第九十六話 もはや味方も敵も意味はなし

 さまざまな呪詛じゅそを吐き散らしながら、噴き出てきた黒い人魂が、人型ひとがたに姿を変えると、シズ姫に襲いかかってきた。


『おのれ……おのれっ』

『きさまの目をすすり、五臓六腑ごぞうろっぷを喰らいつくしてやろうぞ』


 黒い人型は悪霊のごとくシズ姫に迫るのだが、しめ縄を回した一帯にまで近づくと、見えない壁にさえぎられたように近づくことができない。


 そのしめ縄の輪の中から、それを睨みつけるクロウさんと太郎さん、七郎さん。


「ぬぅ、おのれ悪霊どもめっ。祓ろうてやるわ!」


 クロウさんと七郎さんが素早く手の平を下に伏せて、左手の指先で地面に触れながら、右手で九字を切る。

 

触地印せっちいん九字護身法くじごしんぼうりんびょうとうしゃかいじんれつざいぜん


 九字を切り終わった人差し指と中指をそろえて、黒い瘴気に向け波動をのせて念を放つ。


「「悪霊退散っ、降臨! 武の化身っ摩利支天まりしてん」」


 さすが仏門に身を置いた二人だけに、見事に所作を同期シンクロさせて念を解き放った。

 

「「喝――――ッ」」


 黒い瘴気がうごめいた。


「…………」


『おのれ……おのれっ』

『きさまの目をすすり――』

 黒い人型たちが騒いでいる。


「「――――ッ!」」


『おのれ……おのれっ』

 黒い人型たちが騒いでいる。


「「――――ッ!」」


――――――以下同文。


「七郎……効かぬの?」

「若、これは我らの修行不足。仏の教えに我らが至らぬせいにござるぞ」


 顔を見合わせるお間抜け主従ふたり


 その後ろから、シャラシャラ……しゃら――んっと鈴の音が掻き鳴らされた。

 その鈴の音のごとく転がすような軽やかなシズ姫の祝詞が続く。


とほかみえみため(遠くにいらっしゃる)、祖霊それい大霊たいれい、神溜まりにおわしますの大神達。

 諸々もろもろ禍事まがごと 罪穢つみけがれを祓い給え 清め給えと 申す事のゆえを聞こし食せとかしこかしこみ申すぅ〜う」


 独特の節回しで詠うように祝詞をあげ、舞うように鈴を捧げてくるりとまわる。

 すると、何もないはずの空間からキラキラと金箔が舞い落ちてくる。


 それは闇に舞う粉雪に似て。

 黒い瘴気しょうきが触れるたびに、透明になって霧散していく。


「浄化されておる」


 ポカンとその様子を魅入っていた。


「ヴォォウッ」

 

 次々と祓われていく怨霊に、苛立たしげに大妖ハデスが吼えた。


 シャラシャラ……しゃら――んっと、またも鈴の音が掻き鳴らされる。


「かしこみかしこみ申すぅ〜う。大妖の荒ぶる魂を鎮めたまえ、救いたまえぇ〜えっ」


 シズ姫の額には白い鉢巻が巻かれており、五百円玉ほどの鏡がその真ん中に縫い付けられている。

 それが夕日の光を反射して、オレンジ色の光を反射した。


 その光をまるで糸を紡ぐように、シャラシャラと神楽鈴かぐらすずに絡め取っていく。

 まばゆいほどに絡め取られた光を、シズ姫はそっと押しやるように大妖ハデスへ向けて放った。


 スゥーと滑るように進む光の塊。

 それが大妖ハデスを包むと一気に崩壊が始まった。


「ヴォォ? ヴォォ――ッ」


 黒い塊がポロポロと剥がれ落ち、崩壊を始める大妖ハデス。


「ヴォォ……」


 暗く低い音を残して、大妖ハデスは黒い水晶の柱を残して消えた。その水晶にくくりつけられた、巫女服の呪文で覆われた女を残して。

 

 

 ふらふらと身を起こすと黒い瘴気を吐き出した。


「おのれ……」


 それは憎悪に身を焼かれた乙姫の姿だった。


「お母様……」


 とシズ姫が両手を広げる。

 

「お母様……もう、もう良いのです。もう、もう闘わなくても良いのです」


 そう告げるシズ姫に乙姫はわらった。


「もはや敵も味方も意味はなし。喰らい尽くしてやろうぞ」

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