虫ガキを見守るだけの簡単なお仕事です。
太刀川るい
虫ガキを見守るだけの簡単なお仕事です。
高校を出て就職した会社は街路樹に除草剤を撒いて傾いて店舗ごと綺麗さっぱり環境整備されたので、実家でしばらくゴロゴロしていたある日のこと。
町内会長さんが、大真面目な顔をしてやってきて、
「君ね、虫取り少年観測員にならないか?」なんて言い出したもんだからびっくりしちゃいました。
「少年観測員ですか? 少年隊員みたいな……でも、私少年っていう年でもないし……」
「それ以前に性別も違うと思うけど……まあ、そういうことじゃなくてだ。区切りが違うのよ。虫取り少年、観測員。少年をね、観測するの」
「なんですか、それ? 新手の詐欺ですか?」
まいったなぁ……と大分髪の毛の薄くなった町内会長さんは、玄関に腰を下ろしたままハンカチで汗を拭いて、
「見たことない?虫取りの少年をね。こうニコニコしながら眺めている人って」
「あ~なんか言われたら、そんな人いたような気がします。」
「それね。お仕事なの」
嘘でしょ?って思いました。でも、町内会長さんは至って真面目な顔で話を続けます。
「世間ではあまり大っぴらにされていないんだけどね、実は結構なお金でるのよ」
「えっ? こんなに?」
提示された金額を見て、心がゆらぎました。車を壊して貰うお金より、ずっと率が良いじゃないですか。
「なにせ少子化だもんでね。子供の安心見守りってのは大事になってくるわけ」
「はぁ、でも、ちょっと額が異常ですね」
「それはそうね、色々と補助金とか出るから」
そういって、町内会長さんはちょっと含みをもたせた顔をしました。
補助金、なるほど、色々と裏がありそうですが、贅沢は言っていられませんよね。
早速詳しくお話を聞くことにしました。
鏡の前でユニフォームを確認します。とってもいい感じです。
お仕事の時の服装には、白を基調とした服を選ぶこと。と指示されたので、早速自転車を漕いで買ってきました。
サマードレスはお洗濯のCMにもでれるぐらいパリッとしていて、強烈な夏の日差しを景気よく弾き返してくれそうです。
麦わら帽子っぽいものをつけること。という指定もあったので、クローゼットの奥にあった叔母の帽子を引っ張り出して、被りました。すこしかび臭いけど、いい感じに年季が入っていて、思った通りドレスと合います。
さて、後は忘れていることはないでしょうか。メールを確認します。服装良し、時間よし。日焼け止めクリームよし。虫除けスプレーは使わないこと。良し!
メールの最後まで確認した所で、スクロールする指が止まりました。
そういえば、この記述、気になってたんですよね。
「子供に見られた時は、ニコニコとしていてください。監視のことは悟られないように。そして、必ずカブトムシを取らせること」
なんのこっちゃ。と思いましたが、そういう指示なのだから従いましょう。
そのまま、画面を切ると、気合を入れるために、やるぞ~!と声を上げ、そのまま炎天下の屋外に踏み出しました。なんでも勢いが大切です。
私の担当区域は3つあります。大小二つの公園と、それから雑木林に隣接している神社の境内です。
虫取りの子供がいなければ、飛ばして良いことになっていますので、順繰りに回ります。
まずは公園。これは楽そうです。無職なのでビールを飲みながら日中徘徊することをライフワークにしていていた時期があり、そのときに訪れたことがあったのですが、幼児を連れたお母さんがちらほらいた公園です。
蝉が狂ったように鳴いていますが、虫取り少年、業界用語では虫ガキは見つかりません。流石に暑くてやってられないのでしょうか。
それとも蝉は人気がないのでしょうか。後者のような気がします。蝉はうるさくて暑苦しいだけで、数を競う以外にはあまり役に立ちません。
メールに添付されていた資料を思い出します。
虫ガキ100人に聞きました!という字面だけでうるさそうな統計データによると、何と言っても一番人気は、カブトムシ・クワガタです。ついでカマキリ。トンボときて、その次が蝉でした。バッタよりは格が高いですが、所詮はカメムシの仲間です。
さてそれはともかく、ここにいても虫ガキは見つかりそうにありません。
自転車を漕いで、公園を後にしました。ついでにコンビニでアイスを買って行きます。
2つ目の公園も似たようなものでした。ただ、いい感じのベンチをみつけたので収穫としたいです。
私ほどの公園マスターになると、太陽の角度から日陰を計算して、いい感じに影に入るベンチを見分けることが出来るのです。
私の見立てによると、この公園にはそんないい感じのベンチが、なんと3つもありました。うち二つは公園全体を見渡すことが出来ます。
