第九十八話 愛に身を焦がす

「乙姫殿っ、御免」


 と乙姫に押しつけると、乙姫のやがて薄い光で包まれる。


「グォォォ――――っ」


 乙姫が苦悶に身をよじらせた。


「太郎殿っ」

 と七郎さんが地にっている太郎さんを引き上げると、シズ姫のいるしめ縄の結界まで避難させる。


 太郎さんが驚きの目で苦悶する乙姫を見つめていた。

「あ……あれはどうしたことでしょう? やめてください。乙姫は何も悪くはない。今すぐあの術を」


 とクロウさんに訴えた。

 

 それを見事にスルーして。

 クロウさんは結界に戻ると、「近衛衆っ」と乙姫を指差す。


「今じゃ、捕縛してたも。今なら大妖の術は使えぬはずじゃ」


 と声を上げる。

 太郎さんはよろよろとクロウさんの腕を掴み、声を荒げた。


「乙姫に何をした?! 身を張って国を守った気高き女王に何をしたんだっ」


「なに……思い出してもらっているのじゃよ。あの光は乙姫が自ら産み出しているものじゃ」


「ふざけるなっ、思い出すだけであんなに苦しむはずがないっ」


 ふらふらになってるのに、胸ぐらを掴んで睨みつける。

 クロウさんは、その太郎さんの腕に優しく手を添えて微笑んだ。


「乙姫の懐に『言伝ことづての玉』をねじ込んで、聞かせておるのじゃよ」


「ウソだ。『言伝ことづての玉』の伝言くらいで、なぜあのように苦悶する?!」


「忘れたのかの? 太郎殿。

 大妖ハデスは『負の感情』のかたまり。そして封じるためには“負の感情”の逆“正の感情”を注ぎ込んだ“外魂の玉”をぶつけ中和し封じる(第四十六話)、と乙姫が言うておったろ?」


「“正の感情”と『言伝ことずて』の玉となんの関連が……? あれは『外魂の玉』ではない」


 太郎さんが戸惑い気味に問い直すと、クロウさん。

 チチチチッと舌打ちしながら立て指をふり、乙姫を指差した。


言伝ことづての玉に録画されていたのは、御身が乙姫へ残した伝言と、多忙を極める乙姫が幼いシズ姫を気遣い、やり取りした記録が入っておった」


 これはシズ姫から聞いた話だが、意外にも乙姫は太郎さんのことをシズ姫に悪く言ったことはなかったそうだ。

「両親が心配」と去っていく太郎さんに、恨み節の一つや二つありそうなものだが、それをシズ姫にこぼすことはなかったらしい。


 それだからシズ姫も太郎さんのことを、自分を残して去っていったと恨むことはなかった。


「その伝言に残されていたのは太郎殿――――貴殿が乙姫をいかに素晴らしい女子だ、と褒めたたえる言葉と、日下部家の家督争いをうれう心持ち。

 そして乙姫が交わした、シズ姫との何気ない日々の会話じゃった」


 太郎さん浮気目的で帰ろうとしていたんじゃなかったんだ。


「太郎殿。貴殿は自分の都合だけで、戻ったわけではなかったんじゃろ? 日下部家実家への憂慮と、残される乙姫への想いであふれておった」


 とクロウさん。


「人を思いやる気持ち。それは人が待ち合わせ、代々育んできたもの――愛じゃろ?」


 と優しく微笑む。


「それを思い出してもらったんじゃよ。そのために、乙姫の懐へ言伝ことづての玉をねじ込んだ」


 それって?


「乙姫が身悶えるのは、大妖ハデスの媒介になって『負の感情』に満たされておったから、自らの『愛の感情』に身を焦がされておるのじゃ」


 つまり、とクロウさんが唾を飲み込んで言葉を続ける。


「彼女が苦しんでいるのは、シズ姫と貴殿への愛を思い出して身をかれているのじゃ」


 と告げる。


「戦っておるのじゃよ。身のうちの大妖ハデスと」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る