2-7【花の匂い】
鋭い痛みが太腿に走り丹村は困惑した。
どくんどくんと鼓動に合わせて血の吹き出す感触に次いで、脛まで流れる熱い血の感触がする。
振り返ると校長室の扉の前から引きずるように血の跡が出来ていた。
しかし周囲の誰もそんなことは気にもとめない様子で、ある者は談笑し、あるものは荷物を抱えて通り過ぎていく。
俺はおかしくなったのか……?
足を引きずり角を曲がると、勢いよく扉の開く音がした。
それと同時に足の痛みが無くなり、先程まで見えていた血の跡も綺麗さっぱり消えている。
壁に寄りかかり目を閉じていると、ふと瞼の裏の闇が色濃くなった。
恐る恐る目を開くと、そこにはクラスメイトの
「丹村くんどうしたの……? 具合悪いの……?」
「別に……ちょっと立ち眩み」
丹村はそう言って立ち上がると、彼女を無視して歩き去ろうとした。
「丹村くん!!」
その声があまりに悲痛な響きで、丹村は思わず立ち止まる。
優しく声をかけてくれた相手に対する自分の仕打ちに酷く罪悪感を覚えた。
けれども丹村はそれ振り払うように小さく「ごめん」と呟いて足早にその場を去っていく。
……周りの馬鹿どもと交わるな。お前は特別な人間だ……
やりきれない感情を逆撫でするように父の声が脳内に響いた。
大声で談笑する運動部の男子たちを横目に丹村は苦々しい気持ちを噛み締める。
さっさと家に帰って読みかけだった本の続きを読もう。
そう自分に言い聞かせて自転車置き場にたどり着くと、鍵が無いことに気づく。
橘に声を掛けられたせいで、慌てて出てきてしまったが、教室に鞄を残したままだった。
また来た道を戻るのはたまらなく憂鬱だったが、歩いて帰る気にもなれない。
丹村が小さな声で悪態を吐くと、不意に鞄が差し出された。
ふわ……と甘い香りがして丹村が振り返ると、そこには橘が立っていた。
「はい……私のせいで忘れたんじゃないかと思って……」
橘から鞄を受け取り、丹村は小さく頭を下げる。
開いた鞄の隙間からはアイン・ランドの『肩を竦めるアトラス』が覗いていた。
「本、好きなの?」
橘はそれを指差しておずおずと尋ねる。
「別に……好きとかないし……」
そう言って目を合わせない丹村に、橘はなおも質問した。
「でも、詳しいよね? いつも本読んでるし……」
返事をしない丹村に橘は思い切って言ってみた。
「よかったら……おすすめの本とか教えてくれる……?」
やはり無言のままの丹村に、橘は肩を落とすと「ごめん」と呟いてその場を去ろうとした。
「好みとか……あるから、それがわからないとおすすめ出来ない」
背後から丹村の声がして、橘は目を丸くした。
それから嬉しそうにはにかんで言う。
「わかった! 考えとく! また明日!」
そう言って走り去り小さくなっていく橘の後ろ姿を、丹村はじっと眺めながら、小さく呟いた。
「また明日……」
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