第2話
カケル。
君が知らないことがたくさんあるのだよ。
その理由はたくさんあるね。
君自身がまだ、経験していないことがある。
君はまだ、子供だから、周りの人が敢えて言わないでいることもある。
それから、ボクのことについても。
ボクはずっと迷っていた。
ボクが、ボクの素性を君に話していいものかどうか。
君は多分、ボクを変な外国人だと思っているだろう。
急に君の所へ行ってしまったからね。
そして、ボクの素性については何も話さなかった。
そんな相手に、心を開くなんて無理だよね。
警戒されることも、ボクは十分考えていたよ。
それでもボクは、君に元気になって欲しかったんだ。
いや、それだけじゃない。
これはボクの、個人的で勝手な感情だけれど。
君に、少しでもボクのことを覚えていて欲しかったのだよ。
それを、彼ら、が許してくれるわけも、無かったのだけれど。
君は、ボクの前で泣いてくれた。
それは、ボクが素性の知れない誰かであったからかもしれない。
そのことが、逆にうまく作用したのかもしれない。
ボクはそれで十分だったよ。
少なくとも、泣いていいと思ってくれるくらいには、ボクを頼ってくれたのだから。
たとえそれが、どんな形だとしても。
「アラン……?」
気が付くと、カケルは急に真っ暗な空間に放り出されてしまっていた。周りにあったはずの庭の風景も、風の感触も無い。自分が立っていたはずの地面の感触すら曖昧だった。カケルは急に恐ろしくなって、その場にしゃがみこんでしまった。
「アラン!」
恐怖に慄きながら、その名を呼ぶ。カケルがこの異常事態において、縋れる相手はアランしかいなかった。
すると、真っ暗闇の中に一ヶ所だけ明かりが灯った。最初、小さかった明かりは、どんどん大きくなって、やがて人の形になった。そして、そこにアランが現れた。だが、その姿は薄く、向こうの闇が透けて見える。まるで幽霊のようだった。
「ゴメン、やっぱり見つかっちゃった」
アランは哀しそうに笑って、肩を竦めた。
「見つかったって、誰に?どういうこと?」
カケルには何が何だか分からない。そもそもアランが誰なのかも知らない。そのアランが知らない誰かに見つかったと言われても、状況がつかめない。そもそも、
「アラン、」
「ん?」
「ここはどこなの?」
「場所、という意味なら、元の庭だよ」
「でも、」
違い過ぎる、と、思った。庭の気配はどこにもない。ここが庭だというのなら、庭に一体何が起こったというのか。
「うん。庭は庭だけど、逆に言えば、僕らはあの庭には今、いないことになっている」
カケルの頭の中に今までにないほどの疑問符が浮かんだ。それが、アランの目にもよくわかるほど顔に出ている。アランは少し可笑しくなって笑った。それに対してカケルがむっとしているのも分かって、アランは慌てた。
「ごめんごめん。笑っていい所じゃないよね。一つ一つ説明するよ」
そう言って、アランはコホンと咳ばらいを一つした。
「まず一つ。黙っていたけど、ボクは地球人じゃないんだ」
「え?」
「今の地球からは届かないほど、遠くの星から来たんだ。あの、星空のずっと向こう」
アランがそう言うと、二人の頭上に星空が見えた。
それは、昨日、カケルが病室の窓から見上げた時に見えた、星座の配置をしていた。
「これ……」
「うん、これは、地球から見える星の配置。今、カケルが居る場所から見える、宇宙の地図」
「アラン、」
「ん?」
「ここはどこなの?」
カケルは幾分落ち着いて聞いた。星空は、不思議とカケルの心を落ち着かせてくれた。
「ここは、存在しない空間。ボクたちの身体はまだあの庭にあるけれど、他の人からは見えないようになってる。と、言うか、他の人達がボクたちを気にしないようになっている」
「それは、アランの星の文明の力?」
「そういうことになるね。今は少しボクの意志で動かせるから、星を映したりしたけれど、本来は……」
そう言ってアランは顔を曇らせた。
「ボクが地球に降りたことを無かったことにするための空間」
「えっ、」
カケルの胸がどきんと鳴った。アランが哀しそうに笑う。この笑顔を、カケルは何度見ただろう。
「ボクらが地球人に関わることは禁止されているからね。この後、ボクは罰則を受けることになる。二度と地球に来られないかもしれない」
