第31話
逃げて来た場所へ戻る、というのは支離滅裂のような気もするが、茉莉にはそれ以外の手がなかった。捕まれば危険な目にあってしまうかもしれない。だが、奏多の状態を伝えれば、きっと助けてもらえるはずだ。
自分がどうなるかはひとまず置いておくしかない。未来の最悪よりも、現在の最悪を解消しなければ。
悠長にはしていられない。
一分一秒でも早く魔法管理局に着いて、助けを呼ぶ。奏多があとどれくらい持ち堪えられるのか、正確には奏多自身にも分からないだろう。
茉莉はまた、全力で走り続けていた。だが、建物の中で既に、足が震えてしまうほど走っていたのだ、上手く足が動かない。加えて、足元はでこぼことしていたり、大きめな石が転がっていたりしてかなり不安定である。茉莉は、つまずいて何度も転びそうになっていた。
苦しい。酸素が足りない。
痛い。足を止めたい。
心の中で泣き言を並べて、茉莉は懸命に魔法管理局へと向かって行く。
*
「あー、やっと着いた。さすがにしんどい」
魔法管理局から、約二百メートルほど離れた場所に、三人の人の姿があった。赤色の長い髪を風に揺らめかせる女性を先頭にして、その後ろを頑強な肉体の男、待ち針のように線の細い長身痩躯な男が続いて歩いている。
「紀代子様も相変わらずお人が悪いですなぁ。魔法を使って先にお一人で行ってしまわれるなんて。私たちも一緒に連れて行ってもくれてもいいでしょうに」
「馬鹿言うな。大人四人を空に飛ばすなんてことしてみろ、その瞬間、逆に紀代子様の意識が吹っ飛んじまうよ。坊ちゃんみたいな、膨大な魔力量がなけりゃ無理な話だ」
「公園で会った時、軽々と二人を浮かしていましたからね。天才、というやつですか」
「そうなんだろうな……」
優里奈は、昔を思い出していた。
奏多は、紛れもなく魔法の天才である。この先、更に成長すれば歴代の中で頂点に君臨してもおかしくはない。
だがしかし。そんな類まれなる才能を持ちながら、本人は魔法を煙たがっている節があった。
天才ゆえの苦悩なのか。それとも、魔法使いの現状に嫌気が差しているのか。あるいは、両方か。
優里奈は一度、激しく頭を振った。弟のように思っていても所詮は他人だ、考えたところで奏多の心情が湧き出てくるはずもない。どれだけ心配しても、当人のことは当人にしか、分からないのだ。
「おやおや? 総長、あちらをご覧いただけますかな?」
「――ん?」
優里奈が長身痩躯の男に言われて振り返ると、後方には一つの人影が映っていた。距離があるせいで、姿形は判然とはしない。ただ、どうやら地面に膝を着いているようには見える。
「魔法管理局の人間、か? あー、面倒臭いけど、関係者なら放っとくわけにもいかないか。おい」
優里奈は体格の良い男に指示を出した。男は小さい返事をした後、すぐに人影に向かって走り出した。どすどすと、体格通りの重い音を鳴らしながら走ってはいるが、その速さは見た目とは裏腹に速い。あっという間に、後方の人影の位置に辿り着いてしまった。
「総長! 急ぎ来てください!」
男が叫び、残っていた優里奈ともう一人の男も走り出す。数分かかってようやく辿り着くと、うずくまっていたのはあの日、奏多の横にいた女子高生だということが分かった。
「なんで、お前がこんなところに――」
「た、助けて!」
優里奈の言葉を遮り、茉莉が叫ぶ。優里奈は一瞬、自分の言葉を遮られたことに苛立ちを覚えたが、茉莉の必死の表情から尋常ではないものを感じて、すぐにその苛立ちは消え去った。
「何があった?」
「か、奏多、先輩が。はあはあ、死んじゃう!」
「「「――!?」」」
驚愕の事態だった。予想など出来ようはずもない最悪の事態に、優里奈は冷静に対応を開始する。
茉莉に案内をさせるのは、見るからに無理そうだ。ならば――。
「田中。魔力感知器で周辺を確認しろ」
「了解致しましたですぞ!」
長身痩躯な男は、胸元のポケットからコンパスのようなものを取り出して掌に載せた。針が動き始めて、ある場所でその動きを止める。
「あっちですな。総長、急ぎ向かいましょう」
「よし。本田、お前はそこのガキの側にいろ。そいつの体力が回復してから、こっちに来い」
「了解」
茉莉は遠のく意識を懸命に繋ぎ止めていた。奏多がちゃんと助かったことを確認するまでは、目を瞑るわけにはいかない。
「安心してろ。どういう状況なのかは分からないが、坊ちゃんは絶対に死なせない」
優里奈は茉莉と視線を合わせた。年上であり、その昔不良どもを束ねた経験もあったためか、優里奈の言葉からは絶対的な安心が感じられた。この人に任せておけば、大丈夫という安心が。
茉莉が目を瞑り眠り出したのを確認して、優里奈と田中は走り出す。二人の足取りは、荒れた大地などものともしなかった。
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