第6話 始まり

夏休み、宿題が山のように自宅の机に重なっていた。3カ月分の学校の課題と夏休みの課題。どれから片付ければいいのかわからないくらい多かった。

「もう学校行く気ないしやらなくていいかなぁ。」

山積みの課題を見るとベッドへ身を投げ出してしまう。これで3日目。やらなきゃいけないという考えともう行けないという心の葛藤。同等の気持ちの強さ。

「いや、やろうよ、———。」

声がしたほうを見ると数週間ぶりの雪ちゃんが立っていた。

ショルダーバッグに私服。夏休みらしい感じで、少し日に焼けていた。

「結構量あるんでしょ。玲子さんがぜひ一緒にやってほしいって。だから来たんだけど。久しぶりだね。」

雪ちゃんは夏休みに入る前から学校に行く前と帰ってきたときに家に寄ってくれていた。でも出ることはできなかった。先野さんがクラス全員に私を無視するようにきっと言ってみんなそうして雪ちゃんのせいじゃないのに、休み続けていることが雪ちゃんのせいだと思わせてしまっているかもしれないのが、痛かった。出ることはなかったのにそれからも毎日毎日同じような時間帯にきて同じように帰っていく。雪ちゃんの苦労を増やしたのは私だった。雪ちゃんが先野さんたちを苦手だなと思うことには形や行動として苦労にはなっていなかったかもしれないけど、毎日家に来てくれるのはきっと大変で苦労だったはずだ。

「久しぶり、だね。」

何とか言葉を返す。そして目もそらす。

「どれくらい自力で課題できた?結構難しいかもしれないけど。わからないところは教えるからさ。やろっか。」

2人で勉強するには少し小さめな丸いテーブルの上に雪ちゃんが課題と筆記用具を広げた。広げたページは私が学校で習っていたところの30ページ先だった。ぐっ、と泣きそうになる。楽しかったはずなのにつらくなったあの日々が、雪ちゃんの中では先野さんたちと同じように進んで私だけ取り残されている。雪ちゃんのせいじゃないのに。私が弱かったから。あの教室に入りにくくなって、保健室にこもって、自分の部屋にこもって。クラスのみんながいる教室に入れなくなった。招待が来ているクラスチャットのグループにもまだ入れていない。

あの夏。3年前の運動会。雪ちゃんの手を、掴んでくれた手を振り払ってしまえばよかった、と今更ながらに後悔した。なんとなくこの幸せが、雪ちゃんといることが怖いと思ってしまった小学4年生の私の勘は、きっと当たっていたのかもしれない。

「雪ちゃんとは、やらない。参考書あるから教えてくれなくても大丈夫。」

ベッドから立ち上がって普段はあり得ない、座った雪ちゃんを見下ろす形で言った。少し驚いた顔をしている雪ちゃんを一瞬見たけれど、やっぱりすぐにそらしてしまった。

「———、なにかあったんでしょ、あの時、階段のところで。」

雪ちゃんが驚いた顔から真剣な顔になった。目は優しくこちらに向いている。

「おかしいなって思ってたんだ。探検って、本当にあそこには何もない。先輩のカップル達か———の苦手な女の子たちしか行かない。先野さんと話したことあるなんて言ってなかった。黒いうわさがあることも少しは知ってたでしょ。なのにあの日先野さんたちが機嫌悪そうに———のこと話してた。その後、同じところから———も出てきた。しかもすごく苦しそうな顔してた。だからなんかあったんだって。でも隠すから。言えないことなのかなって思ったんだ。言いたくなるまで待とうって。けどもう待てないよ。何があったの。」

私に精一杯話しながら少しずつ雪ちゃんは私の隣に近づいてきた。逃げたくても逃げられない気がした。雪ちゃんの苦労を増やしてはいけないと思って会わずに一人でずっと考え込んで休んでいたけど、限界だったんだと気づいた。学校の授業が進んでいく焦りと部屋に飾ってあるだけになった制服の値段と気にすることのなくなった寝癖が、私に圧をかけてくる気がしていた。それがつらくて、苦しくて布団にこもっていた。でも、そろそろ出たい。まともに会っていない両親とも雪ちゃんとも笑いたい。もう一度。

そう願った瞬間手が温かくなった。隣にいた雪ちゃんが心配そうに手をつかんだ。

「約束は変わらないよ。ずっと一緒にいるって。大丈夫だから、話してほしい。」

目の前が潤む。視界が悪くなる。雪ちゃんの顔が揺れて見える。一粒の涙が自分の頬をつたった瞬間に見えた雪ちゃんの顔が私の背中を押した。

「あのね。」

 

夏休みの課題は始業式までに余裕をもって終わらせることができた。でも始業式には行かない。

「絶対何とかする。だからまた一緒に登下校しようね、———」

全部の話を聞いてくれた雪ちゃんが言った言葉。それを信じて始業式の1週間後から行くことにした。

もう大丈夫と言ってくれた雪ちゃんのことを信じて、1週間後教室のドアを違うクラスなのについてきてくれた雪ちゃんに見守られながら開けた。

「———、大丈夫。」

その言葉が聞こえる。振り返らずに前だけを見た。

「おはよう、———」

「おはよー」

その言葉が飛び交った。4か月とちょっとぶりの教室のドアだった。

先野さんはそれから雪ちゃんを見て群れることも、私を睨みつけることもなかった。仲の良かった子たちはたくさん私に謝ってくれて、たくさん優しくしてくれていた。それでもまだ言えていなかったのか誰かのいる教室に途中から入るのは少し抵抗が残った。その事を話すと雪ちゃんは

「じゃあ一緒に入るよ。」

と言ってくれた。雪ちゃんがどうやったのかわからないけど、それから2年半、平和だった。

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