第九十話 “ラの国”の悪夢  

 シズ姫の指差す先には、入ってくる時は気がつかなかった三階だての建物ほどの鉄塔が建っていた。

 

「お手柄じゃ、シズ姫どの」

 とクロウさん。


 早速そちらへ走り出した。


――――鉄塔へ登ると。


 シャルル港が一望できた。

 眼下に広がる街並みは黒く焼けこげて、砲撃の火災であちこちから黒煙が上がっている。その中央で砲撃の応酬をする大妖ハデスがいた。

 

 その先を見れば、ずっと沖にいたと思っていた“ラの国”の艦隊は、少し小ぶりな巡洋艦を先頭に、一際大きな戦艦が三隻、それよりすこし離れた後方に揚陸艦を従えて迫ってきている。


 たがいの距離は十キロも離れていまい。

 

 艦隊は横っ腹を向けると、艦橋の前後に配置された主砲からドォォォン――ッとオレンジ色の炎を吐き出し、砲撃を開始した。


 着弾の黒煙が上がるたびにドォォォンッと空振が押し寄せ、鉄塔がグラグラと揺れる。


――――そこへカンカンとハシゴを昇る人の気配が。


「よいしょっ」


 鈴を転がすような声とともにシズ姫が顔を出す。


「シ、シズ姫、ここは危ないゆえに……」


 と呆気に取られていると、慌てたように七郎さんと太郎さんが追いかけて登ってきた。


「シズ姫、危のうござるから下へ」


 と口を揃えて諌めるのだが、シズ姫はイヤイヤとかむりを振る。


「お母様が、お母様が戦っていらっしゃるのです。私が見ておいて差し上げないと」


 と大妖ハデスを指差す。


「……で、あったの」


 大妖ハデスは呪法を施された人間が媒介となり、大妖ハデスの化身となる。今回は乙姫が自ら媒介となっていた。

 なにも女王がならずとも、と周りがどれだけ止めてもこれだけは譲らなかった。


「大妖ハデスを封じる秘法は王族にしか受け継がれません。復活も同じく――それは王族に課せられた義務であり、呪いなのです」

 と、目を伏せて。


「そこまでのお覚悟ならば――」

 

 と渋々みなが了承し、クロウさんたちが“ラの国”の侵攻をひっかき回して時間を稼いでいる中、乙姫は自らに呪法を施し大妖ハデスを降臨させた。

 そこからの流れは、ここまで描かれた通りだ。


 焦土と化したシャルル港で“ラの国”の艦隊をめつけ、砲撃をかわしているのは、自らを媒介として“憎悪の外魂の玉”を血肉に変えた、乙姫の変わり果てた姿であった。

 

 それを見守りたいとシズ姫は言う。


――――お母様。

 

 とシズ姫がいく度目かの呟きを漏らしたとき、“ラの国”の戦艦がさらに近づいてきた。

 いくら艦砲射撃が不安定なものとはいえ、湾内に入り波のうねりがなくなれば、その精度は指数関数的にはねあがる。


 砲門からドドドド――ンッと炎が立ち昇ると、大妖ハデスは着弾の黒煙で覆われて見えなくなる。


「お母様!?」


 シズ姫の悲鳴が上がる。


「まだじゃ、乙姫は無事じゃ。大妖ハデスの狙いは……」


 クロウさんがシズ姫の肩を――抱こうとして太郎さんに割り込まれ、よろめいたんだけれども。

 構わず続けた。


「大妖ハデスの狙いはここまでおびき寄せることじゃった」


 それを裏付けるように、幾分か小さくなった大妖ハデスが四本の腕を広げた。


「ヴォォォォォォ――――ッ」


 その四本の腕から黒い血管が、のたうつ大蛇が獲物に襲いかかるように巡洋艦へ伸びると黒い瘴気を吹きかけた。


 真っ黒な瘴気に包まれた巡洋艦はボゥンと黒煙を煙突から吐き出すと、戦艦へ向かってドォォォン、ドォォォ――ンッと砲声を響かせて突入してゆく。


“ラの国”の悪夢が始まった。

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