第九十九話 祖霊と言霊と

「彼女が苦しんでいるのは、シズ姫と貴殿への愛を思い出して身をかれているのじゃ」


 と告げる。


「戦っておるのじゃよ。身のうちの大妖ハデスと」


――――乙姫の中で。

※ここから乙姫の目線です。


 懐に押し込まれた『言伝ことづて』の玉から想念が流れ込んでくる。

 それは私の愛おしい過去で、胸を焦がす思いで、苦味をともなう甘露で。

 

 もはや憎悪の塊となった私を、その甘露は劇薬となって体のあちこちをいていく。

 敵を屠らねばこの痛みは治るまい。

 また黒くこの身を染めねばき尽くされてしまう。


『敵?』

 ふとそう思った。

 それをささやいた真っ黒な思念が湧き出してくる。


『そう敵だ……人間だ』


『なぜ?』

 

『思い出せ――人間は強者が弱者を喰らう同族喰らいだ。生きるためにやむに止まれず捕食するものとは違う』


 そうだ――我欲と、まだきてもいない未来への不安のために騙し、裏切り、奪い、殺す。

 

『おのれの欲望が叶わぬとなると憎み、徒党を組んで寄ってたかって攻撃する。

 それも己が正しい、これが正義だと吹聴しながら、弱者をたたく。

 それは『理想』や『思想』や、ときに『神の教え』を語って『正義とすり替えた己が欲望を守る』ために、より弱者を狙って叩く同族喰らい。それが人間だ――そうであろ?』


 ああ、そうだった――王族として嫌と言うほど見てきた光景だ。なんと醜い生き物だろう。

 そんなものは駆逐せねばならない。繰り返される問答でそう思った。


ぬしは大妖ハデスか?』


『そうだ――貴様は我の顕現けんげんする媒介。この世の支配者としてやろう』

 


『人は過ごした時間の中で、心の中におりとなった憎悪で魂を黒く汚す。

 その魂を喰らってやるのだ。滅ぼしてやることこそが慈悲だ』


『違う』

 とだれかが否定する。


「誰じゃっ」


 身をく痛みに悲鳴混じりの誰何すいかを放つも、夕焼けに染まる瓦礫だらけの街に、虚しく響いただけだ。


『違う』

「おのれ、出てこぬか! 貴様も喰ろうて……がはっ」

 

 瘴気が浄化の気に当てられて凝固したのか、胸につまって咳き込むと、口からボトボトとこぼれ落ちた。


「なにが違うと言うのじゃ……」


『生きよ――見よ――聞くがよい』


 それだけ告げると眼前の風景が変わる。

 それは太郎を見染めた竜宮城の一角で、「乙姫さま」と彼がささやく甘い眼差し。


また場面は変わり

 オギャア、オギャアと泣くシズ姫の産声がする。

「姫さまにございます」

 と恭しく産着に包まれたシズ姫の顔を、愛おしそうに見せにくる産婆。


また場面が変わり


 ヨチヨチと歩き始めた愛娘が、抱っこをせがみ近づいてくる。


「おお、よい子にしていましたか? シズ姫、妾は世界中の誰よりもあなたが大好きですよ」

 と耳元にささやいたときの、くすぐったそうに身を捩り笑う愛し子の笑顔。


――そうであったか。

 

 と王族に伝わる教えを思い出した。


 受け継がれる命――それを次に繋げるために人間は争うのだ。

 協力して食糧を作り、身を守るために自警団をつくり次の世代を育んでいく。

 争わないために学問を作り上げ、学んだ者たちがまた次の世代へ伝えていく。

 

 そうやって出来上がったのが社会であり国家だ。

 欲望や不安に負けて争いは繰り返されるが、それすらも学びに変えて人は次の世代へ命を繋いでいく。


「それもまた愛おしくもあるのぉ」


 と呟いたとき。

 身のうちから憎しみが剥がれ落ちていった。

 

『愛おしきかな……我が子孫よ』


 と頭の中に声が響いた。

 そうか、あれは祖霊の言霊ことだまであったか。

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