このエリアでは如何にこの位置をポジショニングできるかが鍵を握るのに違いありません。ここは絶対に死守しなければ。
公園でのポジショニングは弱肉強食です。花見の場所取りのために、泊りがけで向かった日のことを思い出しして、心のなかで牙をむき出しにし、ぐるると唸りました。
最後に神社の境内に向かいました。
石段の下に自転車を止めた所で、む!子供用の自転車を二つ見つけました。虫ガキの痕跡です!思わず鼓動が早くなります。
自転車のボディーにはキラキラとしたシールが張ってあり、小学生男子、つまり虫ガキの可能性が濃厚です。小学生男子はほぼ全員が虫ガキの素質を持っており、男子を見たら虫ガキと思え。とは貰った資料にもありました。補助輪がやっととれたようなサイズの自転車の隣に、自分も自転車を止めると、石段をゆっくりと登っていきます。
このどこかに虫ガキが……いました!二人の虫ガキが虫取り網を片手に林の中にいるのが見えました。
石段にどっこいしょと腰をおろして、よく観察します。
小学校低学年なのでしょうか。時折、木を蹴っているようですが、力が弱く、ただ足を痛めているだけのように見えます。
間違いなく、狙いは……カブト・クワガタでしょう。
この神社の鎮守の森は、樹液を出す木が多いようで、貰った資料にも「カブト・クワガタ激戦区!」と書かれていました。
蝉たちの大合唱も耳に入らないようで、虫ガキたちは林の中で一心不乱に虫を探してます。子供特有の集中力とでも言うのでしょうか。
微笑ましいものです。
虫ガキが危険なことをしたり、怪我をした場合はすぐに助けを呼ぶこと。とマニュアルにはありました。それだけに注意しながら、水筒に入れた麦茶で喉を潤しました。
結局その日は何事もなく、虫ガキもたまたまいたらしいカブトムシを捕まえて大喜びで帰っていきました。
虫ガキを見守るだけのお仕事は、なかなかうまくいきました。前の仕事をしている時は、車を破壊する技を褒められて、もしかして自分はゴルフボールを車にぶつけるために生まれてきたのではなかろうかとすら思っていたのですが、普通に気の所為だったようです。
それよりも、虫ガキ見守りのお仕事の方が遥かに適正がありました。一日中ニコニコ見ていればお仕事は終わりです。この仕事は夏休み限定なのですが、これに似た仕事があれば、ぜひ就職したいです。
しかし、不可解なのは、カブトムシを取らせる。という指定です。指定自体も変な感じですが、実際にやってみるとこれはなかなか難しい。
アドバイスしようにもこちらから声をかけるわけにもいかないので、カブトムシが好きそうな液体をネットで調べて作り、夜のうちに塗っておくことにしました。
結構効果があるようで、朝早くに行くと、面白いぐらいにカブトムシがたかって、片っ端から喧嘩をしかけています。
ただ問題は、虫ガキは昼行性だということ、なんとか虫ガキが来る時間帯までこの状況を持たせないといけません。
ネットで調べると、興味深い研究が見つかりました。カブトムシは夜行性に見えて実は昼間でも活動する生き物だそうです。ただし、昼間はオオスズメバチが居て、彼らに追い払われる格好で夜しか活動しないのだとか。その研究ではハチが嫌う薬剤を散布してハチを遠ざけた所、カブトムシが昼間でも活動できるようになった。と主張しています。
そうと決まれば早速対策です。ハチが嫌うスプレーを購入して、蜜を塗ったあたりを囲うように散布し結界を張ります。さらに蜂の巣コロリというハチ相手の毒餌をいくつか林に設置しました。最近はこんな商品が出ているんですね。これでこの周囲のスズメバチにダメージを与えられたはずです。虫ガキの安全も確保できて一石二鳥です。
ついでなので、時間ごとに区切って、カブトムシの数も記録することにしました。対策を取ってから順調に昼間に集まるカブトムシが増えたことがデータでも確認され、安心しました。もし、私が小学生だったら、自由研究のコンテストか何かに出せるレベルだと自負しています。
カブトムシがめっちゃ取れる林。であることは虫ガキたちの話題になったようで、日に日に様々な虫ガキたちが現れるようになりました。
ついでなので、時間ごとに区切って虫ガキの数も記録することにしました。虫ガキたちはお昼ご飯を食べてから出没することが多いようです。
朝顔の観察日記も葉っぱの枚数とか蕾の数とか、ツルの長さとかそういう定量的なデータを記録してグラフにしたら成長曲線などが見れて面白かったのかもしれません。もしかしたら、そういう課題だったのかもしれなかったけど今となっては後の祭りです。なんか花の色とかそういうふわっとしたのを書いて終わったような記憶があります。
