2-6【血のニオイ】
郊外の山麓に位置する美深高校は周囲を田んぼに囲まれた長閑な田園風景の中に佇んでいた。
日当たりが良い平野部と川幅の広い緩やかな流れの河川敷は、運動部の生徒たちの恰好のランニングコースになっている。
平均的な偏差値かつ、長閑で落ち着いた雰囲気の美深高校は、魔障虐待とは無縁のように思えてならなかった。
そんな田舎道を黒のビートルが砂埃を巻き上げて駆け抜けていく。
吸い殻で満杯になった灰皿に、無理やり次なる吸い殻を捩じ込みながら犬塚が毒づく。
「くそが……何で俺がこんな目に……」
「先輩が特公と揉めたからですよ」
「お前の兄貴だろうが……お前が揉めてなきゃああはならなかった」
「もう兄じゃありません。わたし家を出てますから」
「屁理屈女が……」
そんなやり取りをするうちに、車は美深高校の敷地に入った。
正門に立てられた案内に従って駐車場に回ると、穏やかそうな用務員の男性が手を振って二人を出迎える。
「どうもどうも! ここで用務員をやっとります。服部でございます!」
「極東聖教会、魔障虐待対策室の辰巳真白です。本日は魔障虐待の未然防止キャンペーンのことで挨拶に伺いました」
「ええ! ええ! 校長先生から案内を仰せつかっとります! どうぞこちらへ! 校内を一通り案内してから、校長室にお連れしますよ」
そう言って服部は二人の前を歩き校内を見せて回った。
すれ違う生徒たちが元気に挨拶してくる。
犬塚は相変わらずの仏頂面でポケットに手を入れながら歩いていたが、数人の男子生徒と話す内にいつもの調子に戻っていた。
そんな犬塚を見て真白が思わず呟いた。
「先輩って子ども好きですよね……?」
ピクリと犬塚の眉間が動いたが、犬塚は思いの外落ち着いた声で返事をした。
「好きっていうより……楽だな。俺は孤児院で育った。そこでいつも周りを訳アリのガキに囲まれてたんだよ」
真白は犬塚の目をさり気なく覗き込んだ。
その瞳の奥にはどこか懐かしいキャンドルのような灯りが揺れている。
真白は狂犬と呼ばれる犬塚の、優しさの一端を垣間見た気がした。
「さあ着きましたよ。こちらが校長室です」
そう言って服部がノックすると穏やかな声で「どうぞ」と言う声がした。
「失礼します」
そう言って中に入ると、白髪交じりの初老の男性が優しく二人を出迎えた。
「はじめまして。校長の前田です。この度は遠いところをわざわざご苦労様です」
「壱級祓魔師の辰巳です。これも大事な仕事ですから! こちらは啓発促進マスコットのマッキーくんです」
「犬塚だ……」
そう言って犬塚はそっぽを向いた。
その様子を見て校長がクスクス笑う。
「よくわかりました! 長閑な町なので今のところ悪魔憑きの噂などはございませんが、何か協力出来ることがございましたら仰ってください。全面的にご協力させて頂きます」
そう言って頭を下げた後、校長は神妙な面持ちで二人を見比べて口を開く。
「ところで……これは私の興味のお話ですので、お断り頂いても全く構わないのですが……虎馬憑きというのを見せて頂くことは叶いませんか?」
「どうして虎馬を?」
その問いに真白が慎重な声で尋ね返した。
「いえ……トラウマを負った子どもが発症すると話を聞いております。もしそのような子どもに行き当たった時に、実物を知っていれば何かの助けになるかと……」
そう言って校長は頭を掻いた。
「やはり駄目でしょうか……?」
すると犬塚がポケットからグルグルと唸り声を上げるナイフを取り出し校長の机に突き立てる。
「ひっ……!?」
机に刺さったナイフはまるで飢えた獣が獲物を求めてのたうっているように見える。
机から抜ければ恐らく手近な者に襲いかかっていくだろう。
犬塚はナイフを引き抜きポケットに仕舞うと鼻を鳴らして言った。
「コレが虎馬憑きだ。知ってて手に負えるような代物じゃねえ……見つけたらすぐ俺達に……!?」
犬塚は言葉を区切って突然立ち上がると校長室の扉に向かって駆け出した。
勢いよく扉を開いて廊下を見渡すが、数名の生徒が不思議そうにこちらを見ているだけで、犬塚の目当ては見当たらない。
「ちょっと!! いきなり何してるんですか!?」
慌てて駆け寄ってきた真白に、犬塚は小声で囁いた。
「強烈な血のニオイがした……だが一瞬で消えた……」
「魔障ですか……?」
「わからねえ……だが……嫌な予感がする」
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