2-26【ポルピュリオスの影】

 

 ある日の深夜、孤独死した爺さんが運び込まれてきた。

 

 連れてきたのは黒い服を着た知らない男の人だった。

 

 ぼ、俺は父さんに言われてその日は起きてたんだ。

 

 父さんは死体が乗ったストレッチャーを処置室に運ぶ時、俺を呼んで手伝わせた。

 

「これは死後一時間ほどの新鮮な死体だ……これなら可能かもしれない……」

 

 そう言って父さんは裸の死体の身体に彫刻刀みたいなナイフで……

 


 呪文を刻んでいった……


 

 ぼく……俺はそれを毎日粘土に練習するように言われてたから、それで……

 

 父さんを手伝って、一緒に死体に呪文を刻んだ……

 

 呪文を刻み終わったら、今度はいつものステンレスパイプで血を抜いて、それを……

 

 何処から手に入れたのかはわからないけど、生きてる猿の血と入れ替えたんだ……

 

 猿は四匹いたんだけど、四匹目の途中で血が満たんになって……

 

 父さんは死体の身体をベルトで台に固定してから僕に言った……



「祈りを……」


 二人で跪いて神に祈った。



「あと必要なのは血の犠牲と痛みだ」

 

 そう言って父は自分の身体にメスで小さな切り傷を作って見せた。


「お前もやりなさい……」


 そう言って父はもう一本メスを取って僕に手渡した。 




 震える手でメスを握って、僕も手の甲に小さな傷を作った。


 凄く怖かったけど、思ったほど痛くはなかった……



 身体をメスで傷つけながら血を流して必死に祈っていると……

 


 ガタン……!!

 

 がたんがたんがたん……!!

 

 って音がして、死体が暴れ始めたんだ。

 

 死体はキィキィ叫び声を上げて、僕はそれが凄く怖くて……でも……父さんは……

 

 それを見て、泣きながら嗤ってたんだ……

 

 

 丹村はそこまで話すとぐったりと項垂れ、肩を震わせ泣いた。

 

 どんどん街から遠ざかる車の中で咽び泣く丹村の背中を橘はさすり続けていた。

 

 犬塚は黙って車を運転し続けていたが、街外れの寂れたモーテルの前で車を停ると、重たい口を開いた。

 

「着いたぞ」

 

 丹村と橘はそれを見て小さく緊張する。

 

 思春期の二人にとってその場所は、どうしてもに意識が向いてしまう所だった。



「ここって……?」 



「勘違いすんな。俺の連れがここに迎えに来る。気のいいジジイだから心配するな。お前らを連れて行くわけにはいかねえからな……」

 

 そう言って再び煙草に火を点けた犬塚に丹村が詰め寄った。

 

「行くって何処にだよ? まさか……」

 

「ああ。お前の親父を捕まえに行く。それまでお前らは俺の連れの所に隠れてろ。安全だし信用できるやつだ……」

 


「駄目だ……!! 父さんは虐待なんかしてない……!! 捕まえるなんて、俺が許さない……!!」



「丹村くん……」 


 その言葉に橘は悲しそうな声でつぶやいた。しかし丹村の耳にはその声が入っていないのか、運転席の犬塚の服を掴んでなおも叫ぶ。


「父さんは母さんに会いたいだけなんだ!! 母さんを愛してるんだ!! なんでそれで捕まるんだよ!? 捕まったらどうなるんだよ!?」


 犬塚は点けたばかりの煙草をもみ消すと、振り返って丹村の胸ぐらを掴んだ。


「お前がどう思おうと勝手だが、お前の親父がしたことは間違いなく虐待だ……現にお前の心は壊れちまってんだろうが? 嬢ちゃんと生き延びれば、いつか必ず良かったと思える日が来る……親父のことは諦めろ……」

 

 丹村は黙ったまま、涙を溜めた目で犬塚の目を睨みつけた。



 その時無音の車内に橘のか細い声が再び響いた。



「丹村くん……」

 

 今度は丹村の耳にもその声がはっきりと聞こえ、丹村は慌てて橘の方を振り返る。

 

「わたし……何があっても丹村くんと一緒にいる……。だから……」



「丹村くんが思う通りにすればいいと思う……」

 

 

 その言葉で犬塚の服を掴んでいた丹村の手がだらりと垂れ下がった。

 


 大事にしなさい……

 

 脳裏に父の言葉が蘇る。

 

 丹村は両手で頭を掻き毟りながら、何度も何度も後部座席のシートに頭を打ち付けた。

 

 泣きながら、喚き散らしながら、しばらくそうしていたかと思うと、やがて丹村は膝の上に置いた両手に顔を埋めて小さな声でつぶやいた。


 

「橘と……ここに残ります……」

 


「わかった。もうすぐ連れがくる。それまでこの部屋で……」

 

 そう言って犬塚が鍵を渡そうと目を離した瞬間、橘の悲鳴が響き渡った。

 


「犬塚さん……!! 丹村くんが……!!」

 


 見ると丹村は白目を向いて泡吐きながら、手足をバタつかせて激しく痙攣していた。

 

 

 †

 


「何処にも逃がしはしないぞ……道隆……」

 

 そう言って丹村の父は、ねっとりとした血で満たされた乳鉢に、丹村を象った人形を浸していた。

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