第7話 もみ消さないで、雪

お店のドアは少し開きにくかった。ギギギ、と音を立てていた。大丈夫かなと思いながら最後まで開ける。

「こんにちはー。」

ドアを開けて入っても誰もいなかったので大きい声で来たことを響かせる。店内は落ち着いていて広かった。

「雪ちゃん、広いね。」

思わず雪ちゃんに話しかける。デパートの一階と聞いていたから想像していたのは少し窮屈な店内だったけれど、がたいのいい男性が30人いても収まりそうだった。

「そうだね、あ、あれってここの地酒の瓶だよ。」

さっき話題に出てきていた地酒が目の前のショーケースに入っていた。照明が地酒を照らしているように見える。

「なんかあの地酒だけ輝いてるね。」

地酒の話をしていたら奥から林先生がやってきた。3年前よりも白髪としわが濃くなった気がした。少し腰も曲がった気がする。片手にグラスを持っていた。ほのかにお酒の匂いがする。地酒にしか照明がきれいに当たっていないせいで先生が酔っ払って顔を赤くしているのかわからなかった。

「如月と、天雨、か。久しぶりだな、特に天雨。」

先生委の独特な渋い声で名前を呼ばれると高校のHRを思い出す。いつも怒っていた気がする。

「はい、お久しぶりです、先生。」

雪ちゃんが答えた。先生は前回の同窓会にも来ていたらしい。そういう集まりには出ない先生かと思っていた。でもお酒の入ったグラスを持っているのを見て、ああ、と納得した。こういうの好きそうだ、と。

「みんなもう来てるぞ。こっちだ。」

え、と雪ちゃんの顔を見る。まだ15分も前なのに。時間に遅れてしまったのだろうか。でも、雪ちゃんが間違えるはずはないし。ぐるぐると考える。高校時代みんな時間にルーズで怒られていて、怒られても直らなかったのに。大学生や社会人になってきっちり直したのだろうか。

そう考えているうちに、どんどん声が聞こえてきて、大きくなってきた。そして先生がくぐった暖簾を雪ちゃんとくぐった。誰かがいるところに入るのが苦手。そう知っている雪ちゃんは咄嗟に手をつかんでくれた。少し握り返してしまった。

くぐった先には見覚えのある顔が聞き覚えのある言葉を発していた。私たちがいることに気がついてこちらを一斉に向く。

「あ、如月じゃん早かったね。」

1人の雪ちゃんより小柄な子が声をかけてきた。確か理人くん。うちの高校からは珍しい就職だった子。いろんなこと仲が良くてよく雪ちゃんとも話していた。

「うん、理人たちもありがとう、早くから。」

理人くんが組んできた腕を組み返さずに雪ちゃんは言った。

「ほんとな、ドッキリにもほどがあるぜ。雪も策士だな。」

聞こえてきた単語にびっくりした。ドッキリを雪ちゃんと理人くんは誰かに仕掛けていたのだろうか。先生に。いやでも先生はずっとここにいて、じゃあ誰に。

「理人、それは。」

横にいた鳴宮さんが理人くんの肩を軽くたたき、気づいた理人くんは時間差で、はっ、となった。その場にいた全員が雪ちゃんではなく私を見た。

「雪ちゃん、どういうこと?集合は19時って言ったよね。ドッキリって?何も聞いてないけど。」

本当にわからない。19時集合だったからカフェラテをゆっくり飲んでお酒の話をしながら歩幅を小さくしてきたのに、本当はそれよりももっと前に集合だったならみんなをたくさん待たせたことになる。ドッキリは、よくわからない。何をしようとしていたのだろう。今はただ困惑しか残っていない。雪ちゃんの目を必死に見つめた。

