堕天

風和 定数

天使と悪魔

 わたしは、悪魔になった。

 翼を捥がれ、足掻くことさえ許されずに下へ下へと落ちていくしかない、悪魔。

 人を傷つけ、相応の罪を犯したのだから、落ちることは受け入れた。それでも、苦しみから抜け出すために落ちたというのに、何故、いまだにこんなにも苦しめられなければいけないのか。

 これも、他人を傷つけたわたしへの罰というのだろうか。


 私は、天使になった。

 星の綺麗な夜、この世界の力の気の向くままに身を任せて宙を飛んでいたら、気づいた時には高い建物の上にいて、頭にはキラキラと眩く輝く輪っか、そして背中には白く美しい羽が生えていた。

 ベタすぎる白い服をはためかせ、町を空から見下ろす。クルクルと空中で回ってみたり、急降下と急上昇を繰り返したり。羽を使えるようになったことにはしゃいで自由に空を飛び回っていたら、いつの間にか長い長い時間、厳密には、数週間の時が過ぎ去っていた。私の前に「彼女」が現れたのは、その頃だった。

 初めて彼女をみたのは、彼女が夜空の下、宙を飛んでいる時だった。

 彼女は飛ぶのが全然上手くなかった。飛ぶのが怖かったのか、飛びながらも靴下を履いた足をばたつかせていた。

 そのあと、彼女に、彼女が目を覚ました屋上で声をかけてみた。

 最初の方、彼女は私をみて怯えていたけれど、私から何度も声をかけて、一緒に屋上で夜空を見ていたら、段々とお話をしてくれるようになった。

 日が経つにつれて表情も明るいものが増えてきて、私と仲良くなってくれたようだった。彼女の笑顔は、どこかホッとしたような、安堵したような感じがして、私相手に安心してくれているんだなと思うと、とても嬉しかった。

 屋上で立ち話をしているだけではつまらなくて、何度か、飛ぶのを練習した成果を彼女に見せた。彼女はなんでも大袈裟だと思うくらい褒めてくれて、少し照れくさくなってしまった。

 ある日、彼女が、私も飛んでみたいな、と小さくつぶやいた。でもすぐに、無理だよね、ともつぶやいた。彼女には、羽がなかったのだ。

 私が掴んで飛んであげたいとも思ったけれど、最近、私は以前ほど上手く飛べなくなっていた。多分、数人の人間たちに悪戯をしちゃったからだと思う。私の羽は黒ずんで、汚れたようになってしまっていて、罰って当たるものなんだなと思った。

 でも、彼女の願いは叶えてあげようと思った。だから、私は、彼女と一緒に飛んであげることにした。空高く飛んで運んであげることはできないけど、一緒に宙を飛ぶことなら、私にもできる。

 彼女の体を掴んで飛び出したとき、彼女は、体を硬直させて目を見開いた。そして、深夜の暗闇の中でもわかるほど顔を青ざめて、歪めた。


 彼女の手がまとわりついてくる。落ちている間にも黒く変色した羽は、そのまま音を立てて抜けていった。抜け落ちた黒い羽が風に吹かれる。頭上の輪は輝きを失い、電池の切れた電灯のようになっている。羽を失い天使の象徴とも言える輪をなくし、それでも下へと落ち続ける彼女の姿は、さながら堕天使のようだった。

 わたしは、彼女をいじめていた。

 もともと彼女とわたしは、仲が良かったと思う。

 でも、ある時から彼女がクラスのリーダー格の男女にいじられはじめた。最初はまだ戯れの範囲だったけれど、気が弱くて変わり者だった彼女はあっという間にひどいいじめにあうようになった。

 わたしはずっと、それを見殺しにしていた。わたしも気が強い方じゃなかったし、そもそも彼女がいじめられていることを長い間知らなかった。

 ある日、リーダー格のやつらが、わたしが彼女と仲がいいのを知って、わたしがいじめられたくなかったら、彼女をいじめろ、と言ってきた。わたしは、次のいじめのターゲットにされるのではないかと怖くて怖くて、彼女をいじめた。それはもうひどかったと思う。

 一番仲の良かったわたしに裏切られた彼女は、死んだ。

 この町で一番高い建物の屋上から、身を投げて。

 わたしが彼女をいじめるように命じられた頃には、既にいじめの件が先生達にバレ始めていて、その証拠隠滅としてリーダー格のやつらにわたしが良いように使われたことに気づいた頃には、もう遅かった。

 先生がわたしに声をかけてきた時にはもうわたしは一ヶ月近く彼女をいじめていて、言い逃れはできなかった。

 きっとわたしは、長い間閉じ込められる。すぐにこの件は学校内に知れ渡り、ニュースでも取り上げられるだろう。まわりの人みんなから軽蔑、奇異、興味、様々な目を向けられ、辛い言葉をたくさん吐かれる。それを避けるために閉じこもっても、今度はわたし自身に苦しめられることになるだろう。わたしの目の前は真っ暗になった。

 だからわたしも、身を投げた。

 彼女への懺悔と、この生き地獄から解放されるため、自由に身動きが取れなくなるよりも前に、本当の地獄へと飛び込んだのだ。

 でも、そこには彼女がいた。

 笑って、話しかけてきた。

 彼女は、わたしを忘れて、許してくれたんだと思った。

 でも、そんなことなかった。

「忘れるわけないでしょう」

「私も一緒に飛んであげる」

「私をいじめた他の人たちも先にいってるよ」

「私達は仲良しだもんね」

「ずっと、一緒だよ」

 頭から、下へと真っ逆さまに落ちていく。

 顔をあげる。わたしの視線の先には、リーダー格の奴らがいた。変わり果てた姿で、地よりももっと下から、私達に手を伸ばしている。

 天使の悪戯は、生者を殺した。

 人殺しの天使は、もはや天使ではない。

 人殺しは、翼を持てない。

 人殺しは、天使にはなれない。

 天使の腕に抱かれて、悪魔は落ちる。

 羽を落とした天使。

 翼を捥がれた悪魔。

 今、堕ちてゆく。

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