しかし、そうやって数字を記録するようになって、はじめてその奇妙なことに気が付きました。
「もしかして、カブトムシを放しています?」
ある日、町内会長にそう聞きました。
町内会長は、一瞬無表情になると、「どうしてそんなことを?」と聞きました。
「カブトムシがどれくらいいるか知りたくて、虫ガキが届かない樹の高いところにハシゴをつかって登ったんです。で、そこで見つけたカブトムシに印をつけておきました。で、それを放して次の日捕まえたカブトムシの中に、どれくらいの割合で印のついたものがいるのかを調べてみたんです。そしたら、印のついているカブトムシは、1%もいなかった。印のないカブトムシの方がずっと多かった。つまり、単純計算で印の付いたカブトムシの100倍ものカブトムシがいるってことですよね。常識的に考えて、あの広さの鎮守の森に、一万匹以上もいるように思えないんですが」
「カブトムシは羽化するだろう? それに子供が持ち帰るだろう。それで割合が変わったのでは?」
「一日でですか? それに、絶対数でも明らかに多いんですよ。ほら、これ虫ガキが持ち帰ったカブトムシの数なんですけど……もうこの時点で1000を超えています。あの鎮守の森にそんなにカブトムシがいるんですか?」
「……」
「だから、こう考えるのが自然なんです。だれかがカブトムシを放していると。ペットショップの在庫処分かなにか知りませんけどね」
町内会長は、しばらく黙っていると、意を決したように立ち上がりました。
「なるほど、君には隠し事ができないようだ。ついてきたまえ」
うってかわって、なんか尊大な様子です。なんかラスボスめいた空気を出していますが、正直言って地元の町内会長が出して良いものではありません。無理があります。
それはそうと、こちらとしては本当に軽い気持ちで振ったのですが、思いのほかオオゴトになっているようで、困惑しています。
それよりも残業代は出るのかが気になります。あとで聞いておかなければと心に決めました。
町内会長に連れられて、公民館の裏手にあるビルに入りました。階段を降りて、ドアを開けると、さらに地下に向かう階段があって、まるで地下迷宮への入り口のようです。施設全体に静かな空調の音が響いています。どうやら機械仕掛けで温度が管理されているようで、空気が違います。
「驚いたかい?」
「ええ、これも補助金なんですか?」
「驚くポイントが気になるけど、まあ、そんなものだね」
町内会長はさらに先に進みます。ドアを開けると、木の葉が擦れ合うような、カサカサという音が聞こえてきました。
音の正体は予想していたとおりです。小さな水槽のようなものが壁にずらりとならび、その中にはカブトムシが一匹ずつ入っているのがわかります。
それぞれのカブトムシが体を動かす音が重なり合って、乾いた音を部屋中に響かせているのでした。甘い昆虫ゼリーと、カブトムシ独特の匂いがほのかに漂います。
「ここで、カブトムシを養殖していたんですね」
「その通り、ここから少しずつ運び出していたのだ」
「でもなんでこんなことを? 町内会長さんの趣味ってわけじゃあなさそうですけれども」
部屋は広く、学校の教室よりもまだ広そうです。とてつもないお金がかかっているでしょう。暇を持て余している高齢男性には到底不可能に思えます。
町内会長はこれ以上無いぐらいの綺麗な目で語り始めました。
「君は、カブトムシが人類を支配しているという事実を知っているかね?」
「今知りましたけど、知りたくなかったなぁ」
「信じられないだろうが、カブトムシこそ人間の上位存在なのだ。そのフォルムで子供の心をガッチリと掴み、自分の世話をさせる。そう、人類はカブトムシを支えるために生まれた存在なんだよ!」
そう町内会長さんは力説しますが、どうにも信じられません。
「つまり、本当の地球の支配者はカブトムシだと、そういうわけですね」
「うむ、そうだ。カブトムシは選ばれしものにしかわからない精神波で人間に意志を伝えている。だからこそ、政府はカブトムシのために様々な政策を実行しているというわけだ。君のような存在を雇って虫ガキを保護したりとね」
「政府はせめてカブトムシ以外の物に操られていてほしかったですけど……」
バイト代が高額な理由もなんとなくわかりました。
「なんだ、不満そうだね。だが事実だ。さて、この事実を知った以上、君に残された道は多くない。一つは栄光ある我々の仲間になるか。それとも我々カブトムシを敵に回すか……」
