アフター・エバーアフター

豕之山 小里

C101頒布短編「A.R.M and ARC」

≪オールト≫。

 母なる地球を蝕む太陽のスーパーフレアから逃れるために、人類が縋った希望の名だ。

 その希望は、5.5光年離れた移住可能惑星、≪プラネットLD-39≫への片道切符。5万人を収容し、60年の冷凍睡眠コールドスリープと5年の生活を保障する星間移民船。

 オールトは、4度の戦争で滅んだという前文明が遺したオーバーテクノロジーの産物だ。それを動かせたこと自体が奇跡なのだから、生き残れという神の啓示だと信じた人が多くいたのも無理はない。

 船員たちが寝ている間に、オールトは自動操船で光速の1/10まで加速し、途中で射出した緑の爆弾テラフォーミング・ボムがLD-39を生存に適した環境にしてくれる。長い眠りから覚めた人類は、軌道上でのんびり飲み食いをしながら星を探査し、資材を投下して野山を開拓する。誰もがそれを夢想した。

 そう、夢想だ。

 実際に人々が目にしたのは、予想通りの豊かな緑地と、碧く輝く大洋、そして惑星の表面を闊歩する獣たち。予想外のことがあるとすれば、その獣のなかに、山と見紛うほどにおおきく、テリトリーを脅かす存在に対して極めて獰猛なものが数多いたことだろう。

 巨獣きょじゅうと称されたそれは、緑の爆弾に搭載されたナノマシンのバグか、環境の激変という淘汰が生んだ突然変異か、果ては前文明の呪いか……。様々な噂が囁かれたが、重要なのはただ一つの事実だ。

 借り物の希望の船をどうにか動かしてここに来た人類には、巨獣を確実に一掃する術などない。

 貴重な降下ポッドで一足先にLD-39に降り立った先遣隊からの通信が途絶えたとき、オールトは軌道上での立ち往生を余儀なくされた。5年の生活を保障する星間移民船は、5年という期限付きの、追い詰められた生存圏に変貌したのだ。

楽園への移住からいずれ飢え死ぬ牢獄への転落が、人々の余裕を奪ったのは言うまでもない。

 曰く。何を犠牲にしてでも、巨獣を滅ぼす手段を見つけろ。

 曰く。戦争で滅んだ前文明のアーカイブには、必ず何かがあるはずだ。

 曰く。成果があれば、倫理は問わない。

 その兵器が誕生したことは、なまじ考える猶予のある破滅に、誰もが狂わされたことの証左かもしれない。

 ことの経緯はこうだ。

 前文明のアーカイブから一つの技術体系を発見した一人の科学者が、もしや、と思った。彼はそれを利用した博打のような巨獣殲滅プランを政府上層部に提案した。その3日後には、資材の調達と被験者の選定が終わっていた。

 多くの人的被害を出したものの、それは実用段階にこぎつけた。おかげで、オールトのリソースはそれに全て費やされるに至った。

 巨獣に対抗する唯一の力を手に入れて、オールト政府は討伐作戦の発動を宣言した。これは人類の叡智と自然の脅威との戦争、すなわち巨獣大戦の始まりである、と。

 とある科学者が掘り起こした禁忌の技術。その名は、義体兵アーム

 自らの身体を武器に捧げ、殺す力と分かちがたく繋がれた存在──Artificial Replaced Militantである。



「なんなんだよ、畜生!」

 巨獣大戦の末期も末期、最後の巨獣≪ロックダイヴ≫討伐作戦。

 いま、敵の領地である赤茶けた砂に、地響きと悲鳴が響き渡っている。

初陣を飾った16歳の新兵、ローランド・アッシュマンは、涙と鼻水で顔面をぐちゃぐちゃにしながら逃げ回っていた。

 第三世代義体兵──通称・部分型義体兵セミアームであるローランドは、義体≪ログキャリアー≫を四肢に据えた遠距離砲撃タイプだ。

 作戦開始時の配置はロックダイヴの後方2km。隊列を組んで、渡された榴弾を敵にチマチマ撃っていればいい、と砲兵部隊長は言っていた。

「こんなの、聞いてた話と、全然違うじゃないかっ」

 ローランドは走る。あてもなく、ただ逃げるために。

 ロックダイヴは鈍重だが、異常な硬さの鎧と回復力を持ってる。適当に気を引いて本命に気付かせないのが俺たちの役目だ。安全圏で相手をおちょくる役って考えれば、気楽なもんだろ?