「じゃあ、どうして」
カケルの顔から血の気が引いた。自分の所為なんだろうかと思った。アランが地球へ降りたのは。どうしてそこまでしたのだろう。自分なんかのために。
「……君は、昨日の夜、夜空を見上げて泣いていたね」
そう言われてカケルは驚いた。そして、急に恥ずかしくなった。あの時は、誰も自分を見ていないと思っていたのに。無意識でいるところを見られると、悪いことをしていたわけでもないのに、恥ずかしい気持ちになる。
「どうして、それを、」
「見ていたからさ。空の上から」
そう言って、アランは星空を指さした。カケルは唖然とした。そして、昨日のことを知っているなら、本当にそうなのかもしれないと思った。アランは遠い星から来た宇宙人で。自分のことを見ていた。
そうなのだ。
きっとそれが本当なのだ。
応援席からでもなく、外国からでもなく、宇宙の上から。
「仕事で地球を観察に来ていてね。ずっとあちこちを見て来たよ。いろんな国、色んな場所、色んなに人達。大人も、子供も、老人も。あらゆる国のことを学んだよ。そうして、昨日はちょうど故郷の星へ帰る日だったのだよ。だから、本当に気まぐれに、地上の風景を見ていた。調査でも何でもなくてね。最後の日くらい、頭じゃなくて、心で子の星を感じたかったんだ」
そう言って、アランは自分の胸にそっと手を当てた。そこに、大切な宝物でも持っているかのように。
「そうしたら、泣いている君を見つけた。失礼だとは思ったけれど、どうしても君の涙の理由が知りたくて、宇宙船の機能を使って、少し調べさせてもらって……君のことを知った。君が、一生懸命野球に取り組んでいたことも、頑張り過ぎて、腕を壊してしまったことも。そして、どうしても元気づけたいと思ったんだよ。少しでも君の気持ちが軽くなるように、何かしたいと思ったんだ」
「どうして僕なんか?」
一回も会ったことがない、アランにしてみれば、遠くの星の、もっと言えば観察する相手でしかない星の人間だ。まして、有名な選手でもない、田舎の、小さな野球チームのピッチャー。そんなもの、放っておいたってどこにも誰にも、アランにだって当然、影響なんかない。
「君がすごく頑張り屋さんだって知ってるからさ。僕なんか、なんて、言わないで欲しいな。ボクは、頑張ろうともしない人間の涙に心動かされたりはしないよ?」
そう言って、アランは笑った。そして、上を指さした。星空が消えて、代わりに出て来たのは和菓子屋だった。時代を感じさせる建物は、それだけその店が長く続いてきたことを現している。そして、その家に住んできた人たちが、大切にその場所を守り続けてきたことも。
「君に贈った菓子は美しかったろう?」
アランが言った。カケルは、アランが持って来た菓子折りを開けた時のことを思い出した。
「うん」
「まだ食べてはいないよね」
「……うん。でも、本当にきれいで、美味しそうだと思った」
少し恥ずかしそうにそう言うと、アランは笑った。
「それってとても大事なことだと思うんだ。美味しそう、って思わなければ、誰もそれを口に運ぼうとは思わないだろう?」
「うん」
「口に運ぼう、と、思わせる見た目を作ることが出来るのも、日本の菓子職人の腕の凄さだと思うんだ」
アランはまるで自分の国を誇るように言った。日本人ではないどころか、地球人ですらないのにと思うと、カケルはなんだか可笑しくなって笑った。
「笑った」
アランはそう言って、さも嬉しそうに手を叩いた。カケルは逆に恥ずかしくなって顔をそむけてしまった。
「……でも、あの菓子は、綺麗すぎて、ちょっと食べるのがもったいなくなるね。それでも、食べなければもっともったいないんだけど」
アランがそう言うと、カケルはやっとアランの方を向いて、照れくさそうに頷いた。
「あの菓子を作った職人もね、最初から菓子職人を目指したわけじゃないんだよ」
「えっ」
カケルは驚いた。菓子の美しさから、若い頃から経験を積んだ、菓子の大好きな人が作ったのだろうと勝手に思っていた。
「あの菓子を作った職人は、あの和菓子屋さんの息子なんだけど、家が和菓子屋であることに反発して一時は家を離れたんだ和菓子職人のお父さんと大喧嘩してね。和菓子は大嫌いだ、とまで言ったこともあったみたいだよ。そして、和菓子とは全然関係ない仕事をしていたんだ」
