第二十九話 多妖 ハデスの胎動

 ワルレー軍卿は

「カトー大佐、ハデスの様子を見に行く。乙姫を連れて来い」

 と告げた。


「承知」と、答えたカトー大佐が背後の板壁に手を触れる。


 この応接間にはいくつかカラクリが仕掛けてある。

 一つは闖入者ちんにゅうしゃに備え、近衛隊を潜ませる隠し部屋。

 一つは今回のような重要人物との会談の際の盗聴部屋。

 最後の一つが、竜宮城の地下に広がる“大妖たいようハデス”の封印されている神殿へ続く地下道。


「波動――」

 ガチャリと音がすると扉が開くように押し広がった。

 すぐ裏手の隠し部屋へ入ると、二度チリンチリンと鳴るひもを引き、伝声管に口を近づける。


「近衛隊、乙姫を神殿までお連れしろ」

 と告げて棚の引き戸を開けると


「待つ間にみそぎを済ませては?」

 と、若き上司へ隠し部屋から着替えを取り出して渡した。


――――程なくして。


 小刻みに震えるオトワニ女王を前後にはさんで、二人の男が石造りの堅牢な廊下にカツンカツンと軍靴ぐんかの響きを反響はんきょうさせている。


わらわは嫌です。ワルレー軍卿、ハデスの復活なぞ正気なのですか? 我が国ともども死神へ売り渡す気ですか?」


 震える声を抑えて乙姫の必死の訴えは続く。


「仮に復活させてしまえば、誰もあの大妖おおあやかしは制御できません。あなたも死ぬのですよ?」


 途端にワルレー軍卿が乾いた笑い声を上げる。


「あなたも死ぬ? 私も死ぬ――とはおっしゃられないのですな? 王家に伝わる秘伝のためにあなた方は助かる、そうおっしゃるのですな?」


「馬鹿をおっしゃい。もとよりわらわの命なぞ……」


「我らの諜報力をなめてはいけませんぞ。王家の“秘伝”にその手法はある」

 先頭を歩いていたワルレー軍卿はクルリと振り向き、鼻が触れ合うほどに顔を近づけた。


「なぜなら“大妖たいようハデス”を封じたのはあなた方エアシャルルマーニ家の始祖しそだからだ。この国は“ハデス”を封じるために作られた墓場だ」

 ゆえにコントロールできる術はある、と言いつつ少し顔を離すとニヤリと笑う。


「女王……あなたをそのために生かしたのだ。聞けぬというなら、あなたの愛しいシズ姫に代わりをやってもらう」

 と言い放つと無表情になり背を向けた。


「たとえそれが呪いの技であってもね。“ラの国”の脅威を跳ね返すために王族が命をはる――美しい話ではないですか」

 ハハハッという乾いた笑い声が地下道に響いた。


――――長い階段を下ると。

 

 現れたのは体育館くらいの開かれた空間。

 仄暗ほのくらい照明の中、浮かび上がる一本の道を歩いていくと、いくえにも銀色の鎖が巻きつけられた巨大な水晶が地面から突き出していた。

 

 乳白色のその物体は地に刺されたつるぎのようにも見えるし、地面から生えた爪のようにも見える。

 近づくほどに頭の芯に痛みが走り、体が重くなっていく。


呪詛じゅそか……」

 ワルレー軍卿がうめいた。どんどん頭が重くなっていき額と両手を地に伏せる。



「¥&@~<>$#%」


『魂をよこせ――まだ足りぬ』

 女の声がそれを代弁する。

 見ると乙姫の両眼が見開かれ、その白い肌に無数の文字が浮かび上がっていた。


『魂を……』


 長い髪が逆立ち顔面にも広がった呪いの文字が、流水にすみを流すようにグニャリとゆがむ。


寄越よこせ』


 乙姫の体から四方に影が伸びていく。

 その影が裂け無数の手が湧き出るように伸びてきた。


『『寄越せ』』


 地下室が地の底から響く声で満たされていく。


 と、カトー大佐が動いた。

「波動――緊縛きんばく


 パチンッと乾いた音が弾けると乙姫の体が崩れ落ち、無数に湧いた手もかき消える。


「まだ復活には足りぬか?」

 ワルレー軍卿はおぞましげに乙姫を見下ろした。

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