 そう励ましてくれた部隊長は、少し前に死んだ。

 いまのローランドを支配しているのは恐怖と混乱だ。隣を見ると、自分と同じような新兵たちが、自分と同じような顔で逃げ惑っている。

 作戦目標から2kmも離れた地点で、彼らが何から逃げているのかというと。


 ヒュン──、と。頭上から聞こえた風切り音に、ローランドは身をすくめる。

 

 続けて隣で、ぐしゃりと何かがつぶれる音。なにか硬いものと柔らかいものが、同時にプレスされるような音だった。

 ローランドはそちらに目を向けない。部隊長の死体と同じものが、そこに転がっているだけだろうからだ。

 、である。

 ロックダイヴの全長はおよそ80m。爬虫類に似た体型の全身は岩石質の鎧に覆われ、地竜とも形容される。特筆すべきはやはり、硬さと再生速度。

 地竜は地表のシリカを喰らい、己の角質と結合させて高硬度の鎧を体表に生やす。原料がある限り、鎧が脱落しても無尽蔵に生え替わる。その再生速度は尋常ではなく、まさに瞬間的。

 だが、回復を止める手段と、その鎧を貫く槍さえあれば、あとは生きた的も同然だ。

 そこまでが、敵の観察を続けた分析室の見立てだった。

 重大な見落としがあるとするなら、こんなもしもを想定していなかったことだろう。

 もしもその生え替わりが、鎧が欠けていなくても行えるとしたら。もしも鎧の下から、新たな鎧が異常な速度で生成されるとしたら。もしもそれが全身にわたって、瞬時に起こったとしたら。

 さっきまで鎧だと思っていたものは、何物をも貫く砲弾に早変わりし、全方位へと射出される。

 ロックダイヴの攻撃能力を、誰もが見誤っていた。

 もちろん新兵のローランドには、そんな事情を察することなどできない。彼にとっては安全圏が急に死の淵に変わったという認識であるし、原理を解したところでその認識が変わるわけでもなかった。

「はやく……はやく来てくれ」

 事ここに至って、ローランドの願いは単純だ。

 この砲弾の雨を、どうか止ませてください。奴の息の根が止まるまで、どうか自分を生き延びさせてください。

 阿鼻叫喚の地獄のなかでそんな奇跡を起こせる人に、ローランドは心当たりがあった。

 部隊長が言っていた、。自分たちは、彼が来るまでの引きつけ役だった。

 自分が義体化手術を受けることを決めた、あこがれの義体兵。

 彼なら──完全無欠の英雄ならきっと、この作戦も成功させてくれる。



「全方位砲撃って、冗談だろ」

 ロックダイヴの左側面100mの位置で砲撃の原理を解き明かし、その情報を全軍と共有しながら、≪XAF-022 タスク・タートル≫は嘆息していた。

 タスクは、情報処理特化の第一世代──通称・全換型義体兵フルアームにして、前衛部隊を束ねる指揮官の一人。巨獣大戦最初期に投入された初の義体兵部隊≪ブレイクウォーター≫にも名を連ねた、古強者ふるつわものだ。

 タスクというのはもちろん本名ではない。義体兵になる前は、パブロ・カパラソンという名前で生きていた。しかし、転換手術を受けてからは、義体につけられたコードを名乗っている。

『どういうことだ。あんな隠し玉があるとは聞いていない』

 情報処理と通信機能に特化したタスクの背部器官≪シェルブレイン≫に、後方にいる仲間の、堅物そうな声が聞こえた。狙撃特化の全換型、≪XAF-016 ダズル・ドッグ≫だ。

「バカヤロー、俺も聞いてねえよ。ともあれ死んでなくて何よりだドギー、助かったぜ。やっこさんの注目がそっちに行ってなかったら、こっちは全員お陀仏だった」

 ロックダイヴが振り下ろした拳に砕かれ飛散した岩石をどうにか避けながら、タスクはドギーに、無理やり軽い調子で返す。

『ふざけている場合じゃあないぞ、タスク。彼はいつ来る?』

「アメリアの話だと、例のアレの準備に時間がかかってる。まぁ、久しぶりだがいつものことじゃないか、こういう想定外は」

『もちろん俺たちは耐えられるが……。滑り込みで武勲を上げにきた部分型セミアームの新兵たちは、修羅場なんかほとんどくぐっちゃいないんだぞ。あちこちでパニックが起きてる』

「クソッ。そりゃ確かにここ最近は、巨獣の手の内なんて事前に全部わかりきってたけどよ。分析班のやつら、最後だからって手ぇ抜いたんじゃないだろうな」

 全換型はその名の通り、第二世代の混在型メルトアーム、最新の部分型セミアームと違って、身体全てを人工物に置き換えた義体兵だ。四肢はもちろん、骨も内臓も神経も──心を司る脳とて例外ではない。

 タスクが志願したのは、人類にとって初めての義体兵製造実験。被験者はいち早く義体の力を手に入れる代わりに、人工の脳・PNACナックに脳構造を転写する際のスキャン工程で、脳を焼き切られる。そのとき人間・パブロは死んだ。

