第5話

 茉莉の耳には、途中から何も届いてはいなかった。男は懸命に考察をして語ってくれているのだが、茉莉は自分の中の感情を制御するのに必死だった。さっきまでのように流れに任せてしまうと、涙が溢れ大声で叫んでしまいそうだ。


 まだ、真実が判明したわけではない。抜け落ちていた記憶が戻ったわけではないのだ。


 だがそれでも、安堵せずにはいられなかった。これまで思い描いていた、性癖をこじらせた小汚いおじさんが、茉莉の中で徐々に不思議な魔法使いのおじさん、に変わっていく。

 後者も十分に危険ではありそうだが、茉莉は然程気にはならなかった。


 魔法使いのおじさんの意図は分からない。だがしかし、あのおじさんが本物の魔法使いであって、自分を守るための魔法をかけてくれているとなると、あの時に自分が汚された可能性は、格段に低くなってくるのではないだろうか。


 自分の純潔は、守られている。

 女として、自分は。綺麗なままなんだ。


「あ、やばい。ねえ、ちょっとちょっと。さっきの、なんだっけ。あの光のやつ、もっかい使って。マジで泣き叫びそう」


「は? いや、なんでだよ。泣く要素がどこかにあったか? 情緒不安定すぎんだろ」


「女の子は情緒不安定なのがデフォルトだっての。イケメンのくせにそんなことも知らんのかよ。って、いいから早く!」


「嫌だよ、普通に疲れるし。魔法だってデメリットがないわけじゃねぇんだぞ。簡単なやつは疲れるだけだが、強大な魔法なんかはそれに応じた副作用があったりするからな」


「魔法のうんちくなんてどうでもいいっての。私は、貴方のためにも言ってんだよ」


「俺のため? どういうことだよ」


「ここで私が大声で泣き叫んだとして、その光景を見た人たちはどう思う? 人気のない体育館裏。無理矢理連れて来た男。そして、泣き叫ぶ女。小学校低学年レベルの問題だと思うけど?」


 男は眉間に皺を寄せて、苛立ちを露わにした。大きくため息をついてから、一度茉莉を睨みつける。ひるんでくれれば儲けものだと思ったが、どうにも男の顔は常に仏頂面であるようで、睨んでみたとていまいち普段との差が分からない。一生懸命に威圧しているつもりでも、茉莉には到底効きそうになかった。


 仕方がない。先程のホーリーライトの効果はまだ継続しているだろうが、更に上乗しないと、目前の女は本当に泣き叫ぶだろう。そうなる理由は全く分からないが、そうなってしまう気配は、うるうると濡れ始めた瞳を見ればなんとなく感じられた。


「はあ。ホーリーライト」


「…………ふう。超便利だね、その魔法」


「絶対、もう二度と使わないからな。俺は便利屋じゃないんだ」


「まあまあ、そう怒らないでよ。貴方のおかげで、過去のトラウマが大分軽くなった。ありがとう、イケメン先輩」


「その呼び方止めろ」


「名前、知らんし」


創玄そうげん奏多かなた


「ありがとう、創玄先輩」


「…………名字も、嫌いだから、呼ぶな」


「……我儘だね。あ、それとも、これが女の子との距離感を一気に縮める手段とか?  

 やり手はやっぱ違うね、か・な・た先輩」


「お前も嫌いになりそうだな。はあ、なんでこんな奴から魔力の波動を感じるんだよ。そうでもなきゃ、お前みたいな奴と関わる気なんてなかったのに」


「お前、って呼び方止めてくれない?」


「名前、知らねぇし」


新堂しんどう茉莉まり。名字で呼ばれるの別に嫌いではないけど、名字で呼ばないでね」


「そんなの俺の勝手だろ、新堂」


「なんか、ずるくない?」


「うるせぇ。そんなことより、話の続きだ。そのおじさんって奴のこと、もっと詳しく教えろ」

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