プテリゴトゥス

(さざ波の音)


「うっふふふふ…ご覧なさい。シルル紀の海岸、美しいでしょ?私はプテリゴトゥス。ウミサソリの一種よ。毒針なんか持っていないわ。あなたの時代の所謂とは、私たちは違う種族だもの。ただ私たちは、無脊椎動物ではわりと古参なほうだから、サソリちゃんたちの祖先ではあるかもしれないわね」


(どこからともなく聞こえてくる、ヒーリング用のベルの音)


「あら、もう開始の合図みたいね。私はこの両手のハサミを使って、髪の毛を切ってあげるわ。資格は持ってないけど、そのぶん、料金は取らないわよ。今回はあなたをお世話するのが目的だし。…ハサミ以外の道具は、あなたたちの時代から借りてきたわ。例えば、この座り心地の良さそうなイスとか。さあ、ここに座ってみて」


(言われた通り座る)


「うっふふ、お利口さんね。それじゃあ、髪の毛を切っていくわよ。まずは、この白い大きな服を…専門用語で“カットクロス”っていうらしいわね、これを被せて、っと…それから、首のところをこの灰色の“ネックシャッター”っていう道具でとめて…確かにこれなら、切った髪が首に入りにくいわね。じゃあ次は、この霧吹きで…」


(霧吹きで髪を濡らす)


「うん、まんべんなく髪を濡らせたわ。それじゃあ、切っていくわね。…大丈夫よ、そんなに切りすぎないし、ちょっと短くするだけだから」


(ヘアカット開始。ここから小声になる)


「…練習したとはいえ、やっぱり、本物を扱うのはちょっと緊張するわね。ここは冷静に。…上手くできたら、資格を取ってお店を開いてもいいかもしれないわ。シルル紀の海が見える美容院。お客さんは、時空を越えて未来からやってくる。何だか壮大で、へんてこな話になっちゃうわね。うっふふふ…いまはこうして、あなたの髪を切るのにハサミを使っているけれど、本来は獲物を捕らえるためにあるのよ。例えば…」


(耳元に口を近づける)


「ここにいるおいしそうな、人間とか」


(耳元から顔を離す)


「冗談よ。シルル紀には人間はもちろん、哺乳類すらいないし、いたとしても食べないわ。私たちウミサソリの主食は海の生き物。例えば魚とか、自分より小さい節足動物とか。シルル紀は魚が豊富なのよ。あなたたちの時代に負けないぐらいにね。魚が美味しいっていうのもあるから、人間がいたとしても食べることにはならないわ。…あ、でもあなたたち人間の祖先は魚。一匹の魚が卵を産んで子孫を残したから、偶然あなたたちが生まれることになった。そう考えると、もしその一匹を産卵前に私が食べちゃっていたら…」


(耳元に口を近づける)


「運が良かったわね、人間さん」


(耳元から顔を離す)


「うっふふふ…ビクッとしたのは恐怖?それとも囁かれてゾクゾクしたからかしら?あら、からかっていたら、少し髪が乾いてきてしまったわ」


(再び、霧吹きで髪を濡らす)


「からかったとはいっても、さっきのは半分は本音よ。あなたたちは本当に運が良かったといえるわ。でも、運任せっていうわけでもないのよね。祖先の魚が必死に生き延びて、子孫を残して、そこに運が味方した。絶滅した側としては正直、完敗だわ。まあ、私たちと同じ節足動物の、甲殻類や昆虫なんかが生き残っているのが、せめてもの救いかしら。ひょっとしたら直系の子孫もいるかもしれない。そう考えると、本当は絶滅したわけじゃなかったりして。…うっふふふ、ものは考えようね。だからあなたたちも、絶滅しないようにせいぜい頑張りなさいな。…大丈夫よ、だって私も、祖先がカンブリア紀の大量絶滅を生き延びたおかげで、生まれてこれたんだから。…ところで、このカットが終わってからだけど、シャンプーさせてもらえるかしら。イクチオステガちゃんの話を聞いて、私もやってみたくなったの。美容院でも、切った髪を洗い流したりするらしいし。…シャンプーのときは、両手のハサミは使わないわよ?さすがに怪我をしてしまうわ。ハサミのついた足じゃなくて、違う足を使うことにするけど。…そう?嬉しいわ」


