第百一話 風前の灯

 大妖ハデスの残滓ざんしは黒い霧となり、巨大な人面となって巨大な口を広げて迫ってきた。

 それはもう洞窟のような虚無の闇をのぞかせながら。

 クロウさんが懐に手を突っ込むと、光るナニカを放り投げた。

 

「七郎、太郎殿も投げ込めっ!」


「へ?」

 

 ……何を、と言う顔だ。


「乙姫たちから預かった“外魂の玉”じゃ」


 なんでわからないかな?! って顔だが、これは打ち合わせてないクロウさんが悪い。


「そ、そんなこと言ったって」

 と、慌てて懐やら背負い袋をあさる締まらない絵面だ。


『ゔぉう……?!』


 苦悶の声が上がる方向を見ると、大妖ハデスの残滓ざんしが人面の形を歪ませている。


『おのれ……何を』


 見ると口の中に放り込まれた“外魂の玉”が、輝きを増した。太郎さんと七郎さんと近衛隊の皆が、その光景と成り行きに唖然あぜんとしている。


「あれは何が」

 起こっているのだ? と聞きたいのだが、あまりの異様さに言葉が出てこない。

 光と影が渦を巻いて、まるで野犬が争い互いの尻尾を噛みちぎらんとするように、グルグルと回っていた。


「あれは“フェリーチェの儀”で祈りを集めた“外魂の玉”じゃ。『愛し子の健康と豊作』の祈りを込めた“外魂の玉”じゃ。持って行けと託されたではないか」

 まだわからぬか? とじれったそうなクロウさん。


 だからそれで何が起こっているのだ、と聞きたいのだが? 一同が困惑している。


「大妖ハデスの残滓ざんしは憎悪と恨みのおりじゃろうて。

 対して祈りは清き上澄みの想念であろ? それを込めた“外魂の玉”が浄化しておるのじゃ」

 よってああなる――と眼前の黒い霧がうごめく様を指し示す。


『ぼがぁッ!』


 大妖ハデスの残滓ざんしが、嘔吐するような苦しげな声を吐き出すとコロンと玉を吐き出した。

 先ほどの祈りを込めた“外魂の玉”が、すっかり色褪せて転がっている。


「ぬぅ……あれだけでは足りなんだか」


『うぬらごときがッ』

 

 大妖ハデスの残滓ざんしとはいえ、これまで幾千の“ラの国”から来た侵略者の憎悪を飲み込んだのだ。

 本体こそ浄化され崩壊したが、媒介をなくし消えゆくのみとなると、それこそ必死。

 

 これまで溜め込んだ“憎悪”を瘴気に変えて吹きかけてきた。ボボボボボッと強風にあおられる旗のような音がして、結界が揺らぐ。

 

「は、波動が乱れるっ」

 

 太郎さんと七郎さんが支えを失って、つんのめるようにによろけた。

 中空を舞っていたしめ縄がハタリと落ちて。

 それは隙間なく並べた盾が崩れて歯抜けになるようなもの。

 

 結界が乱れ、いびつな隙間が生まれた。そこからシュウシュウと瘴気が入り込んでくる。


「波動っ風雲ふううん


 クロウさんが叩きつけるように腕を振ると、突風を呼び瘴気の黒煙を押し返している。


「七郎っ、太郎殿っ、今のうちに結界を持ち直すのじゃ! 近衛衆っ力を貸してたも」


 と声を張り上げる。


「「おうっ」」


 近衛隊が空間に干渉する気を通し波動を練り上げた。


「「波動っ『風雲ふううん』」」


 クロウさんと小隊の波動が同期シンクロする。突風が渦を巻いて黒い瘴気を押し返していく。

 

 七郎さんと太郎さんが波動を整えると、再びしめ縄が結界を取り戻した。


『ぬぅ……おのれっ! おのれぇっ、ヴォォォォォ――ッ』


 人面が世にもおぞましい咆哮を上げると、結界の外に突風が吹き荒れた。

 ゴロゴロと雷鳴が天を走り、ごうっとふきつける風がまたも結界の気を乱し、大妖の顔型が広げる口の中へ吸い込まれていく。


 結界を支えている太郎さんが、クロウさんに歪んだ顔を見せた。

 

「これ以上、結界が持たん」

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