2-22【罪なき咎人達】  

 

 丹村が黒板に目をやると、これみよがしに赤いチョークで書き殴られた文言に震えが走った。

 


 ”橘咲は悪魔崇拝者”



 教室の後ろに設けられた掲示板にはまるで極悪人のような顔をした橘が印刷されたポスターが何枚も何枚も貼り付けられている。



 ”悪魔に与する者に神の裁きを”



 センセーショナルなスローガンだけでは飽き足らず、その目にはご丁寧に画鋲が打たれていた。




「お前のせいで皆どれだけ迷惑してるかわかってんの?」

「あんたの面談のせいでライブのチケットパアになったんだけど!? 弁償しろよ!! この悪魔女!!」

「いつも静かにしてる理由がわかったわ……目立たないように隠れてたんだろ?」

「私のおじいちゃんはアポカリプス戦争で悪魔に殺された……こいつも人殺しの仲間よ……」

「てかさ……悪魔崇拝者見つけたら報奨金とかもらえんじゃない?」



 丹村の全身を熱い血が駆け巡る。

 

 教室に響く罵声がまるで聞こえない。

 

 耳に感じるのは煉獄に燃え盛る灼熱の感触だけだった。

 

 橘は丹村に気が付くと泣き出しそうな顔で小さく首を横に振る。

 

 

 この期に及んで……

 

 俺の心配なんかするなよ……

 

 

 橘に群がるクラスメイト達に、古びた映像が重なる。

 

 魔女裁判にかけられた怯えた顔の村娘が橘に重なり合う。

 

 つばきを浴びせかけられ、役人に詰問されるキリシタンが見える。

 

 

 怒りの矛先を求めて弱者を蹂躙する、罪なき咎人の群れをかき分け、丹村は橘のもとへと突き進んでいった。

 

 

「どけよ……橘はそんなやつじゃない……」

 

 丹村は野次馬を突き抜けるなり、橘を見下ろすように取り囲むカースト上位の生徒達に向かって低い声で言った。

 

「はあ? なんなん? もしかして彼氏!? あんたら付き合っての!?」

 

 その中の女生徒の一人が大袈裟な声で叫んで言った。

 

 その言葉で橘は耳を思わず耳を赤くする。

 

 それを見た女生徒は蔑むような、面白がるような笑みを浮かべて丹村と橘を見比べ言った。

 

「まじでやめときな? こいつ悪魔崇拝者だよ? あんたまで犯罪者になっちゃうよ?」

 


「橘が悪魔崇拝者だって証拠はないだろ……くだらないからまじでやめろよ……こういうこと……」


 丹村がそう言って睨みつけたのが気に障ったらしく、女生徒はあからさまな敵意を向けて丹村に言う。



「じゃあこれ読んでみろ!! 全員のロッカーと机の中に入ってた!! 誰がやったか知んないけど、橘も否定してないから!!」



 そこには橘の生い立ちが書かれていた。


 両親が死んだこと、叔母の家に引き取られたこと。


 そこで義理の叔父に虐待されていること……


 叔父を呪って自室で丑の刻詣りを繰り返していること、両親が生き返るように毎晩祈っていること……



 そのどれもが部外者の知り得ない詳細な情報だった。


 丹村はそれを見つめて思わず息を呑んで固まってしまう。



 連れの男子生徒がニヤニヤ笑いながら机の上に紙袋の中身を広げた。

 

「残念だったな。彼女が悪魔崇拝者で。でも証拠はそれだけじゃねえ。コレ全部悪魔崇拝者の本だろ? コイツのロッカーに入ってたらしいぜ? 本好きの丹村くんなら分かるんじゃね?」


 

 机にぶち撒かれたブラヴァツキーやアレイスタークロウリーの著書に紛れて、丹村の貸した遠藤周作が覗いている。

 

 別の女生徒がその中の一冊を取って中を見るなり、顔を顰めて本を放り投げた。

 

「きっしょ……マジで気持ち悪いんだけど……」

 

 それを見た男子生徒も同様に本を手に取った。


 大袈裟に気持ち悪がってから、中身が見えるように広げて群衆に掲げてみせる。

 

 開いた頁には獣と交わる女の挿絵が描かれていた。

 

「マジでヤバいって……こんなん持ってる時点で言い逃れできなくね?」


「証拠としてこれは全部没収しまーす」


 そう言って紙袋に本を詰めていくはずみで、丹村の貸した『沈黙』が床に落ちた。


 橘はそれに気が付き飛びつくようにして本を胸に抱える。

 

「おい!! 何取ったんだよ!? 寄越せよ!!」

 

 そう言って男子生徒が乱暴に橘を引っ張った。

 

 それを見た丹村の中で、何かが音を立てて破裂する。

 


「橘に触るなあああああああああああ……!!」



 そこから溢れ出たどす黒い血の衝動にまかせて、丹村は雄叫びを上げながら男子生徒に殴りかかった。

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