 死者の名を名乗るものなどいるはずがない。それが、人体実験に志願してまで力を手に入れたいと思うような、惨めな人生を送ってきた死者ならなおさらだ。

 そういう覚悟を持った者たちと、それに憧れてやってきた新兵たちには、心理的な強さで差がある。イレギュラーが起きた時、メンタル面での強弱ははっきりと表れるのだ。

「なぁドギー。ダズル・ドッグ」

『なんだ』

「周りでビビってるルーキーによ、もう少ししたらあいつが来るからいいとこ見せろって、発破をかけてやってくれないか。巨獣大戦最後の戦いで小便漏らして泣きながら逃げてたなんて、義体兵の誇りが廃るだろ?」

 誇り。そう、誇りだ。

 技術実証機である全換型は、被験者の特性に合わせて全てが調整されるため、必然的にワンオフモデルとなる。量産性を追求した次世代義体と違い、身体に与えられた名は、タスクにとって唯一無二の誇りだった。

 その誇りを、所詮は人体実験の成れの果てと蔑む奴もいる。それでもタスクは、自分が惨めな実験体ではないことを、戦いから逃げないことで、生き残り続けることで示してきたつもりだ。

 誇りがあれば人は戦場に立ち続けられる。立てる人間は、立てない人間の手をとって、その誇りの何たるかを教えてやらねばならない。

『……了解した、タスク・タートル。死ぬなよ』

 そしてその誇りは、きっとこの堅物の戦友にとっても同じだった。

 死なねえよ、と呟いたタスクの肩を誰かが叩く。

 振り返ると、金髪碧眼の優男が苦悶に顔をゆがめて立っている。前衛部隊のエース、ジェシー・レインだった。

 頭部を保護するバイザー──ジェシー曰くかなり蒸れる──をとうに引っぺがし、あらわにした整った顔には、玉の汗をかいている。

「タスク、こっちもそろそろ限界だ」

 混在型メルトアーム随一の反応速度を誇るジェシーとて、身体の3割は生身だ。疲れ知らずの全換型とは違い、巨獣の目前で大出力の近接義体≪ハンマーヘッド≫を纏い戦う彼の消耗は激しい。

「もう少しだけ耐えてくれ、ジェシー。頼む」

 ぜえぜえと荒い息をつく戦士にかけてやれる言葉が、これしかない。そんなことは彼も分かっているのだろう。

 ジェシーはただ無言で頷き、少し呼吸を整えると再びロックダイヴに飛び込んでいった。顔に似合わず、肝の据わった男だ。

 その直後、ロックダイヴは耳障りな咆哮を上げ、三度目となる砲弾の雨を放つ。次は後方で何人犠牲になるだろう。

 あいつは何をやっている──そう思った瞬間、伝達器官シェルブレインに通信が割り込んだ。

『行けるわ、タスク。もうすぐ彼が出撃る!』

 件のあいつの専属整備士、アメリアからの通信だった。

 落ち込みかけた気分が、その一報で上向きになる。いてもたってもいられず、タスクは通信出力を最大にして全義体兵に呼びかけた。

「英雄が来るぞ──総員、それまで目一杯やつの気を引け!」

 数瞬の沈黙の後に続いたのは、

『『『応!!』』』

 あいつの強さを知る者たちの、力強い返答だった。

 きっといま、逃げ惑う新兵も、息を切らしたベテランも、同じように顔を上げているはずだ。

 タスクが前線の指揮官に任命されて以降、お決まりのやり取りだった。何が起こるか分からない巨獣との戦いにおいては、定石に則った的確な指揮などより、希望を示す方が何倍も効果がある。

 一瞬の迷いが生死を分ける戦場を4年もくぐり抜けた強者ぞろいなのだから、ああしろこうしろと言う前に、個々の判断で動いたほうが早いのは当たり前だ。

 巨獣と相対するまで戦いなど知らなかったオールトの人類が作ったのは、指揮系統も階級制度も整っていない未熟な軍だ。それでもタスクは、この仲間たちと戦えることを嬉しく思う。

 各々が巨獣を殺すために──人類が生き延びるために出来ることを、手探りで、命がけで探してきた。誰もが平等に死ぬ可能性のある戦場で、何度も絶望に打ちひしがれた。

 だからこそ、あいつのような英雄が現れた時、決して消えない希望の火が各人の胸に灯るのだ。



 誰もが、英雄を待っている。



「接続完了。起きて、ラビ」

 この優しい声音で起こされるのは何度目だろう。そんなことを想いながら、ラビ──≪XAF-026 ロデオ・ラビット≫は暗闇の中で目を覚ました。

 明かりをつけなければ、と身じろぎするも、身体の自由が利かない。仕方なく自身のカメラに組み込まれた暗視装置を起動する。

 自分はいま、何か狭い部屋に閉じ込められ、地面から伸びたフレームで四肢をがんじがらめに……そこまで確認して、ラビは事の次第を思い出した。

 そうだ、ラビは今作戦の要として、特殊攻撃兵器≪バッズアロー≫のメインモジュールに組み込まれている。誘導システムとリンクするため、一時的にスリープ状態にあったのだ。

