第百十一話 逃避行

 視界も足元も悪い中。

 意識を取り戻したばかりの乙姫を背負う太郎さんを囲むように、後続との合流を目指して山道へと差し掛かったあたりで。


「いたぞっ、アレだ!」

 とカトーの声が背後から響いた。


 振り返ればカーキ枯れ草色のオイルコートに身を包んだ部隊が、雨粒を弾いて駆け寄ってくる。

 距離にして二、三百メートルといったところか。

 

 パンパンッと銃声があがり、

「止まれっ、次は威嚇では済まんぞ! 止まらねば次は撃つっ」

 と太いカトーの声が響く。


「ちぃっ!」


 振り向きざまに、近衛隊の副長が肩にからげた弓をとり、弓を押し出す手を少し斜めに持ち上げると、ヒョウと放った。

 それを合図に、弓を構えた小隊から次々と矢が放たれる。


 洋弓の射程距離は三百メートル。

 十分に届くはずだった。


「波動――『風雲』っ」


 カトーの腕から雨粒が飛び散り、白い煙がまとわりつくとビュウと突風を巻き起こし、全ての矢を吹き飛ばしてしまう。


 眉をひそめるワルレー軍卿の前に、

「急ぎ後方へ! ここは私たちが足止めします」

 と、近衛隊の副長さんが訴えでた。

 

「そうか。わかった、必ず報いるから生きて帰ってこい」


 お任せを、と敬礼と返礼を交わし、ワルレー軍卿はこちらに振り返る。


「波動『隠遁』をかけながら走れっ」

 

 たちまちユラユラと実体が薄れていく。

 全員が揺れる陽炎にかわり、雨の中を吹き抜ける風の一団となってかけ始めた。


――――その直後。


 タンッ、タンッ、タ――ンッと後ろから銃声が響いて。


 タ――ン――ンン……ッ、と山に木霊が駆け回る。


「クロウさまっ」


 とシズ姫が不安気な顔で

「あれは、どういう、こと?」

 と、薄々理解できてしまったことを、否定してほしいように聞いてきた。


「な、何も心配いらぬ、のじゃ。シズ姫も、さっきのおとこの言葉、を聞いた、であろ? おとこは約束、を守る、のじゃ」


 駆けながら答えるから、電波障害の音声通話みたいに切れ切れで。

 クロウさんはそうなのじゃ、そうに決まっておると呟いて前を向く。


「あっ」

 とシズ姫が悲鳴を上げながら転んでしまった。

 無理もない。

 屈強な近衛兵でさえ足元を取られる山道だ。お嬢様の中のお嬢様のシズ姫が、慣れない山道で慣れない疾走をしている。


 疲労も重なり、立ちあがろうにも立ち上がれずに泥だらけになりながら、座り込んでしまった。

 

 濡れそぼる肩で息をしながら

「私はここで隠れています。みなさんは早く逃げて」

 と潤む目で訴える。


「私なら大丈夫だから――「シズ姫っ」」

 と、駆け寄るクロウさん。


「ようここまで辛抱された、さ、ここからはワシの背に掴まれ」

 とシズ姫に背を向けて。


「何をしておるっ、さ、早よ」

 なおも恥じらうシズ姫の手を取ると、強引に背負って駆け出した。


――――山道の入り口には関所がある。

 

 関所を貫く山中へ続く道の両側には、競技用プール二つ分ほどの空き地があり、ここが兵士の野営地となる――はずだった。


 ところがたどり着いて見ると、大妖ハデスが破壊しつくし瓦礫の山と成り果ていて、無惨な荒地へと変わっていた。


「合流するならここ、と思っていたが……まだここにもおらぬか。思った以上に到着が遅れている」


 もはや関所跡となってしまった瓦礫の散らばる広場を、見渡すワルレー軍卿の顔色は悪い。


 そんな時、再びタンッ、タ――ンッと後ろから銃声が響いた。

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