第5話 喉の奥のもの
同窓会の会場は地元で1番人気のあるお店だった。元担任の林先生の友達がやっていて、気を遣って貸切にしてくれているらしい。
古いデパートの一階にあるそのお店は老舗感が出ていて、見た目からして味の保証がされている感じがした。
19時から始まる予定だったけど、それより15分早く着いてしまった。
「もっとゆっくりカフェラテ飲めばよかったね。」
雪ちゃんが言う。急いで飲んだカフェラテのことを少し思い出すと、その時の温かさが自分の中で反復してきた。お腹の底から温かくなる。
「んー、でも誰かいる状態でお店に入るの苦手だから良かったかも。」
昔から誰かのいるところに入っていくのが苦手だった。その原因は多分中1のあの出来事だろう。私が初めて自分が雪ちゃんと今までずっといたことを後悔して、でもやっぱり雪ちゃんだけでいいと思ったあの時のこと。
中学に上がってから小学校の時ほど雪ちゃんとくっついていることはなくなっていた。それでも登下校や廊下であった時の休み時間はたくさん話していた。次の授業は少し苦手な先生が来ること、今日の部活がなくなったこと、雪ちゃんのテストの点数がすごく高かったことなど、ありきたりなことばかり話していた。その周りにたくさんの人がいたことも私は最初気がつかなかった。その人たちの目的が雪ちゃんであることも当時の私はわからなかった。
「———、ちょっといい?」
放課後に呼び出されるのはそれが初めてだった。時間は4時半。雪ちゃんとの約束は4時45分だったから、快く引き受け、階段下の普段誰もいかないところに連れていかれた。
「えっと、なにかな。」
私は学年の一番の権力者の先野さんに呼び出されるほど関わったことはなかったし、なんでかわからなかった。先野さんはいつものグループ5人で私を囲うようにして立った。
「は?あんたが雪ちゃん雪ちゃんって言って独り占めしようとするからでしょ。みんな同盟組んで抜け駆けはなしにしようって決めて守ってるんだけど。そろそろ空気読んだら?」
まっすぐ見つめた先の彼女の眼は真っ黒で小さな光さえ感じなかった。組まれている腕もすらっと高い身長も従っているほかの子たちもこの瞬間だけ寒気がするくらい、怖かった。階段下は夕方はすごく暗くて彼女たちの表情はしっかり見えないはずなのに、伝わってくる。怒りとその中の悲しみと、憎悪の気持ち。雪ちゃんの前から消えてくれと願う強い意志を、感じた。
それでも、嫌味を感じさせるために雪ちゃんといるわけじゃなかったし、彼女たちや他の子がそうやって同盟を組んでいたとしても、ただ雪ちゃんと楽しく過ごしたかっただけだ。そこに文句を言われても仕方がないし、おかしい。
彼女たちが怖いと思ったけど、やっぱり変な感じがした。
「雪ちゃんのこと、どう見てるかわからないけど、雪ちゃんといるために許可を取る必要なんてないし、雪ちゃんにもう喋りたくないって言われるまでは空気をしっかり読もうなんて思わない。こういうことするのが1番雪ちゃんは嫌だと思うよ。だから、やめなよ。」
もっともっと言いたいことがあった。雪ちゃんは群れて見られたくない。雪ちゃんは女の子に群れられるのが苦手。みんなが雪ちゃんを見ていても、雪ちゃんはみんなのことを見ていない。
どうして、どうしてみんなは共有して、共有していくことが平和で正しいと思うのだろう。抜け駆けなんてしていない。これはずっと前からの権利で、みんなにもある権利。それをみんなが勝手に行使するのを避けているだけ。
「なに言ってんの?まじで話通じないわ。話わかんないならわからせるだけだから。」
赤い夕日が階段下に小さな窓から差し込んだ。鋭い細い赤い光。その光が先野さんの目を照らす。その目は赤く染まって睨みつける。
組まれた腕を解いて、肩をわざとぶつけて従わせていた他の子に目配せをし帰っていく。先野さんがいたところにはさっきまで差していたはずの細くて赤い光は無くなっていた。真っ赤な夕日が雲に覆われ始めた。
「———、なにしてるの?」
しばらくして階段を通っていた雪ちゃんが声をかけてきた。先野さんたちがいなくなってからどれだけ経ったか、わからない。覆われていた夕日が少し移動して雲も消えていた。
雪ちゃんの隣には雪ちゃんと同じクラスの太一くんが立っていた。
「雪、じゃあ俺もう行くわ。———も、またな。」
廊下の時計を見て、慌てたように太一くんが帰っていく。
「うん。」
雪ちゃんの声が太一くんの走った音と重なる。重なった後、しん、と静まり返った廊下は長いのに雪ちゃんと2人きりだった。
「なにしてたの?こんなとこ、教室と真反対だよね。ここなにもないし。」
雪ちゃんが顔を覗き込んだ。長い前髪があってよかったと思う。雪ちゃんの目を真っ直ぐ見なくてもバレない。
「特になにも。雪ちゃん待つのに時間結構あったから探検してただけ。」
この学校は意外と広い。公立ではなかなかない広さだ。この嘘はバレるはずがない。本当のことを話してるっぽく見えるように自分の手を後ろに回して繋いで少し胸を張る。いたずらっぽく笑っても見せる。
「そっか。先野さんがさっき大群でこっちからきてたから。あんまりいい子じゃないみたいだし、なんかあったのかと思ったけど。」
勘が良すぎる。真っ直ぐ見つめてくる目が嘘ついてないよね、と訴えかけてくる。さっきのはわざとらしかっただろうか。
「えー、どうしたんだろうね、みんな探検してるんじゃない?そんなことよりさ、もう帰ろうよ。美奈子さん心配するんじゃない?」
さっと話題を変える。美奈子さんは雪ちゃんのお母さんだ。おばさんって呼ぶのも雪ちゃんのお母さんって呼ぶのもちょっと違うと思って、美奈子さんと呼んでいる。美奈子さん本人もそっちの方がいいみたいで、おばさんと呼ぶと違うでしょ、と目を向けてくる。
「そうなのかな。わかった、帰ろう。支度しにいこ。」
後ろに回した手を雪ちゃんがとって繋がれたまま階段を登ろうとした。まだ大きさは同じだったけど、手の肉が雪ちゃんは少なくなっていた。
「手離さないの?」
雪ちゃんに聞く。学校で、誰もいないからと言って数ヶ月ぶりの手は恥ずかしかった。手汗も急に心配なった。
「あ、ごめん。癖で。」
雪ちゃんがパッと手を離す。手汗は気にしなくてもよかったみたいで、全然さらさらだった。
その日の帰り道は車の量が多くてあんまり雪ちゃんの声が聞こえてこなかった。話がきっと、雪ちゃんの一方通行で、なにを言っていたのか、なにを強く語っていて、時々どうして笑いかけてくるのか、わからなかった。
聞き返すこともなんとなく、出来なかった。
「おはよう。」
そう言って教室のドアを開けて入ると誰も返してくれなかった。昨日まで仲の良かった子もなんとなく話しかけてくれた子も隣の席の子も同じ小学校だった子も、みんなこっちをチラチラ見て目があったらそらして、話しかけても無視をした。
教室は空気がよどんでいた。
それから、3ヶ月と夏休み、合わせて4ヶ月。雪ちゃんと一緒に朝登校して、夕方下校することはなかった。
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