第2章38話 ロストマン

 六発の銃弾を食らったノーラントが地面に倒れる。これほど身体に損傷を与えれば、どうやっても助かるまい。

 テルは深く息を吐き出す。すると、蹴られた鳩尾が痛む。でも今はそれよりも優先したいことがある。


 終わったよ。


 振り返ったテルは、ニアに向けてそう叫ぼうとした。すぐにでも悲しむ表情を拭い去りたくて、胸も苦しさも喉も痛みも堪えて、精一杯に声を出した。



 しかし、それを塗りつぶしたのはノーラントの高らかな笑い声だった。



「くっ、ふふふ。はは。はっはっはっは、あっはっははははははははははははははは!!」  


「な、んで……?」


 ゆっくりと背後を向いたテル。ノーラントは地面に大の字になったままで笑い声を上げている。そこに出血の痕跡は一つもない。

 そして、何ともなかったように起き上がったノーラントは、ずれた眼鏡を直した。


「大砲を人が持てる大きさまで縮めたのか。なるほど、良い兵器じゃないか。なにか隠し玉があると思っていたが、これほどのものだったとは!」


「な、なんで、胸を打たれたのに」


「ああ、そうだ。その弾丸は私の胸を打ち抜いた。危なかった、私が人間だったら死んでいた!」


「……は?」


 ノーラントはそういうと、服の前部を引き裂く。

 そこにあったのは、ドールと同じく黒々とした臙脂色の不気味な肉体だ。


「まさか……」


「ドールは私の肉体、あの小僧カインが『蟲』と呼んだ異能の副産物だ。アレの研究に、一般的な人間の肉体では耐えられるわけがないからな」


 ノーラントはアレと称してニアの方を見た。そして、自分の持つ黒い宝玉をまじまじと見せつける。


「ちなみに、この宝玉はニアの呪いの複製レプリカだ。まだオリジナルにはほど遠いが、ドールのまとっていたものよりは遙かに改良が進んでいるんだ。猿のお前にも出来の違いが理解できただろ」


 急に機嫌をよくしたノーラントは一方的に喋り倒す。その間、テルは黙ってその話を聞いていたわけではない。

 込められた弾丸を全てノーラントに打ち込み、懸命に最後の足掻きをしていた。しかし、ノーラントが喋り終わるより速く弾切れを起こしてしまった。


「しかし、大義も糞もない、性欲に目が眩んだ猿の割にはよくやったほうだ。褒めてやろう」


 ノーラントが口を閉ざしたのは、テルは新しい拳銃を創り終えたところだった。

 しかし、テルが銃口をノーラントに向けたとき、黒泥の魔弾がテルの胸を打ち抜いた。


 喉から込み上げる血で呼吸が出来ず、気道に入った粘っこい液体を吐き出して、口から下が真っ赤に染まる。

 ノーラントは地面に倒れそうになったテルの首元を掴み、晒上げるように持ち上げた。


「テルッ!」


 背後からニアの声が聞こえたが、テルには首を動かすことさえできなかった。

 ひゅうひゅう、と細く呼吸をするテル。とどめを差されるかに思えた。しかし、ノーラントは狂気的な笑みで、テルを立たせた状態のまま話を始める。

 

「私にはね、大義があるんだよ」


 どうしてこの男が死に体の自分にこんな話をしているのかわからない。

 そんなテルの困惑をよそに、ノーラントは独り言を重ね続ける。



「アレの持つ力は本物だ。異能などという紛い物とは違う。この世の理を司る、正真正銘の『権能クラウン』だ」


 ノーラントの言葉がテルには意味がわからない。


「私はそれを究明したいんだよ。この世の未知を暴き、真理を明かす。それこそが学者としての本望だとは思わないか?」


 当然、それは説明のための言葉ではなく、ノーラント本人が陶酔するためのものだ。


複製レプリカの作成に成功すればなにかわかると思ったんだが、私をもってしても、オリジナルの足元にも及ばない。だから次のアプローチとして、遺伝したあの力を研究しようと考えていたのだが……」