(ヘアカット終了)


「じゃあ、髪を切るのはこのぐらいにして、シャンプーに移りましょうか。そこにリクライニングの椅子があるでしょ?そっちに座ってもらえる?」


(移動)


「では、椅子を倒すわね。…もうちょっと頭を上に…はい、よくできました~。じゃあ、シャンプーしていくわね。“ミント”の香り、だそうよ。この植物、私の時代にはなさそうだけど…どんな香りかしら。楽しみだわ。じゃあ、あなたの髪を、洗わせてもらうわね」


(シャンプー開始)


「…素晴らしい香りね。なんだかすっきりして、涼しげで。ちょっと刺激が強い気もするけど、私は好きだわ。それにこの泡立ち具合。私も使ってみようかしら。…え?この時空でしか使えないんじゃないか、って?…そうね、ほかの子たちはそうなんだけど…私は特別。なぜって、このシステムの管理に携わっているメンバーの一人だから。一番上っていうわけではないのだけれど、そうね、幹部みたいなものよ。私はカンブリア紀からペルム紀までの時空を担当してる。メンバーはゴルゴノプスちゃんでしょ、ディメトロドンちゃんに、それからメガネウラちゃん、イクチオステガちゃん、アノマロカリス先輩。あの海老ひと、私より年上だからね?見えないけど。クセは強いけど、みんないい子たちだわ。ま、私が勝手に道具を持ち出そうもんなら、みんな怒るでしょうけど。…お痒いところはございませんかー?…うっふふふ、言ってみたかったのよ、本物の美容師さんみたいに。やっぱり資格取ろうかしら。…顔が痒い、とか、思ってたりする?あるいは首とか、背中とか…あ、いま変なこと考えたでしょ。おねえさんにはわかるのよ。ウミサソリだからって、油断しないことね。うっふふふ…そろそろ、流すわね」


(シャワー出す)


「温度を確かめて…」


(シャワーかける)


「…うっふふふ…」


(全ての泡を洗い流し、シャワー終了)


「…はーい、椅子を起こすわね。…じゃあ、もう一度こっちの散髪用の椅子に来てもらえるかしら」


(戻ってくる)


「…はい、お利口さん。じゃあ髪を乾かすわね」


(ドライヤー開始)


「この“ドライヤー”って道具、不思議よね。だって、こんなに小さな筒から、熱風や温風が出るんですもの。イクチオステガちゃんも、似たようなこと言ってたかしら。うっふふふ、絶滅した生き物に言わせれば、人間の日常生活は不思議だらけなのよ。うっふふふ…そう言えば、ディメトロドンちゃんがイクチオステガちゃんをちょっとからかってたというか、ツッコミを入れていたわね。両生類がドライヤーなんかつかって、カピカピにならないのか、って。うっふふふ、このASMR時空においては、そんな心配は無用よ。だって、補正がかかるんですもの。うっふふふ…」


(ドライヤー終了)


「…じゃああとちょっとだけ整えて、終わりにしましょうか」


(ヘアカット再開)


「ここと、ここを微調整して…うん、これでよし、と。一応確認するわね。えーと、鏡、鏡…。あったわ。うしろこうなってますけど、よろしいでしょうか~?…ま、今日はそこまで短く切ってないから、あまり変わらないでしょうね。資格を取ってお店を開けば、もうちょっと短くしてあげられるんだけど。今日は様子見と、あなたのリラックスが目的だから」


(ネックシャッターとカットクロスを取る)


「…ねえ、せっかくだからシルル紀の海岸を、ちょっとお散歩して行きましょうよ。もとの時代に戻るまでの間、ゆっくりしていくといいわ」


(波の音)


(終わり)

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古代生物娘たちにASMRしてもらうだけ 岩山角三 @pipopopipo777

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