「おはよう、アメリア。バッズアローの中は快適だ。ロックダイヴはどうなってる?」

 暗闇の向こう、装甲の外に立っているだろう人物に返事する。

「……! 待ってて、今送る」

 専属整備士アメリアの焦った声が聞こえた。調整を終えて一息つきたいところだろう彼女には申し訳ないが、早く戦場の様子を知りたかった。

 ラビの頭から伸びた大きな耳──高速通信ユニットを通して、人工の脳・PNACに戦況が送り込まれる。

「なるほど、砲撃か。でも、作戦方針に変わりはない……で、いいのかな、アメリア」

「そうね。むしろ数発撃たせて装填時間が計算できたから、その隙を狙って撃てるようになった」

「この形だと、掠る程度ならなんともなさそうだけど」

 ラビの乗るバッズアローは、全長6mに及ぶ黒く厳つい構造体だが、その形は上を向いた巨大な花の蕾にも似て、いかにも衝撃を受け流しそうだった。

 ラビを格納する球体メインモジュールを、数枚の流線形装甲が閉じた花弁のように覆っている。モジュールの底部にはメインスラスターが接続され、それを放射状に囲む小さな空力制御用フラップは、あたかもがくのようだ。

 蕾と違うところがあるとすれば、それは先端から、鋭い穂先が飛び出していることくらいか。

「冗談でもそんなこと言わないの」

「……すまない」

 アメリアの少し怒ったような声に、思わずラビは謝る。対巨獣戦闘において、そのの攻撃で、多くの義体兵が死んでいった。そしていま、同胞たちは次の砲撃がその身を掠めることに、怯えている。

「じゃあ、次が撃たれる前に飛ぶとしよう。……動作チェック、誘導カメラから」

 視界が一瞬途切れ、美しい青空が広がる。天高く伸びる穂先についたバッズアロー誘導用のメインカメラに、視界が切り替わったのだ。

 武器の使い方が接続するだけで即座に分かり、場合によっては武器のセンサー類そのものに知覚を移すことさえできる。脳まで機械化した全換型ならではの強みだ。

「フラップ」

 足をばたつかせる感覚で、空力制御フラップが傾動するのを確かめる。

「再生阻害装甲」

 折り曲げた体を開くイメージで、閉じた装甲が、メインブースターを軸に花開くのを確認する。

 バッズアローの仕組みは単純だ。飛んで、刺さって、開く。

 まずメインスラスターをふかし、ロフテッド軌道でバッズアローを打ち上げる。

 軌道の頂点に達したバッズアローは重力に引かれ、落下しながら再加速する。いま上を向いている穂先は、ロックダイヴの首元に落下するときには下向きになっているはずだ。

 穂先を鎧の隙間に寸分の狂いなく刺したら、今度は花びらのような装甲が展開して肉を押し広げる。

 展開した装甲の内面にびっしりと張り付いた妨害装置が、ロックダイヴの再生を阻害する電磁波を放射する。妨害装置が停止するまで、10秒と少し。

 ラビはその僅かな時間で、愛用武器の≪アンカー・バンカー≫──今は激突からラビを守る対ショック殻に埋め込まれている──を装着し掘削作業を行う。ロックダイヴの脳に向けて、まっしぐらに。その息の根を、止めるために。

 たしかに単純な仕組みではあるが、一つ、大きな問題点があった。

 重力を味方につけた凄まじい速度で落下しながら、制御フラップのみでバッズアローを操作し、ロックダイヴの首元、それも鎧の隙間に穂先を入れる。

 人間の反射神経では不可能な神業だ。いや、義体兵だとしても難しい。

 事実、PNACと深く適合し、思考の処理速度を飛躍的に高めるオーバークロックが行えるラビがいなければ、作戦立案のしようもなかった。

 一瞬で懐に入り込み、敵が再生を始める前に殺しきる。それ以外では太刀打ちできない相手。そう考えると、奴は最後の巨獣と呼ぶにふさわしいのかもしれない。

 頭の中で作戦を反復しながら動作チェックを終える。不備はなかった。

「オールグリーンだ、点火するから離れてくれ」

 外のアメリアが、遠くに退避する足音が聞こえた。

 メインスラスターからの騒音がだんだんと大きくなり、バッズアローが振動を始める。打ち上げの際には、地を揺るがす轟音が鳴るだろう。それに注意を向けさせないため、いま、砲兵部隊がロックダイヴを引きつけてくれている。