 ノーラントはそこでやっと、テルを見た。


「ああ、そうだ。いいことを考えた。お前を種親にしてやろう」


 その眼差しは、酷く純粋で、透き通っていて、


「願ったり叶ったりじゃないか。ニアとの子を作り、私の研究に協力しろ。ん? ああ、なるほどなるほど。アレはまだ生娘だ。お前の心配には及ばない」


 もはや、テルへの害意はなく、


「……ふぅん、一体何が気に食わないんだ?」


 だからこそ、イカれているとしか思えない。


 ノーラントが憐れんだような困惑の色を浮かべる一方で、テルの顔が刻一刻と怒りで染まっていく。

 人を人とも思うことができないこの男は、もはや人なんかじゃない。本当の意味でのバケモノこそが、このノーラントという男だ。


「くた、ばれ。……ば、けもの」

 

 テルは『オリジン』のナイフをノーラントの手に突き立てるが、『蟲』の体はそれをものともしなかった。


「ふむ、いい案だと思ったんだがな、残念だ。ここで死ね」


 冷酷な宣告とともに、ノーラントの手にある宝玉が魔力を帯びる。テルの命を断ち切る黒い泥がぷかぷかとテルの目の前に浮いている。


「待って!」


 そんなノーラントに疑問の声を上げたのはニアだった。


「約束は……? 殺さないって言ったのに!?」


「ああ、そうだな。あとの二人は約束通り生かしておこう。見殺しにして好き勝手したいなら、そうしなさい」


「っ……!」


 ノーラントはニアの顔が絶望に染まる。そして、何かを諦めたように深く息を吐くと、ニアのまなじりが大きく開いた。しかし、ノーラントは失笑した。


「私を殺すのもいいだろう。しかし、そうすればこの遺跡にいる子どもは全員死ぬことになる」


 ノーラントを制するため、ニアが立ち上がったそのとき、その邪悪な口から発せられた言葉で、ニアの動きが完全に止まった。


 事の発端である、子どもの誘拐。

 それはニアを閉じ込めておくために、ニアの力にに対する人質のために攫われたものだったのだ。

 

 ノーラントは初めからニアが自分の命を断とうとしているのを知っていて、それを封じるために何人もの子供を地下遺跡に閉じ込めたのだろう。

 

 膝から崩れ落ちるニアを見て、にやりと口角を上げ、テルに視線を戻した。


「さあ、見てみろ。まだ意識はあるだろう。お前がニアにあんな顔をさせたんだ。目に焼き付けさせながら縊り殺してやる」


 テルは無理矢理ノーラントに首を動かされて、ニアを視界に収める。


 酷い顔だ。真っ青になった顔色で震えながら泣いている。

 声は聞こえないが、小さく動く口はテルに向けて「ごめんなさい」と言っているような気がする。


「私はお前に感謝しなくてはならない。お前が惨めなおかげで、アレは私に従う」


 ああ、ほんとうに惨めだ。偉そうなことを言っただけで、結局ニアを余計に悲しませてしまった。


「つくづく愚かだ。愚か者はこれだから長生きできない」


 ああ、全くだ。自分が愚かなばっかりに、ニアへの侮辱を止めることができない。


 苦しい。息ができない苦しさもあるが、ニアが悲しみで顔を歪めているのがもっと苦しい。


 ついに視界が黒く霞み始めた。沈みゆく意識のなか、後悔だけが胸に浮かんでくる。


 他の誰かならもっとうまくやれただろうか。努力や工夫が足りなかったんじゃないか。

 思い当たる節がすべてまとまって、死にゆく自分を責め立てている。


 いやだ、死にたくない。君が不幸に晒され続けるのが許せない。


 恨みと怒りが渦巻いているのに、体はこんなにも動かない。


 ああ、ごめんなさい。


 声にならない謝罪をこぼし、テルは意識を手放す直前に、

 



 『代われ』




 聞いたことがあるような、ないような。そんな声が耳元で聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る