天井裏の猫

@me262

第1話

 大学の夏休み、私は父に頼まれて祖母が独り住む田舎の実家に様子を見に行った。昼過ぎに到着して広い庭の一隅に車を停めると、玄関の大きな引戸を開けて祖母が出迎えてくれる。

「いらっしゃい。よく来たね」

 例の伝染病のせいで3年間来訪できなかったが、広々とした平屋の家の中は殆ど変わりはなく、祖母自身も健康そうで私は一安心する。子供の頃と同じように、祖母は買い置きのお菓子を出そうとしたが、菓子を入れていた戸棚は空だった。

「おかしいね。一昨日移動販売の車が来て結構買ったんだけど」

 そして、奇妙なことを口にした。

「また猫が持っていったのかも……」

「猫?猫を飼っているの?」

「え、何?」

 耳の遠くなった祖母に同じことを質問すると、彼女は首を横に振った。

「違うよ。暫く前から野良猫がこの辺に居着いているのよ。テーブルに置いたお菓子やミカンをくすねているの」

 野良猫が外にある食べ物を盗み食いするならまだわかるが、戸棚の中身にまで手を出すなどあるのだろうか。

 もしや祖母は軽い痴呆にかかっているのか?自分が食べた分を、居もしない野良猫のせいだと妄想しているのかと疑ったが、その言動は至って正常であり、嘘を言っているとも思えない。

「その猫、見たことあるの?」

「見てはいないね。でも、時々天井裏に上がり込んで歩き回っている音は聴いたわ。私が声をかけると、にゃーんって鳴くの」

 少し薄気味の悪さを感じたが、暫く実家に泊まるつもりだったので、この日は取り敢えず一緒の部屋で眠ることにした。

 尿意のせいで夜半に目が覚めた私は、布団を出て素早くトイレを済まし、元の寝室に戻ろうと灯りの照らす廊下を歩き出した。

 その時。

 天井板が軋む音がした。それは1つではなく、幾つか続く。私の頭上で何かが動いている。もしやこれが祖母の言う野良猫か。私は上を向くとやや掠れた声を出した。

「猫ちゃん?」

 動く音が止み、暫くの静寂の後で返事が聴こえてきた。

「にゃーん」

 その鳴き声を耳にした私の全身は総毛立った。

 明らかに人間の男が猫の鳴き真似をしていたのだ!

 私は努めてゆっくりと歩き、寝室に辿り着くと、急いで祖母を揺り起こし、外に出る様に言った。初めは寝ぼけていた祖母も、小声だが強い口調で同じことを繰り返す私の真剣な表情に何かを感じ取ったのだろう。すぐに立ち上がる。

 祖母に手を貸して無言で廊下を進み、音も立てずに玄関の引戸を開けて外に出ると、2人で一目散に車に駆け込む。私は総てのドアをロックして、携帯電話を使って警察を呼んだ。

 30分もかからずにサイレンを鳴らさないパトカーがやって来て、数人の警官が家の中に踏み込んだ。彼らが屋根裏で発見したのは、散乱した紙くずや菓子の包装容器類、まだ新しい煎餅やミカンの食べ残しで、そこで何者かが生活していたのは間違いないが、最早誰もいなかったとのことだった。

 翌日、私からの連絡を受けた父親が仕事を休んで飛んできた。祖母と私の無事を確認した父は、そのまま祖母を東京に連れ帰り同居することにした。突然のことで母は不満げだったが、事情が事情だけに何も言わなかった。

 その後、実家には毎日警官が立ち寄ってくれているが、特に異変はないという。天井裏にいたせいで声をかけた相手の声質もわからず、てっきり祖母だと思って返事をしたのが侵入者の失敗だった。耳の遠い祖母なら下手な鳴き真似でも誤魔化せたが、そこに居たのが若い女では通用しない。

 父は数年後に定年退職するので、このまま何事もなければ祖母と共に実家に戻るらしい。母がどうするかは決まっていない。これで事件は終わりだが、1つ気になることがあった。

 警察の調べでは実家の天井裏には梁や柱ばかりで、人が寝起きをするような余裕はないし、天井板もそれ程の厚みもない。侵入者はこんな場所で足元の板を踏み抜きもせずに、どうやって何ヵ月も潜んでいたのか。それだけが不思議だ。

 猫でないなら、一体何だったのか。

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