2-15【ベテルギウス】


 丹村が言葉を発するのと同時に、冷たい一陣の風が土手を吹き抜けた。

 

 その風は「え……?」とこぼした橘の声を何処かへさらって消えてしまう。

 


宣教師パードレ達は日本を、野蛮な民族が住む精神的にも文化的にも劣った国だと思っていたんだ」

 

「だけど実際にそこを訪れた宣教師は、勤勉で自分の命さえ顧みないな日本人の姿に驚きを隠せなかった」


「宣教師達がどれだけ知っていたかは分からないけれど、イエズス会のやったことは布教活動とは名ばかりのスパイ活動だったと言われている……」


「善人面して、腹の奥では侵略する機会を伺う獰猛な侵略者」

 

「それはそのまま、今のキリスト教会にも当てはまる……神を信じ、隣人を愛せと説きながらも……その実体は……」

 

 

 そこまで捲し立てるように話していた丹村の背中に温かな何かが触れた。

 

 その感触に丹村は驚き、言葉を失い固まった。

 

 

「大丈夫……大丈夫……」

 

 そう繰り返しながら橘は優しく丹村の背中をさすり続ける。

 


 丹村はひどく混乱した。

 

 彼の中で膨れ上がってきた自尊心は、彼女の手を払いのけようと猛り狂う。

 

 それなのに、身体は小さく震え、両目からは涙が零れ落ちた。

 

 温かく、心地よく、たまらなく悲しい。そして疎ましい……



「ごめん……キモくて」

 

 感情の全てを呑み込んで丹村が言った言葉はそれだった。

 

 立ち上がり、その場を去ろうとする丹村の手を橘が掴んで言う。

 

「キモくなんてない……」



 反論しようと睨んだ橘の目には、丹村と同じように涙が光っていた。



「優しくて、かっこいいと思う……」

 

 目にいっぱいの涙を溜めながら、精一杯の言葉を紡ぐ橘の姿に、丹村はただただ立ちすくむ。

 


「なんで俺なんかに構うんだよ……」

 

 言うつもりのなかった言葉が思わず漏れた。

 

 橘は少しだけ俯いてから顔を上げ、はっきりとした声で話し始めた。

 

 

「わたしも独りぼっちだから……両親が死んじゃって、親戚の家に引き取られたの。そこには居場所がないから……丹村くんも同じな気がしたから……」

 

 徐々にか細くなっていく橘の声に、丹村の中の敵意もしぼんでいく。

 

 小さく「ごめん」と呟く丹村に橘は無言で首を振った。

 


 いつの間にか空は深いすみれ色に変わっている。

 

 東の地平の上空には、煌々と輝くベテルギウスが赤い光を放っていた。

 

 短い命を燃やしながら、薄闇の寒空にぽつんと光るベテルギウスに見守られながら、気がつくと丹村は橘の手を握り返していた。

 

 

 

 

 

「また……明日……」

 

 頬を紅く染めた橘が小声で言う。

 

「また明日……」

 

 丹村も小さく答えた。

 

 二人は顔を見合わせるとクスクス、くくくと小さな声で笑い合うのだった。

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