第29話

 奏多は走りながら、茉莉が纏っている魔力の残滓を感知しようとした。だが、天才的なセンスを持っている奏多でも、熟練度でも言えばまだまだ紀代子には及ばない。微量の魔力を離れた位置から感知するのは、苦手なようだった。


 だからこそ、走り続けなければいけない。茉莉と物理的に距離が近くなっていけば、いつか見つけだせるはず。おじさんについての情報もないことが分かったのだ、長居する必要はない。茉莉を見つけて、すぐにここを離れるとしよう。


 奏多のそんな思惑を読んでいたのかどうか定かではないが、そう簡単に事が運びはしなかった。


 廊下の空中に突如、無数の黒い球体が現れ、それらから幾本もの直方体型の物体が飛び出してきた。


「くそっ! 叔母さんの魔法か」

 

 奏多は自分を目掛け飛んでくる攻撃を、魔法で撃墜したり身を翻したりして回避していく。この調子ならば、直撃は免れそうだった。だが、攻撃を受けない代わりに、先へ進むことを断念する必要がありそうだ。黒い球体は、廊下の先、見える範囲までぎっしりと、空中を浮遊しているのだから。


「こうなったら、一気に消し飛ばすか」


一陣の風が、廊下を吹き抜けていく。


 音を立てずに流れて行く風は、廊下の壁や床、天井を一切傷つけることなく、魔力によって生成された異質の黒い球体のみを破壊していった。


流れる風ウィンドフロウ


 一言呟いてから、奏多はまた走り出した。別に魔法を放つのにその名前を言わないといけない制約などないのだが、奏多にとってはどうやら大切なことのようだ。


(諦めたか?)


 黒い球体の魔法以降、奏多を襲う魔法は何もなかった。見えない位置から攻撃を仕掛けるには精神を削るだろうし、何より、これほど離れた位置に魔法を配置するとなると、空間転移並みの副作用を受ける可能性もある。茉莉の転移も重なって、自滅してくれたのだろうか。


 そうであるのなら大変ありがたい話だが、そうでないとしたら茉莉の身が危ない。魔法の矛先が、そちらに向いてしまったということも考えられる。


 なんとかして、早く合流しなくては。


 しかし、視界の全てが白続きの空間を幾ら走り続けても、自分が進んでいるのかすらも怪しくなってくる。本当にここはただの廊下なのか、と不要な懸念も湧いてくる。


 もしかして。既に何かしらの魔法にかけられているのでは。


 奏多は唇を噛みしめた。浅はかだったかもしれない。自分は魔法使いである、という立場的優位がある以上、命を奪われることはないだろうが、茉莉はただの女子高生だ。国家の機密に関わることを知り得ない、知ってはならない一般人なのである。


 どうぞお帰り下さい、なんてことにはならないだろう。下手をすれば、口を塞ぐために呼吸を止められてしまうこともありえる。


「くそっ――!」


 奏多が苛立ちを露わにしながら、更に走るスピードを上げた。その時、奏多は感じた。あの先の曲がり角から、微量の魔力を纏った者が現れることを。


「新――! 堂……?」


 曲がり角から現れたのは紛れもなく、この場所を共に訪れた少女であった。涙の再会、なんてことを奏多自身も夢見ていたわけではないのだが、それでもやはり出会えたことに嬉しく思えている自分はいる。


 つい、彼女の姿を視認した瞬間、歓喜の叫びをあげそうになったのだけれど――。


「あ、奏多先輩! たすっ、助けて―!」


 茉莉も奏多同様、全力疾走で駆けていた。違うことがあるとすれば、走っている目的である。


 奏多は茉莉を捜索するために走っていたわけだが、茉莉は自分の身のために走り続けていた。


 後方から追いかけてくる、黒い生物から逃げるために。


「な、んだよ、そいつは!?」


 四足歩行の真っ黒な生物。その生物は、天井に頭を擦り付けるほどに巨大で、顔は大きく、顔面の下半分は口のようである。首元にエラのようなもの、体躯にはひれや尾に近いものもあるところを見ると、両生類に属するのだろうか。


 だがまあ。どれだけ冷静に分析したとて、意味の無いことではある。こんな生物は、この世に存在などしていない。創り出さない限りは。


「はあはあ、魔法って、こんなことも出来るの!? あれ、生き物だよね!? ちょー怖いんですけど!?」


「生き物って言うよりか、魔力を固めたものって感じかもな。追尾の性能だけ付与しといて放っとけば、どこまでも追いかける化け物の完成ってわけだ」


 出会い頭は当惑したものの、冷静沈着な奏多。けれど、上半身とは打って変わって、下半身は忙しなく動き続けている。


「ってか、なんで一緒になって逃げてんの? 魔法でばーんってやっつけてよ」


「ああ、分かってる。タイミングを計ってただけだ。魔法を放つ瞬間は、一瞬動きが止まっちゃうからな。十分な距離を確保しておかないと、潰されかねない。よし、そろそろいいか。【流れる風ウィンドフロウ】」


 一陣の風が、化け物目掛けて流れて行く。揺れて流れて。そして。


 何事もなかったかのように、風は虚しく過ぎ去って行った。


「――はあ!? なんで無傷なんだよ、あの化け物!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る