 それにしても、こんな大仰な兵器を持ちだすのは今回が最初で最後だから、出撃前に一人になるのは新鮮で、少し寂しかった。

 バッズアローの誘導用カメラの視界は、抜けるような晴天を映し出している。

 茫洋とした空の下、身動きもせず一人でいると、不安が鎌首をもたげる。自分はこの大役を果たせるだろうか。皆が望む英雄を、最後までやりきれるだろうか。

 そもそもロックダイヴが、打ち上げられたラビに気づいてしまったら……。

『これが、最後。帰ってくるよね、ラビ』

 そんなラビの心を見透かしたように、退避を終えたアメリアが通信を入れてくる。彼女の声を聞くと、なぜか不安など吹き飛んだ。

 この3年間いつも彼女に助けられたことを、今更のように実感する。

きっとアメリアも不安だろう。自分が作った兵器で勝敗が決まる。誘導をしくじればラビは地面に突き刺さり、それに気づいたロックダイヴに叩き潰される。

 だから、返す言葉はこれしかない。

「必ず帰る」

 通信の向こう、アメリアが息を飲むのが分かった。

「不可能だ、なんて言葉は飽きるほど聞いてきた。そのたびに、僕らは僕らにできることで、必ず活路を開いてきたじゃないか。いまさら最後の一回をしくじるもんか」

『……そう。確かに、そうね!』

 ラビの心と一緒に、ブースターも充分に暖まったのが分かる。

 行ってきます、とだけ言って通信を切った。カウントダウンを開始する。

「3、2、1──リフトオフ」

 ここからは、英雄の出番だ。



 3度目の砲弾の雨が去り、初年兵・ローランドは、まだ生きていた。

 次はいつ降る? と怯える彼はその時、確かにその通信を聴いた。

『来るぞ──総員、それまで目一杯やつの気を引け!』

 耳を疑うローランドを置き去りにして、戦士たちの力強い「応」の声があちこちから響く。

 周りを見渡したローランドは、そして気付いた。

 自身の後方、ロックダイヴからは死角となる位置に立ち上る白煙を。決戦兵器・バッズアローが打ち上げられた軌跡を。

 彼にとって不思議だったのは、それを見ただけで、身体の奥底のよく分からない部分から、熱い気持ちが湧き上がってきたことだ。

(あの人が、来る!)

 そう意識した途端、こんなところで怯えながら突っ立っている自分が恥ずかしくなった。

 なんのために、健康な腕と足を切り落として、巨獣を屠る力を身に着けたのか。

 なんのために、なかなか馴染まない義体の習熟訓練を、諦めずにやってきたのか。

 自分も戦いたいって。父さんや母さんや、妹のアンジーが安全に暮らせる場所が欲しいからって、ここに来たんじゃないのか。

 同期に先を越されながら、それでも戦場に出たらやれるって、おまえはずっと信じていたんじゃないのか、ローランド!

 今がそれを証明するときだ。

 否。今を除いて、それを証明する時はない。

 あの人──ロデオ・ラビットが来ることを、絶対に、ロックダイヴに気付かせてなるものか。

 自分は英雄ではないけれど、英雄の勝利を支えた一人として、胸を張りたいと思った。

 ローランドは逃走のため格納していた砲身を義体から展開すると、敵に振り向いて射撃を再開する。



 明らかに密度を取り戻した砲撃を見て、タスク・タートルは思わず独りごちる。

「まったく、全部持っていくんだもんなぁ」

 自分が誇りだなんだと言っている間に、ラビ──あの英雄は、登場するだけで空気を変えてしまうのだ。

「指揮官は俺だっつーの、兎野郎」

 罵倒してみるも、センサーマスクに置き換えられた自分の顔にもし表情があれば、それは笑っているのだろうとタスクは思った。

 ロデオ・ラビット。最後に製造された全換型義体兵。気に食わない、タスクの後輩。

 長い耳を畳んで自信なさげに入隊してきた時の姿を、今でも覚えている。

 それが今はどうだ。

 全ての義体兵の憧れの的。救星の英雄。無欠損の兵士。

 情報処理特化な自分を追い抜いて戦場で頭角を表したラビと何度も衝突したのは、今にして思えば、単純に羨ましかったのだろう。衝突と言っても、タスクの一方的な突っ掛かりだったが。

 前指揮官のウィールド・ウルフが行方不明MIAになってから、あいつが後継者だと噂されたのも許せなかった。そのウルフが消えた≪シャローレイド≫討伐作戦で、総崩れの前線をまとめ直して、巨獣にとどめを刺したのがあいつだったとしてもだ。

