2-28【殉教者の叫び】
犬塚が去った後、独り部屋に取り残された真白は壁に打ち付けた拳から伝わる鈍い痛みを噛み締めていた。
自分だって、出来ることなら被虐待児童を守りたい……
しかし、真白の脳裏に先の出来事が蘇る。
一匹の悪魔相手に手も足も出なかった自分達。
特公は犠牲を厭わない冷酷な組織ではあったが、信憑性の無い情報で動くような組織でもないことを、真白はよくわかっていた。
特別公安がわざわざ出てきたということは、この案件の危険等級が ”悪魔顕現の可能性” を孕んでいることを示唆している。
アレが顕現するリスクを考えれば……
少々の犠牲は致し方ないじゃない……
その時真白のデバイスから呼び出し音が響いた。
「はい……こちら辰巳……」
「浮かない声だね……さては賢吾くんが何かしでかしたかな?」
京極は意外なことにいつもの軽い調子でそう言った。
真白は覚悟を決めて京極に切り出す。
「実は……」
「なるほどね……それで単独行動を取って出て行っちゃったと……」
「申し訳ありません……止めることが出来なくて……今から探して連れ戻します……」
そう言って通信を切ろうとする真白を京極が呼び止めた。
「待ちなさい。それよりも君に聞きたいことがある。どうしてすぐに賢吾くんを止められなかったんだい?」
「え……?」
予期せぬ質問に真白は硬直した。
するとデバイスの向こうから京極の穏やかな声が言う。
「何か思うところがあったんじゃないのかい? ”汝己を知れ” 自分の心をちゃんと把握しないと、これから君が戦う相手には勝てないよ?」
真白はしばらく黙りこくってから小さな声でつぶやいた。
「わたしは……悪魔の顕現を恐れて……命令を盾に児童を見殺しにしようとしました……犬塚さんは……多分そのことを見抜いてたんだと思います」
「そう。それで? 君の弱さを見抜いた賢吾くんが全て正しいのかい?」
「そういうわけでは……先輩は無茶ばっかりだし、大局を無視して目先の感情と……被害児童のことしか見えてませんし……」
「知ってる。だから彼はずっと一人で、D級の案件しか回せなかった。だが今は君がいる。彼に足りなかったものは君が持ってる。それに……」
「彼もまた、君に足りないものを持ってるんじゃないのかい?」
その言葉に真白は自身のつま先を睨んだまま固まった。
「経験と行動力……」
真白は誰にともなく力なく呟いた。
「そうだね。賢吾くんは協調性の欠片もない鉄砲玉みたいな奴だ。君にとっては御しがたく手を焼く監督対象だろう。だけどね……僕はそれが彼の強みだとも思ってる」
「どういう意味ですか?」
「君も知っているだろう? 組織というものの融通の利かなさを。それは何に起因すると思う?」
真白はしばらく考えてから慎重に口を開いた。
「自己保身……でしょうか……?」
「そうだ。自分の責任で問題が起こることを誰もが恐れてる。だが賢吾くんはそれを恐れない。僕はね、彼の無鉄砲さが、いつか教会の淀んで腐った空気に風穴を開ける日が来るんじゃないかと思っているんだよ」
「でも……そんなの無責任です……先輩が無茶するのを黙って見過ごして鉄砲玉にするなんて……」
弱々しくそう言った真白とは反対に、今度は力強い声で京極が言った。
「いいや。無責任とは自分に課せられた責任を放棄することだ。君の責務は無茶ばかりの賢吾くんをうまく操って、被虐待児童を救うことだろう? それとも弾丸が飛び出すことを封じることが君の責任なのかい?」
その言葉で、死んでいた真白の目に小さな火が灯った。
「”汝己を知れ” 君達二人の持っているものをよく理解するんだ。銃は本体だけで弾を撃つことは出来ない。撃ち手がいて、初めて弾丸は敵を貫くんだよ。それに君はまだ言葉にしていないことがある。君は賢吾くんと言い争った時、本当はどう思っていたんだ?」
「わたしは……」
真白はそこで再び言葉に詰まったが、もう一度顔を上げた時、その表情はもう先程までの弱々しいものではなくなっていた。
真白は覚悟を宿した強い口調で宣言する。
「もう誰も犠牲にしたくありません……!!」
「面接の時にも君はそう言っていた。だから僕は君を採用した。さ! 話は以上だ! 現場で予期せぬ事態が起こった場合、権限は君に一任する。早く予期せぬ事態を解消しにいきたまえ!!」
「わかりました。ありがとうございます! でも最後にもう一つだけ!! 先輩が言ってたあの時について教えてください。先輩が話していた時はアキラくんのことかと思いました。でもよくよく考えれば、アキラくんの事件と特公は無関係です。わたしが来る前に、犬塚さんと特公との間に一体何があったんですか?」
それを聞いた京極は重たい溜め息をついてから低い声で答えた。
「三年ほど前のことだ……賢吾くんが救出した被虐待児童の親は、酷く子どもに執着していてね。一時はどこかに逃げて身を潜めていたんだが、子どもを取り返そうと動き出した」
「急襲部隊を送ったが返り討ちにあい、事態を重く見た特公は罠を張ることにしたんだ。その罠におびき寄せるための餌が……」
「被虐待児だった……」
真白は思わずつぶやいた。
「そういうことだ。その時、児童の希望で賢吾くんも現場にいた。必ず守ると約束していたらしい。だが特公は……囮の児童もろとも悪魔憑きの母親を爆破した」
「そんな……」
「大局を見れば間違いではないだろう。一人の犠牲で何人もの命を守ったんだ。上も児童の死を尊い犠牲として殉教扱いにした。だが、賢吾くんは今もそのことに納得していない」
「さあ。時間は有限だよ? 今は考え込んでる場合じゃない。君の責務を果たしなさい。神の祝福があらんことを」
真白は袖で目元を拭うと、力強くドアの方へと踏み出した。
その目には再び強く紅い光が灯っていた。
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