山を上下すると書いて峠。昔、徒歩で峠を越えるのは、別世界(ある意味異世界)に踏み込んでいくようなものだったのではなかったろうか。これまでいた世界に(一時的にせよ)別れを告げ、隔てられた別の世界へ。そして別の世界を知った自分は、知らなかった自分のままではいられない。今でこそ、道路さえ通っていれば、車で簡単に越えられるけれど、人の生き方における峠には、舗装された道があるとは限らない。
しかし、峠を越えても変わらずに、接することができるものもある。それに気づけるかどうかも、ひとつの試練なのかもしれない。