 そんなラビが指揮官を辞退して、他でもないタスクを推薦したものだから、その時は殴りかかりもした。情けをかけているつもりかと逆上したタスクを鎮めたのは、ラビからの「だってタスクは、誰よりも他人を見ているだろ?」という指摘だ。

 我に返ってみると、元々そんなに嫉妬深いタチではなかったのに、義体兵になってからは、他人を羨むことがどうしてか増えていた。それがきっとタスクの──脳構造をPNACに転写する際にほぼ必ず起こる、心理的な瑕疵だった。

 欠損は人により、形態も深刻度も様々だ。タスクのものは、自制できる分マシな部類だろう。全換型26体のうち、この4年で戦死したのは11体。その半数以上が、欠損に起因する戦闘中の不具合で命を落としている。

 ラビには欠損がない。少なくとも今に至るまで、その兆候は現れていない。欠損はほぼ必ず起こると言ったが、それはラビという唯一の例外がいるためだ。

 だからこそあいつは、あらゆる任務に臆さず、立ち止まらず、自分の役目をこなせた。そういう奴が英雄になった。それだけのことだと自分に言い聞かせてしばらく経つ。

 タスクは気に食わない後輩の姿を思い浮かべて、空を見上げる。

 陽光を背に、放物線を描き今まさに落下せんとする黒い蕾。ロックダイヴはまだ気づいていない。

 今だって、あれに乗っているのが自分なら、と思わないことはない。それでもあそこにいるのは、それに相応しい男だ。

 未練を振り切るように、思い切りタスクは叫ぶ。

「いけよ、英雄──!」

 果たして、音さえも置き去りにする勢いで落下したバッズアローは、無防備なロックダイヴの首元に吸い込まれるように突き刺さった。



 不意をつかれたロックダイヴの上げる叫びが、ラビの装甲をひとしきり震わせて、止まる。

 ここは敵の首元、降着地点だ。

 ギィ、と軋む音がして、暗闇に包まれたラビの視界に光が差し込んだ。

 バッズアローの再生阻害装甲が展開したのだ。衝突時に破損した対ショック殻が、ガラガラと音を立てて、上に落ちていく。ラビは今、メインブースターから伸びたフレームに逆さ吊りの状態だ。

 殻が落ちた方向を見上げると、青い血液の滲む灰色の肉がばっくりと開いている。鎧を剥がされたロックダイヴの筋肉は怪しげに蠢いていた。回復の兆候だ。

 四方を取り囲む装甲が高周波の唸りをあげると、その蠕動ぜんどうが止まる。装甲から再生阻害電磁波の照射が始まったのだ。

 効果あり、と内心で頷いたラビの体が、フレームから解き放たれる。落下しつつ身体を捻り、足から着地した。

 ラビは壊れた対ショック殻の残骸から、愛用の武器を引っ張り出す。両腕のコネクターに一対の≪アンカー・バンカー≫が接続されると同時に、大きく振りかぶった。

 ここからは、時間との勝負だ。ありものを組み合わせて作られた妨害装置は無理やり出力を高めているから、10秒しか持たない。

 足元の肉に向かって、勢いよく右腕側面の筒状ユニットを突き出し、トリガーを引く。ユニット後部から炸裂音がしたかと思うと、フルゴライト製の杭が勢いよく突出し、肉を抉り出した。

≪アンカー・バンカー≫、パイルバンカーモード。高靭性の希少金属フルゴライトを無駄遣いしないために編み出された、工業用の油圧ブレーカーをベースにした武器だ。

 オールトの映像アーカイブからこれが見つかった時、こんなものが実際に使われたわけがない、フィクションだ、と誰もが言ったらしい。だが、こと資源の限られた状況で巨獣討伐を行う際、これほど適した武器はなかった。