「全然?」
「そう。不思議かい?」
「信じられない」
カケルがそう言うと、アランはふふっと笑った。
「でもね、その後何年もしてふいと家に帰って来たんだ。彼にも挫折があったのかもしれない。何か、思うところがあったのかもしれない。そんな彼を、彼のお母さんも、そして、お父さんも快く迎えたんだ。それからの彼は、お父さんに着いて、懸命に和菓子のことを学んだんだ。今はより良い菓子を作ることに心から情熱を注いでいるよ」
「それは……分かる気がする」
「そうだね」
何よりも、彼の手掛けたその和菓子を見ればわかる。カケルが、美しいと感じた、そのことが、それを作った人間の本気ということだから。
「カケルの病室に飾ったあのブーケも、そうなんだ」
アランがそう言うと、今度は頭の上に小さな花屋が浮かんだ。大きくはないけれど、大事にされている花の並んだ、可愛らしい店だった。
「このブーケを作った女性は、一度結婚したけれど、相手の男性が彼女に暴力を振るうようになってしまったんだ。彼女は子供を守るために離婚して、子供を連れて家を出たんだ。この花屋さんのオーナーも女性で、シングルマザーなんだ。運命的な出会いが同じ苦労を知っている彼女たちを結び付けて、彼女は子育てしながらここで働いている。苦労しているけれど、毎日子供を愛して、逞しく生きているよ」
「あのブーケもキレイだった」
「そうだね。作った人の愛情が出ているのかもしれないね」
アランがそう言うと、カケルはじっとアランを見た。そして、小さく笑った。今度は顔を背けずに。
「ね、カケル君。人生は必ずしも真っ直ぐじゃない。けれど、真っ直ぐな道を歩いた人も、真っ直ぐじゃない道を歩いた人も、皆が等しく幸せに生きることができるとボクは思うんだよ」
「……」
カケルは分からないという顔をしてアランを見た。アランはそんなカケルの肩に手を置いた。けれども、手の感触をカケルは感じなかった。温もりは、微かに感じる。けれども、重みを感じなかった。そのことは、カケルを急に不安にさせた。
「分からなくても良いんだ。カケル君はまだ小さい、って、言ったら失礼だとは思うけれど、少なくとも、さっき話した和菓子屋さんや、お花屋さんが、人生を大きく転換させた時期よりはずっと若い」
「……うん」
カケルが辛うじて頷くと、アランはふわりと笑った。
「そう。だからね、カケル君には、彼等よりももっとたくさんの可能性があると思うんだ。若いっていうことはそういうことだと思うよ。カケル君はその掌に、その若い手の平に、本当にたくさんのものを持っているんだ。今までの経験と、未来。それを皆その掌に持っている。気づくか気づかないかだけだと思うんだよ」
「……てのひら」
「そう」
カケルは、そっと手を握りしめた。目には見えないけれど、そこにはたくさんのものがある。カケルだって、今まで何もしてこなかったわけじゃない。大人よりは少ないかもしれないけれど、自分なりに築いてきた今までがある。
野球選手、という選択肢は失ってしまったのかもしれない。けれども、そのことでカケルの中の全ての経験が失われたことにはならない。自分が野球に出会った時のように、それまで経験したことのない何かが、カケルを待っているのかもしれない。
とくん、
カケルの胸が鳴った。まるでカケルが気づくのを待っていたみたいに。ずっとそこで、なっていたはずの鼓動が、大きく聞こえる。
まるで、試合の時にバッターボックスに立つときみたいな、音。怖くなかったわけじゃない。いつでも自信があったわけじゃない。だからと言って、悪い結果だけを考えていたわけでもない。とくん、とくんと、時にドキドキと早く。刻まれていた鼓動は何を物語っていたのか。
不安と、恐怖と、それから、期待。何よりも、自分自身への。
そして、そういう時、内側から出て来る感情に自分はいつも何を加えて居ただろう。
(自己暗示、だ)
カケルは思い出した。怖い時、不安になる時、自分が自分にかけた魔法。自分は出来る、という、自己暗示。自分が自分を信じないで、どうして力が出せるだろう。自分自身に備わった力、それは、そのまま、自分がそれまで積み上げて来たもの。練習の時間、成果、そして、試合での成績。良い時も、良くない時も、それを見つめて、対策を立てて、明日の指針に変えて来た、自分の姿勢。
