2-14【疑惑と美】

 

 校長室を後にした二人は無言のまま廊下を歩いていた。

 

 人気が無いのを見計らったかのように犬塚が口を開く。


「おい……あの校長どう思う?」

 

「少々出来すぎですね」


 真白は前を向いて歩いたまま静かに答えた。

 

「だが嘘をついているニオイはしなかった……」

 

 犬塚は眉間に皺を寄せてそう呟く。

 

 真白は口元に手をやり、やはり前方を睨んだまま言った。

 

「しかし……それでと決めつけるには早すぎますね。先輩が血のニオイを感じた時、前田校長はどちらの現場にも居合わせていますし……」

 

「だな……奴が何かしらこの件に関わってるなら、いずれ尻尾を出すはずだ」

 

「まずは彼の言う通りに面談を行いましょう。被害児童の発見を第一に捜査を進めます。もう二度と……あんなことにならないためにも」

 

「ああ……」

 

 二人の間に重たい沈黙がおとずれた。

 

 斜陽が差し込む廊下には、窓枠と柱の描く黒い影が葬儀の参列のように粛々と音もなく並んでいた。

 

 それは過ぎ去ろうとする太陽を悼むようであり、不吉な暗示のようでもある。

 

 二人の祓魔師はその不吉を振り払うように真っ直ぐに進んでいった。


 拭えぬ過去をズルズル……ズルズル……と、引きずりながら……

 

 

 

 †

 

 

 茜色に染まった河川敷の土手に腰掛ける丹村の隣では、真剣な眼差しで橘が『沈黙』を読んでいた。

 

 ランニングする運動部の掛け声が遠く離れていくと、あたりに心地良い沈黙がやってくる。

 

 丹村は「初めはページ数の少ないものを」とこの本を選んだが、どうやら取り越し苦労だったようで、橘は躓くこと無く、生真面目に黙々と頁をめくっていく。

 

 丹村も読みかけのアイン・ランドを開いてはいたが内容が頭に入ってこなかった。

 

 ちらちらと橘を盗み見ては、彼女が目を輝かせ、時には険しい表情を浮かべ、あるいは小さく涙を拭うのを確認する。

 

 その度に、言葉に表すことが出来ない満足感が丹村の胸の中にじわりと広がっていった。

 

 自分が感じた感動を、痛みを、そして涙を、橘も感じていることが嬉しかった。

 

 丹村は、自分に付きまとっていた薄ら寒い影が、いつの間にか、なりを潜めていることに気づく。

 

 そのことに驚き戸惑っていると、パタン……と本の閉じる音がした。

 

 

「こんな世界があるんだね……」

 

 橘は静かに感慨深げにそう呟いた。

 

「この作品を書いたせいで、遠藤周作はクリスチャンから異端扱いを受けることになるんだ」

 

 丹村は消えゆく夕日を見ながらそう言った。

 

 どうしてそんな話をしたのか仁村にもわからない。

 

 何を言えばいいか分からず、咄嗟に口をついた陰気な内容に、丹村は思わず苦虫を噛む。

 

宣教師パードレ棄教したころんだから……?」

 

 橘は目を丸くして慎重に包を開くような声で尋ねた。

 

 丹村はそんな彼女の反応を見て小さく安堵する。

 


 そして視線を虚空にやってから、同じように慎重に言葉を選んだ。

 

「多分、キリスト教の精神よりも、辺境のキリシタン達が美しかったから……」

 


 そう彼らは純粋で気高く、間違いだらけで、美しかったのだ。

 

 異国の宣教師がもたらした神の教えを歪に、しかし愚直に信じ、己の命さえ顧みず宣教師たちを庇ったキリシタン達。


 踏み絵を拒んだ末に、糞尿の敷き詰められた穴の中に何日も逆さ吊りにされ、額に付けられた小さな切り傷からポタポタと命を滴らせたキリシタン達。

 

 残酷極まる責め苦の果てに神の国パライソに昇天する彼らの姿は、豪華絢爛に着飾ったどの祭司たちよりも、美しかったのだ。

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