1-24【咎人は嗤う】


 凍えた心臓とは裏腹に、部屋の空気が纏わりつくような熱を帯びるのがわかる。


 じっとりと脂っぽい汗が吹き出し、呼吸が苦しくなる。


 顕現した小さな悪魔はニタニタと笑みを湛えながら、ゆっくりと焦らすように、緩慢な動作で伸びをした。


 小さな身体が大きな頭を重たそうに支えている。


 赤ん坊のようなその姿は、見るからに無防備で隙だらけだった。それなのに犬塚は動けない。


 動けば次の瞬間には、が目の前にいて自分の心臓を手に持って微笑んでいる……


 そんな不吉なヴィジョンが脳裏にこびり付いて消えなかった。




 気づけば大量の汗が頬を伝い、脇をびっしょりと濡らしている。


 身体の奥からは、まるで極寒の地に放り出されたかのように震えが沸き起こって、止まらない。



 犬塚は細く長い息を吐き出すと、低く消え入りそうな言葉を絞り出した。

 

「……お前は身体が動くようになったらすぐに逃げろ………それと……さっきはすまなかった」

 


 そう言って犬塚は慎重な動作で先程まで使っていた9mm弾を銃倉から排出すると、純銀製の357マグナム弾を再装填リロードした。


 

 しかしそんな犬塚に、真白は冷淡な声で言い返す。



「なんですかそれ? 遺言かなにかですか……? すみませんけど、そういうのお断りです」


 真白は太刀を支えに、動かぬ半身を引きずって立ち上がると犬塚を睨んで続きを口にする。

 

「それに、部下の不始末は上司の責任です。あなたには後でたっぷり始末書を書いてもらいますから……!!」

 

 犬塚は顔を顰めてそんな真白をちらりと盗み見た。


 強がってはいるが真白も必死で震えを押し殺しているのが分かった。


 それを見た途端、犬塚の脳裏に、在りし日の記憶が蘇る。



 自分をかばう大きな背中。


 傷だらけになっても、自分をかばうことをやめなかった強い腕。


 なぜだかそれが、真白に重なって見えた気がした。




「そうかよ……!! まったく気の強え女だな……可愛気がねえ……!!」

 

「可愛くなくて結構です。わたし強い女を目指してますから……!!」


 そう言い終わった頃には、不思議と二人の震えが止まっていた。




 しかし時を待たずして、再び二人の身体に戦慄が走ることとなる。 


 

「あああー……。祓魔師エクソシスト……君たちには感謝している……この女を追い詰めてくれてありがとう……おかげで最後の一線を越えさせることができた……」


 声の方に視線をやると、悪魔は女の頭蓋骨から飛び降りてその血をぺろりと舐めた。

 

 すると一瞬で女の遺体が灰に変わる。


 

「あのまま女の思うようにさせてやっていれば、女は地獄に堕ちずにすんだかもしれない……罪深い罪深い……実に罪深い……君たち二人が、この女を地獄に堕としたんだ……」

 

「君たちは何を信じているんだい? 神か? 聖教会か? ん?」


 

 大きく膨れた腹に、短い手足、皺だらけの湿った皮膚、そして異様に大きな目。


 出来損ないの嬰児のような見た目に反して、悪魔はひどく饒舌に言葉を紡いだ。

 

 その一言一言に致命的な悪意が滴っている。

 


 真白が息を飲んで悪魔を睨みつけていると、背中を丸め、薄笑いを浮かべた犬塚が一歩前に踏み出した。

 


「はっ……お前に教えてもらうまでもねえ……俺は咎人だ……」

 

 そう言って銃を構える犬塚の目には、どこか諦めにも似た悲しい光が揺れていた。

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