

 椅子に座って橘を眺めていると、今度は黒い人影が丹村の前を横切った。

 

 

「咲ちゃん」

 

 その声に丹村は酷い嫌悪感を抱いた。

 

 身なりの良い中年の男は橘の背後に近づくと、無遠慮にその両肩に手を乗せる。

 

 橘が震えているのがわかり、丹村は立ち上がろうとしたが身体はぴくりとも動かない。

 

 

「今日はね。アレも家にいないから……二人きりだから……」

 

 

 丹村は橘の過去が詳細に記されたビラのことを思い出す。

 

 

 やめろ……

 


「どうすればいいかわかるね? 居場所が無くなったら困るよね?」

 

 

 やめてくれ……

 

 橘は跪くと男のズボンに手をかけた。

 

 同時に男の身体が小さく震えるのが分かって丹村は出ない声を枯らして叫びまくった。

 

 

 じゅぼ……じゅぼ……

 

 汚らしい水音が小さな部屋に響く。

 

 じゅぼ……じゅぼぼぼぼぼ……

 

 徐々に大きくなる音に合わせて男の身体が大きく震えた。

 

 

 男は果てるとベッドに腰掛け、橘にもベッドに座るように促す。

 

 その時涙に濡れた橘の目が、丹村の目を捉えて言った。

 

 

 助けて……

 

 

 乱暴に衣服を剥ぎ取られる橘を残して、丹村の意識は再び闇の中に沈んだ。

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