2-25【闇の輪郭】
車内にはいつしか言いようのない不吉な気配が充満し、橘の背筋にはじっとりとした冷たい汗が伝った。
虐待されてるだろ?
そう言い切った祓魔師の言葉に丹村は心当たりがない様子だったが、実際はどうだろう?
母親を生き返らせるための正しい祈り方という言葉がやけに引っかかって気持ちが悪い。
それでも橘には、これから丹村の口を通して語られる陰惨な過去を黙って聞くよりほか無かった。
橘の左手はスカートの裾を固く握りしめていたが、丹村はそれに気づくことなく続きを話し始める。
「三歳の誕生日に父さんは俺にうさぎを買ってくれたんだ……」
寂しくないようにって言って、白地に茶色と黒の斑が入ったロップイヤーだったんだけど。
今も家の裏に小屋があるよ。名前は天使の名前にしようってことになってウリエルのウリって名前になったんだ。
毎日ウリの世話をするのが楽しくて、俺、幼稚園とか行ってなかったから……毎日ウサギ小屋でウリと過ごしてた。それで……
四歳の誕生日が来た。
父さんはいつもは入っちゃだめだって言うのに、その日は診療所の処置室に俺を連れて行ってくれたんだ。
俺は初めて見る処置室が嬉しくて、ウキウキしながら置いてある機械や医療器具を眺めてた。
そしたら父さんが、俺を抱きかかえて、診察台の上を見せたんだ。
そこには横たわって目を閉じたまま、動かないウリがいた。
「ウリは死んだ。悲しいか?」
父さんの声が耳元で囁いた。
俺は、すごく悲しくて、いっぱい泣いたから、父さんに返事が出来なかった。
そしたら、父さんは凄く怒って言ったんだ。
「道隆……!! 悲しむだけじゃ何も変わらないといつも言ってるだろ!? 泣いてるだけでウリが生き返るのか!?」
って。
俺は、びっくりして必死で首を振ったんだ。
そしたら父さんは俺を診察台の上に乗せて……
「キリストは死者を復活させた。だがキリストにいくら祈ったところでウリは蘇らない。所詮人間の祈りなど、神には届かないのだ……だから、今からお前に本当の祈りを教える。死者を蘇らせ、悲しみを消し去り、神が押し付ける理不尽を跳ね除ける祈りだ…」
そう言ったんだ。
父さんはそう言って、台の下から正方形の金網を引っ張り出してきた。
中にはウリとは違う、別のうさぎが入ってた。
「聖書には血の中にこそ魂が宿っていると書かれている」
大きな機械に繋がったステンレス製の先の尖ったパイプを手にとって父さんは言った。
それがすごく冷く光ってたのを今でも覚えてる。
カタカタカタカタ……
丹村の足は震えを増し、今や声まで震えていた。
橘は必死で丹村の身体をさすったが、震えは止まらない。
しかし身体の示す反応とは裏腹に、丹村の口からは、取り憑かれたように次々と言葉が溢れてくる。
と、父さんはそれを俺に手渡して、言うんだ……
「ウリの血を抜け。ここがウリの大静脈だ」
ウリは心臓と首の間の毛が剃られてた。
そこにはマジックでバツ印が書いてあって、子どもの俺でも針を刺す場所を間違えないようになってた。
俺は、今度は怖くて涙が出た。
そんな俺に父さんは言ったんだ。
「刺さないなら、ウリも、このうさぎも燃やす。そうしたら、もう二度とウリには会えないぞ……」
って……
俺は、ウリと離れたくなかったから、ウリを、ウリを刺した。
そしたら、機械が動いて、針に繋がったチューブの中に、黒っぽい血がじゅぼぼぼぼぼって音を立てながら吸い込まれていったんだ……
ウリは萎びて少しだけ薄っぺらくなった。
ウリの血と一緒に、ウリの魂も何処かに消えてしまったような気がした…
父さんはそれを見届けると、今度は生きてるうさぎに何かの注射を刺した。
そしたら、そのうさぎは動かなくなって、目をカッと見開いたまま息をするだけになったんだ……
「今度はこのうさぎに針を刺せ。その血をウリに移す」
そう言って父さんは、ウリに刺した針のチューブを別の機械に繋いだ。
その機械からはもう一本針付きのチューブが伸びてて、俺は……
丹村は自身の両肩を抱きながら震えた声で言った。
「俺はその針を、生きてるうさぎに刺した……」
目が、うさぎの目が、こっちを見たんだ。
幻覚かもしれないけど……そのうさぎが口を動かして言ったんだ。
「お前は呪われた」って……
びっくりしてウリの方を見ると、ウリも目を開いてた。
それでウリみたいな何かも言ったんだ。
「お前の祈りは確かに聞かれた」って……
その時から……俺はずっと……父さんの研究を手伝ってる……
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