 肉を裂き、骨を砕き、脳髄に一撃を加えれば巨獣は活動を停止する。そのコンセプトを極限まで突き詰めた相棒を、ラビは頼もしく思う

 右のバンカーを引き抜き、再び振りかぶる動作へ。その間隙を埋めるように、今度は左のバンカーを突き出し、トリガーを引く。

 ラビの加速した意識とそれを反映する身体が繰り出す、高速かつ高威力の連打。貫けないものなど、あるものか。

 何百という巨獣にとどめを刺してきたラビにとって、この掘削作業は慣れたものだ。今回はそこに時間制限が加わるだけで、別段難易度は変わらない。

 これが巨獣大戦、最後の仕上げ。

 引き伸ばされた時間の中で、一発一発を打ち込むたび、この長いようで短かった4年が走馬灯のように思い出された。

 冷凍睡眠から目覚めてすぐに突きつけられた、解凍システムの誤動作による全身不随。

 病床に訪ねてきた、オールト政府お抱えの科学者。

 生まれ変わった新しい身体。

 初めての巨獣討伐。

 嫉妬心丸出しで突っかかってきた戦友のタスク。

 部隊で1番優しかったキティ──クレイモア・キャットの死に様。

 ラビを庇ってシャローレイドの巣に引きずり込まれ、行方不明になったウルフ隊長。

 初めて英雄と呼ばれた日。

 そして、ラビが折れそうになった時にいつも立ち直らせてくれた、アメリアの笑顔。

 ラビのPNACは、一片も欠かすことなく全てを覚えていた。どれも英雄を作り上げる、かけがえのない記憶だ。

 その記憶の集積である自分が、いま、最後の巨獣を仕止めようとしている。人類の求めた平穏を、手に入れようとしている。

 ラビは今ほど、自分の眼が、無機質なカメラであることに感謝したことはなかった。きっと生身なら、溢れる涙で前が見えないから。

 バギン、と。

 打ち出されたパイルが、一息に硬いものを砕く手応えがあった。噴き上げる粘性の髄液。

 巨獣の急所、即ち脳を守る頭蓋骨へ到達したのだ。あと一突きで、こいつは死ぬ。

 妨害装置の調子を確認するため、ラビは一瞬、上方のバッズアローを仰ぎ見て。


 おかしい、と思った。


 上から入ってくる陽光が、いつの間にか途切れている。

 ロックダイヴの首元にいるいま、バッズアローの装甲以外、ラビと太陽を遮るものはないはずだ。なのに、装甲の隙間から光が入ってきていない。

 巨獣大戦を生き残らせた長年の勘が、ラビの身体を勝手に動かした。黒い花弁の真下から、装甲の隙間を縫うように跳躍し脱出する。

 そして見た。巨腕が今まさに、バッズアローを毟り取らんとする光景を。その腕は、四足歩行のはずのロックダイヴの前肢だ。

 眼下に広がる光景。

 あまりの馬鹿馬鹿しさに、ラビははじめ、それを幻覚かと疑った。

 けれど現実に、。岩の鎧を着込んだ80m超、推定4万tの地竜が、前傾姿勢とはいえ後肢だけで立ち上がっている。

 驚愕するラビの前、服に落ちた花びらを払うような軽さで、肉に食い込んだバッズアローが払われた。

「まずい」

 妨害装置が取り外されたら、せっかく露出した脳が塞がってしまう。

 では、足場を失い地面に向けて落下していくラビには、どうしようもないのか。深手を負ったロックダイヴは地中に隠れ潜み、捕捉できなくなってしまうのか。

 人類は地上に降りられたとして、いつ襲われるとも分からない不安の中で、細々と生きて行くのかしかないのか。

「……違う!」

 と声を限りに叫ぶ。

 ラビはそういう悲しみを否定するために、ここに英雄として立っているのだ。

 飛散するバッズアローの残骸、その花弁のひとひらを、ラビの眼はしかと見据えている。あれが手に入れば、やれる。

 落下しながら、その花びらに右手を伸ばす。彼我の距離はおよそ10m。どう頑張っても、ラビの手は届かない。

 だが、それでいい。なぜなら伸ばした手は、照準を合わせるためなのだから。

 ラビは花弁を向いた≪アンカー・バンカー≫のグリップを握り込み、反時計回りに捻る。

 ガチ、とギアが噛み合う音がして、バンカーモードの筒状ユニットが展開。パイルの脱落を防いでいたストッパーが外される。

 続いてパイルの先端がスライドし、かえしが迫り出す。底部にウインチユニットが新たに接続されたのを確認して、ラビは間髪おかず右腕の杭を打ち出した。

 ワイヤーの尾を引いて、飛散するバッズアローの装甲に真っ直ぐ飛翔するそれは、もはや杭ではない。ラビの身体と目標を繋ぎ止める錨だ。

≪アンカー・バンカー≫、ワイヤーアンカー・モード。

「間に、合えぇぇッ!」

 ラビの気迫を受け取り、鋭い音を立ててアンカーが花びらに突き刺さる。

 それを空中で巻き取りながら、左腕のアンカーも射出。狙いは、落下したラビよりも上方にある傷口ではない。

 ロックダイヴの首、その左側で錨を打ち込み、落下に任せる。

 ラビの落下の軌道は、ワイヤーの張りを向心力に、巨獣の首を軸に捻じ曲がる。すなわち振り子だ。

 振り子運動に従って、ロックダイヴの首に巻きつくワイヤー。ウインチからワイヤーを引き出し重心を制御すると、角運動量の保存に合わせてラビは加速する。

 首の右側に躍り出た瞬間、ウインチユニットを切り離す。杭を一本失うのと引き換えに、ラビは再びロックダイヴの真上を取っていた。

 暴れ馬を乗りこなす兎ロデオ・ラビットの名に相応しい、精密な曲芸だ。その曲芸があればこそ、ラビはもう一度傷口の前に立てる。

 着地と共に、抱えたバッズアローの装甲を、修復されてただの亀裂になった頭蓋の傷に無理やり捩じ込んだ。かろうじて生きていた妨害装置が、断末魔のように一際強い電磁波を照射して沈黙する。