悪の組織みたいなことを言いながら、町内会長さんはゆっくりと振り返りました。セリフを聞く限り、どうやら、もう完全に自分のことをカブトムシと思い込んでいるようです。
町内会長さんの仲間なのでしょう。いかにも悪そうな服を来た男が後二人、町内会長さんの左右を固めるように現れました。
じりじりと距離を詰めてきます。
「どうやら……戦うしか無いようですね」
「いや、別に仲間になってくれてもいいんだけど……」
この技だけは使いたくありませんでした。全てのゴルフを愛するものに対する冒涜だからです。しかし、こうなってしまっては仕方がありません。
「はっ!」
鋭い叫び声と供に、右の男が吹き飛びました。町内会長さんは目を丸くして驚いています。
靴下に入ったゴルフボールが直撃したのです。
「教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑教育教育教育教育教育教育教育教育ーッ!」
数々もの名車をボコボコにしてきたラッシュが吹き荒れ、町内会長さんたちは「ぐはああああああ!!」と声を上げて吹き飛びました。
そして、床に倒れ込んで完全に伸びています。完全勝利というやつです。
しまった。残業代の話を聞いていませんでした。まだ意識はあるんでしょうか。
町内会長さんに近づこうとしたその時です。
(そこまで)
突然頭の中に荘厳な声がしました。はっと思わず振り向きます。
壁に並んだケースの中でひときわ目立つケースが有り、なぜだかその声は、そこにいるカブトムシから発せられたように感じられました。
目を凝らすと、なんと、カブトムシの周囲がゆらゆら光る金色の湯気みたいなもので覆われはじめました。いいえ、これは幻覚に違いありません。カブトムシがそう見せているのです。
(人の子よ……見事であった)
偉そうな虫です。
(聞こえておるぞ……)
「じゃあ話は早いですよね。家に帰りたいんですけど。あと残業代ください」
(残業代は経理に聞いてみてから回答するから待って欲しい……)
経理を雇っているとはますます偉そうな虫です。というか何者なんでしょうか。
(私は、数万年前にこの地球にやってきた知的生命体だ。途中この生き物にぶつかって命を奪ってしまったので、同化することにしたのだ。それからずっとこの生き物の面倒を見ている)
「あちゃービートル違いか」
(何が?)
「なんでもないです。それにしてもこんな大きな施設を作って、人類に取って代わろうでも思っているんですか?」
(いや、別にそんなことはない)
「本当に?」
(むしろ、人類にはいて欲しい。クーラーの効いた部屋で美味しい昆虫ゼリーを貰って毎日ダラダラ過ごしたい)
この虫とは気があいそうです。
「確かに、考えてみれば悪いことはしていませんね。税金を使い込んでいる以外は」
(解ってくれたか。選ばれし者よ。我々は人間と共生したいのだ)
いつの間にか、選ばれていたようです。
(選ばれし者よ、我々に協力してくれないだろうか。能力の高さはすでに見せてもらった。もちろん報酬は払う)
「正規雇用で?」
(週休3日で、ボーナスもだそう)
その瞬間、年収の額が頭の中に飛んできました。「よろしくお願いします」と即答するのには十分な額でした。
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(選ばれしものよ……首尾はどうだ……)
「普通に順調ですよ」
雇われてから、数カ月後、プロジェクトは順調に進んでいます。
壁際にずらりと並んだ瓶の中ではカブトムシの幼虫が元気に腐葉土を食べています。
研究者を雇って、体の大きさに影響を与える因子を探してもらっています。研究がうまく行けば、さらなるサイズアップが見込めるでしょう。
(しかし、大きいということは、そんなに人の心を掴むのか?)
「子供受けはそういうのがいいんですよ。色違いとか、レアな感じのやつがいてもいいですね。そちらからの努力でどうにかならないんですか?」
(善処してみよう)
相変わらず偉そうな虫ですが、協力してくれるのはありがたいです。
「選ばれし者様、お茶です」
町内会長さんがお茶を運んできてくれました。すっかりわきまえたようです。それを飲みながら、来年の計画について考えます。すでにカブトムシを放す場所の目星もつけています。
来年も再来年も、虫ガキの家には、カブトムシがやってくることになるでしょう。そして、思い出になることでしょう。
そんな未来を夢見て、私はお茶をすするのでした。
虫ガキを見守るだけの簡単なお仕事です。 太刀川るい @R_tachigawa
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