第9話
奏多と別れた茉莉は、凪いだ波の中を素知らぬ顔で歩き、自分の教室へと戻って行った。奏多を見失なって苛立っている女子たちに、もしもさっきまで私が貴方たちのお目当ての彼を独占していたと知られたら、私はどうされてしまうのだろう。
奏多に異性としての魅力は別に感じてはいないけれど、それでもなんとなく優越感があって、ついつい顔がにやついてしまった。ああ、私はなんて嫌な女なのでしょう。茉莉は、トラウマが軽くなったことで、どうやら少々おかしなテンションになっていたようだ。
「あ、おかえり茉莉。んん? どうした? すごい嬉しそうじゃん」
教室に戻ると、仲良し四人組の自分以外の三人は、既に教室に戻っていた。興味本位で噂のイケメン先輩を見に行ったはいいが、あまりに人が多く面倒になったので、三人はすぐさま踵を返したらしい。
授業中であるのに、茉莉は悪びれた様子もなく教室に入り、四人は好き勝手に話を続けている。英語を担当する教師が気弱なためなのか、四人は注意されることもなかった。いや、もしかしたら言うだけ無駄だと悟られているだけなのかもしれないが。
「遅かったじゃん。何してたん? あ、もしかして、イケメン先輩と一緒にいたとか?」
四人の中で一番背が高く、手足の長いモデル体型の瑠奈は、迫るように茉莉に尋ねた。茉莉は自分の席に座りながら、床に胡坐をかいて座る瑠奈に、「そんなわけないじゃん」と即答した。
茉莉自身、奏多と一緒にいたことを隠そうと思ってそう言ったわけではなかった。自分が男と一緒にいたことを報告したとて、三人は軽蔑したり馬鹿にしたりしてくるはずがない。むしろ、男嫌いの自分が男と密かに一緒にいたことを喜んでくれるような気がする。
だから、別に隠す気はない。ただ、一緒にいたことをではなく、二人の会話の内容を隠さないと、とは思った。そのせいで、隠す、というワードが頭の中に強く出てきた茉莉は、咄嗟に瑠奈に嘘をついてしまったのだ。
友達に嘘をつくつもりなんてなかったのに。訂正して、「本当はいたんだよ」と言っても、その後に巻き起こる質問の嵐を上手くかわしきる自信がない。ならやはり、嘘をついたままの方が、茉莉にとってはいいのかもしれない。
「ほんとにー? じゃあ、他に何かあったよね? じゃないと、そんな嬉しそうな顔するわけないし」
明菜が追求する。茉莉の前の席で座る明菜は、逆向きに椅子に腰かけて、茉莉の視線と自分の視線を交錯させた。
「まあ、あるには、あった。嬉しいこと」
これは嘘ではない。自分のトラウマが軽くなったのだ。人生で一番の嬉しい出来事かもしれない。
三人には心配をかけたくなかったので、過去の出来事については語ってはいなかった。だから、今更あえて言うこともあるまい。茉莉はそう思って、嬉しいことがあった、とその事実だけを伝えたのだった。
「えー、なになに。教えてよー」
柔らかそうな身体をゆらゆらと揺らしながら、紗理奈は茉莉に抱き着いてくる。あまりの心地よさに気持ちが緩んで、つい言いそうになってしまう。
いや、駄目だ。大切な友達だからこそ、自分の過去のことで心配をかけたくないし、この先何が起こるか分からない魔法の話をするわけにはいかない。
「ほんっと、頑固だなぁ。まあ、いっか。茉莉が嬉しそうなら、私たちも嬉しいし」
「ありがと。ほんと、三人とも大好きだ」
笑声を響かせる四人。授業中ではあるので、周囲のクラスメイトがしかめっ面を見せても仕方がない。痩せ細った英語の教師も、さすがにそろそろ注意すべきかと、逡巡している様子を見せている。
「あーあ。それにしても、見たかったなイケメン先輩」
「それな」
「きっと、イケメンな上に声も良くて、更にはクールで女の子には優しいんだよ」
「――いやー、どうかな」
三人が、目を丸くして茉莉を見る。
「確かに金髪のイケメンだったし声もイケボだったけど、あれはクールを装ってるだけのガキだと思う。全然優しくもなかったし、なんであんなのが女の子に人気あるのか、意味不明、って感じした」
「「「…………いや、やっぱ一緒にいたんじゃん」」」
少刻の沈黙の後。「あ」という一音が、教室内に弾けた。
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