「ごめん、———。ほんとの集合は18時。———だけ19時なんだ。」

言われた言葉が、わからない。私だけ違う。本当は私に来てほしくなかったのだろうか。全然、みんなと過ごしていなかったから。嫌われていたから。雪ちゃんも、そう思って。

「みんな、私が来ないほうがよかったよね、ごめん。社交辞令だって気づけなくてごめん。」

今度は来てね、というみんなからの言葉。本当に社交辞令だったんだ。来てほしいと本当に思われてるかもと思ってき来たことが恥ずかしい。

「違う。これは———へのドッキリのつもりで。」

雪ちゃんが私の前に寄ってきて目を合わせてから言った。私へのドッキリ。

「———のお祝い、しようと思って。ほら、この間の。」

この間の、お祝い。そう言われてピンとくるものがあった。多分、あれだ。あれしか思いつかない。みんなの視線が雪ちゃんと私に集中する。

「3年半前はお祝いしたけど、あれから毎年何周年ってお祝いはできなかったし、今回は絶対したいと思って。仕事も学校も落ち着いたから、そろそろちゃんと3年半間分のお祝いしようって決めて。その時にちょうど同窓会の連絡が来て、ドッキリにしようって提案した。」

そんなことを計画しているようには見えなかった。忙しそうだなとずっと思っていたけど、まさか仕事じゃなくてドッキリの計画を立ててたなんて。目をはらすほど徹夜していたのは仕事のためではなかったと思うと申し訳なかった。

雪ちゃんがドッキリを仕掛けてくるのに納得しても、みんなが一緒にドッキリを仕掛けてくるとは思わなかった。全然関わったことがないし、私自身いいように思われていなかった気がする。

「みんながドッキリに乗ってくれるはず、ないよ。だって私、全然よく思われてなかっただろうし。」

みんなに少しだけ聞こえるように言った。この回答はしてくれないと思ったから。

「そんなこと、ないよ。天雨さんすごいねってみんなで話してて。いつも大変そうだったからあんまり話しかけないほうがいいのかなって思って。毎日みんなで天雨さんの話してた。みんな尊敬してる、って。だから雪からドッキリの話聞いてみんなすぐ了承したよ。天雨さんにかかわりたいって思って。」

鳴宮さんが生き生きとした顔でこちらを見て楽しそうな声色で話す。嘘をついているようには全然見えない。他のみんなも同じように少し笑ってこちらを見ている。よく思われていない、とか言ってちゃんと見ていなかったのは私のほうだ。忙しくてなにも見ていなかった。

「ありがとう、ありがどう、ほんどに。よがっだ。」

久しぶりに目の前が曇った。この3年、絶望することも悲しいことも悔しいこともあった。でもその中でも一番に心に刺さったみんなの思い。よかった。頑張って来て、よかった。

頬に涙が1粒、2粒と流れていく。その間隔がどんどん短くなっていく。

「これで拭いて、ね。よく頑張ったよ。本当におめでとう。」

雪ちゃんがハンカチを差し出してきた。ハンカチには「ゆきと」と水色の糸で刺しゅうしてある。私が小学生の時あげたハンカチ。受け取って涙をふく。メイクが、なんて考えていられなかった。10年以上たっているのにハンカチはふわふわだった。

「よし、じゃあ乾杯しよう。」

そう言ってカウンターから理人くんがグラスを持ってきた。中身は茶色の飲み物だった。甘い匂い。

「これって。」

嗅いだことのある匂い。最近も嗅いだ。もっと昔も。これは。

「俺が作ったカフェラテ。昔お祝いの時に作ったでしょ。これはね、お祝い用だから特別にチョコレートが入ってるんだよ。」

チョコレートは私たちにとって大事なお菓子だった。最初に二人で食べたのもチョコレート。さっき飲んだカフェラテのラベルにも書いてあった。全然今まで隠し味がチョコレートなんて気がつかなかった。気がつかないくらい合っていて、甘い。

「じゃあ、みんな持った?」

全員がグラスを持ったことを雪ちゃんが周りを見て確認する。みんなうなずいている。

いつの間にかだらだらと流れていた涙は止まっていた。もう泣ける気がしない。もう大丈夫。

「デビュー3.5周年、直木賞おめでとう、叶羽。」

初めてみんなに名前を呼ばれた気がした。それは多分今までの疑う心と悲しみと苦しさがなくなったから。

「ありがとう、雪斗、みんな。」

上がった口角が、下がらない予感がした。




「………ということで今日は小説家、天雨叶羽さんにご出演いただきました。ありがとうございました。」

歓声がわあー、っとあがる中で壇上から降りた。目の前にはカフェラテを持った雪斗がいた。今日はセットアップではない。

「おつかれさま、叶羽。」

そう言って渡してきたカフェラテを受け取る。

お互いの左手の薬指が照明できらっと、光った。

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