もうマウンドに立つことはできないかもしれないけれど、バッターボックスに入ることはできないかもしれないけれど、そこに立っていた意味はあった。そこで、生きてきた意味は確かにあったのだ。
自分はそれを、知ることが出来た。怖い、と、思いながら、出来るだろうか、と、思いながら、それでも、出来る、と、自分を奮い立たせる気持ち。その気持ちは、きっと、これからもずっと、カケルの中で、カケルを励まし続けるだろう。カケルがどこで生きたとしても、どんな大人になったとしても。 そこで学んだことは、かけがえのない宝物として、カケルの中で生き続ける。カケルと共に。
それが、痛いほどわかった。
そうだ、やれると信じることだ。
そして、飽かず探し、見つけることだ。
新しいものを。
新しい何かを。
古いものに囚われず、前へ前へと進む気持ちを。
手放す強さを。
こころに響く、その声に、カケルはぐっと涙を堪え、
笑った。
そうだ。
その笑顔だよ。
カケル君のその笑顔が、ずっと見たかった。
君をそのままにしたくなくて、君が前へと進む姿が見たくて、ボクは則を犯した。
そのことに何ら後悔はないよ。
そのことで、ボクがもう、宇宙を飛ぶことが出来なくなったとしても。
きっと、今がタイミングだったんだ。
ボクが星の観察者であることを終わるタイミング。
ボクはそう思う。
君が新しい道を見つけることを信じて、ボクも新しい道に行くよ。
そして、きっと君のことはずっと忘れない。
ボクの道を、新しくさせた、そのきっかけを作ったのは君だから。
そして、新しい道で幸せになって、君のことを温かく思い出すよ。
心から、この選択を良かったと思うよ。
君に深く感謝するよ。
今も、そして、これからもずっとそうであると、ボクはそう思う。
そう信じてる。
「カケル君。君のことはずっと忘れないよ。ありがとう」
アランはそっとカケルの肩から手を離した。すると、それがスイッチであるかのように、アランの姿が薄れて消えた。
同時に、周りの暗闇が一気に晴れた。そこはもう元の庭で、散歩に出ている人の姿がちらほらと見えた。元の中庭だ。でも、そこにアランの姿は無い。居た形跡すら。
「アラン!」
カケルは大声を上げた。周りの大人たちがカケルに振り向いた。けれども、振り向いてほしいたった一人はそこにいない。
カケルは泣きそうになった。しかし、そこで泣いてしまったら、アランがまた不安に思うだろう。泣いた所で、アランは戻っては来ない。旅立ってしまったのだ。今は見えない、あの、星たちの向こう側へ。
もう見えないかもしれない、けれど。
カケルは空に向かって精一杯の笑顔を見せた。
その時、空の向こうで、小さく、
何かが光ったような気がした。
ねぇ、カケル君。
君の未来は、君がやりたかったこととは、ちょっと違う未来になるかもしれないね
けれど、それでも君の幸せは無くならない
一度の挫折で幸せを全て失くしてしまうようなことはないだろう?
君はそれほど弱くはないはずだ
君の人生はそれほど脆くはないはずだ
君の世界は
それほど狭くはない
君が、自らそこで限界のラインを引いてしまわない限り、
それは、どこまでもどこまでも無限に広がっていくんだよ
そう、まるで、ビッグバンからずっと広がり続けている宇宙空間みたいにね
君のこの「変化」が、君が望んでいたよりも、更に素晴らしいものを君に引き寄せる、そのカギになることを祈っているよ
全て、君次第、って言ったら、重いかい?
でも、それは君に、新たに真っ白なキャンバスが与えられたって事だ
君はそこにどんな絵だってかける
さあ、どうする?
今、君は、どんな思いでいる?
大きく息をして。
ゆっくりと自分の心に聞く
魂に、言葉を届ける
さあ、何が帰ってくる?
君の魂が、本当に成りたいと思うものを、そこから引き揚げよう
宇宙が混沌から生まれたように、君の魂も混沌から生まれ変わる
今、ここを始まりとして
星の向こうから 零 @reimitsuki
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