1-20【蛇の目】

  

 真白の目が紅く染まった。


 見開かれた動向は縦に長く伸び、まるで蛇のようだった。

 

 明らかに先程までの真白とは異なる、ただならぬ気配を発してはいるが、今さらどのようにして舞踏を止めることができるだろうか?

 

 しかし真白はひどく落ち着いた様子で微動だにしない。




 それに引き換え母は優雅に手を差し出し、そこにアキラがを落とすのを待っている。


 母親の手にキスをするということは永遠の忠誠の証だった。


 それはアキラにとって魂を明け渡す致命的な契約となることを意味している。



 

 犬塚は獣のような唸り声を上げ、アキラの父を壁に突き飛ばすと虎馬を発動して二本の湾曲したナイフを投げつけた。


 唸り声を上げて拍動する不気味なカランビットナイフは獲物に喰い付くように父の袖を巻き込みながら壁に突き刺さる。


 身動きの取れなくなった父を犬塚は渾身の力で殴りつけ気絶させた。


「そこで大人しくしてろ……」




 とうとう音楽は鳴り止み、あたりに静寂が戻ってきた。

 

 しかし何やら様子が可怪おかしい。


 アキラが動く気配がまるでないのだ。


 母はみるみる険しい顔つきに変わり、苛立った声でアキラに言う。

 

「アキラくん? 何してるの? さっさと誓いのキスをしなさいな……?」

 

 しかしアキラは母の手を握ったまま微動だにしなかった。

 


……!!」

 

 狂気じみたヒステリックな声で怒鳴る母に向かって、真白が静かに口を開く。

 

 

「無駄ですよ。アキラくんは動けません。そして……曲は鳴り止みました。儀式はこれで失敗です……!!」

 

 

 その瞬間アキラの顔面に無数の黒いひび割れが生じた。

 

 ばらばらと落ちる石膏のような欠片達が、フローリングに当たってさらに小さく砕け散っていく。


 仮面の剥がれ落ちたアキラの表情は虚ろで、額からは血の筋を幾本も垂れ流していた。



 


「こ……の……女ぁぁぁあああ……!! 私のアキラくんに何をしたのよぉぉおおおおお!?」

 

 髪を逆立てて叫ぶ母に向かって、真白は小馬鹿にしたように鼻を鳴らして答える。

 


「それって、あなたに教える必要あります?」

 

 

 みちみち……と、

 

 何かが破れるような音がした。

 

「私が……私がどれだけの苦労して……この家族を支えてきたと思ってるのよ……」


「結婚してからはいつも脇役を押し付けられて……小間使いのように働いて……感謝の言葉ひとつ寄越さない息子と旦那に、それでも私は最高の愛情と献身を捧げてきたわ……?」


「その報いがこれ……? 少しくらい私だって……幸せになっちゃいけないって言うの!? 私の幸せはどうなるのよ……!?」



 身勝手な理屈を喚き散らすと、女はがっくりと肩を落としてつぶやいた。

 

「もうお終いよ……全てお仕舞い………穢らわしい女も、獣臭い男も、何一つ思い通りにならないガキも旦那も……全員焼き殺す……聞いてるんでしょ? ……」




 

 

 その言葉とともに、女の頭部を炎が包んだ。

 

 毛髪の付いた皮膚が炎で裂けて、ズルズルと焼け爛れれながら頭骨に沿って流れ落ちていく。

 

 ケロイドだらけの醜い顔が姿を現し、焼けて無くなった瞼の奥では怒りに燃える目がぎらついていた。


 ねっとりと赤い血が滴るそれは、どこか妖艶で酷く気味が悪い。


 


「とうとう化けの皮を剥いだわけか……」

 

 犬塚は目をぎらつかせながら口角を上げ言った。

 

「文脈を読むなら仮面を脱いだんですよ……」

 

「どっちでもいい……」

 

 そう言って犬塚はリボルバーの撃鉄を起こした。

 

 


「神の使徒を自称する犬ども……」

 

 焼け落ちて髑髏のようになった顔が口を開いてそうつぶやいた。

  

「全て燃え尽きるがいい……」

 

 アキラの母はドレスの裾に火を放った。


 全身を赤い炎に包まれながら女が舞い踊ると、まるで炎のドレスは意思を持つかのように、辺りを燃やし始めるのだった。

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