 その頃にはもう、右腕の≪アンカー・バンカー≫は変形を終えていた。パイルバンカー──全てを貫く、不屈の闘志の具現に。

「これで、トドメだ」

 言葉と共に、トリガーを引き絞る。頭蓋に差し込んだ花弁を、さらに押し込むために。

 長かった戦いを終わらせる、最後の一突き。


 ──最後の?


 一瞬。

 ほんの一瞬だ。頭蓋から露出したバッズアローの装甲を叩く絶妙な位置に、狂いなくパイルが突き出される瞬間、ラビの背すじを何かが伝わった。

 それは全身が人工神経と人工筋肉に置き換わったラビにとっては、ひどく懐かしい感覚。冷たい鉄の棒を、いきなり背中に突っ込まれるような。

 たぶん、寒気だ。ラビの前世、アンドリュー・L・ウィリアムズという少年が冷凍睡眠から目覚めて、己の体が満足に動かないと知った時の寒気に、それはよく似ていた。

 戸惑うラビの前で、驚くほどあっけなく、刃はロックダイヴの脳に届いた。巨獣の体がビクリと跳ね、少し静止した後、細かい痙攣がそれに続く。

 それで終わりだった。

 それきり、ロックダイヴは活動を停止した。

 力を失い、かしぐ巨躯。二本足で立つそれの首元にいるラビは、自分が地面からおよそ50mの位置で、急速に足場を失いつつあることに気づいた。おちおち休ませてもくれない。

 最後まで厄介だったな、と文句だけ置いて、ラビは鎧の凹凸を足がかりにして地竜だったものの尾へとくだって行く。

「よっ、と」

 危なげなく着地すると、急いで距離を取る。

 予想通り、数秒遅れてロックダイヴが倒れ込んだ。ズズン、という重たすぎる音に、巻き上げられる赤茶けた土。

 全身を揺さぶる轟音が収まると、それを消し飛ばすように、人の声が聞こえてきた。異口同音に、ひとりの名前を呼んでいる。

「ラビ! ラビ!」

 土煙の向こうで、誰もがその名を呼んでいる。

 英雄の名を。惨めな人生を捨てて生まれ変わった、義体兵としての自分の名を。

 思考のオーバークロックを解き鈍麻した脳に、仲間の声は直接染み込んでくる。

 そこに行けば、歓喜する仲間たちに揉みくちゃにされるだろうな、とラビは想像する。どんと来いだった。

 基地に戻ったら、アメリアは抱きしめに来るだろう。彼女はラビの義体を隅々まで知り尽くしていて、ただのモノ扱いしているきらいがある。ただ、その身体に収まるラビとしては、恥ずかしいからやめてほしいのが本音だった。

 そんなラビたちをタスクはきっと囃し立てて、皆が笑って、それから。

 それから……。

 ふと、疑問がよぎる。

 それにしても、さっき感じた一瞬の寒気──あれは一体なんだったのだろうか?

 少し悩んだ後で、首を振ってラビは思考を打ち切る。兎にも角にも、今は勝利を喜ぼう。

 勝利の証に右手を高く掲げ、ラビは、自分の名を呼ぶ仲間のもとへと歩んでいった。



 ラビが寒気の正体──自身のうちに潜む欠損に気づくのは、この少し後になる。勝利の興奮が冷め、未来に向けて何をしようかと誰もが考え始めた、二週間後のことだ。

 改めて確認しておこう。

 投射された物体は、重力に抗って上昇する。己に与えられた運動エネルギーを位置エネルギーに変換しながら、ある極点にたどり着く。それは放物線の頂点だ。

 そこから先はどうなるか。

 なんということはない。ただ、重力に引かれて落ちていくのだ。

 どのように落ちるかは、それに意思と身体があれば選べるだろう。ちょうどラビが、バッズアローの誘導をその手で行ったように。ロックダイヴの首を軸に、振り子運動を行なったように。

 だが、ここに至って、落ちないという選択肢は与えられない。

 自身の身体を投げ打って力を手に入れたかつての少年は、友を、そして師を失う過酷な戦場に抗い、今や英雄という頂点に達した。


 ならば、その後には何が待っている?

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アフター・エバーアフター 豕之山 小里 @kozato_inoyama

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