第2章31話 ただ、苦しいだけで

 ある頃、ノーラントに連れられて、外に出ることになった。

 ニアは既にスムーズな意思疎通が出来るくらいになっており、同時に自分のなかに存在する『呪い・・』についても、自覚していた。

 ノーラントはニアに呪いの使いかたを教えると、ニアは難なく使いこなすようになった。


 ノーラントの研究所は、森の奥深くにあったので、外に出てもあるのは木や草花といった、植物ばかりだった。

 しかし、そのときのニアの感動は筆舌に尽くし難いものだった。

 文章で知っているだけだった太陽の温かさ、植物の色鮮やかさ、風の心地よさ。全てが美しく見えた。


 ノーラントはそんなニアをつれて、森を進んでいく。やがて開かれた広い場所に出ると、ニアはそこで初めて魔獣を目にした。


「ニアのために用意した、上位の魔獣だ。これを動かなくなるまで壊しなさい」

 

 ノーラントが魔獣と呼んだそれは、絵本のなかで見た豚という生き物が、醜く巨大化したものだった。グロテスクで顔をしかめたくなる刺激臭をまき散らすそれに近づきたくなかった。

 嫌だなと思いつつ、言われた通りに活動が停止するまで魔獣の体を破壊すると、ニアはもっと嫌な気持になった。 

 臭いを発する体液を全身に浴び、自分にその臭いが沁みついてしまいそうで、すぐに体を洗いたかった。

 しかし、ノーラントは一人で高笑いをしていて、話しかけがたい雰囲気だった。



 ニアの日課から、強度実験の頻度が途端に減り、代わりにノーラントとの散歩が増えた。

 散歩というのもも、魔獣と出会ってはそれを殺すのを続けるばかりの作業。


 そんな日々をしばらく過ごしたある日、ノーラントと森に出かけると、そこにヒトがいた。


 その人は異国の人間のようで、ニアにはわからない言葉を発している。その人は、両足に怪我をしているようで、へたり込んだままこちらに顔を向けている。


「ニア、いつも自分がされているようにしてみなさい」


 ノーラントがそう言ったので、ニアはそう・・した。


 腹を裂き、四肢をぐ。骨を抜き取り、眼球を潰し、脳みそをかき混ぜる。


 植物と比べると、魔獣も人もあまり綺麗ではないな。

 ニアの率直な感想はそんなものだった。飛び散る肉も油も血もどれも気分のいいものではなかった。


 ニアは動かない人の前でじっと待っていたが、動かなくなってからいつまでたっても、そのヒトは立ち上がろうとしなかった。


 血溜まりに立つニアが首を傾げていると、機嫌のよさそうなノーラントが「よし、帰ろう」とニアに声を掛けた。


 このとき初めて、自分という存在が特別死ににくいことを知った。


 勉強をしては森に出かけなにかを殺す。そんな毎日がまた何か月も続いた。

 大抵は魔獣を殺したが、まれにノーラントがヒトを見つけると、執着するようにニアに殺させた。


 勉強はシルミアが訪れたときにしていた。と言ってもシルミアはほとんど放任で、大量の書物と辞書を与えるだけで、「それ宿題ね」と言って立ち去ってしまう。


 それから、ニアは何もない時間を使って色々な本を読んだ。いままでは子ども向けのわかりやすい内容の絵本ばかりだったが、シルミアが置いていったのは一般的な物語も多くあった。

 どれも面白くて、熱心に読んだ。どの本も何度も繰り返して、その内容を鮮明に覚えている。


 うらやましいと思った。自由になってみたい。そう感じたあとで、今の自分が不自由であることを自覚した。

 私も欲しいと思った。沢山の仲間や家族に囲まれてみたい。そう願ったあとで、今の自分が孤独であることを思い知った。


 時間を持て余したニアは色々なものに思いを馳せた。いろんな生き物がいる。例えば自分が鳥だったら、どんなふうに空を跳ぶだろう。


 そう思うようになってすぐ、ニアに「イヴ」という家族ができた。高い体温も、柔らかい体毛もとても心地よかった。

 イヴはニアが一人でいるといつの間にかやってきて、誰かがニアの部屋を訪れるといつの間にかに消えしまう。


 ニアはイヴといるときは満たされた気持ちになった。そのとき、シルミアがニアに言い渡した「あなたには関係がないもの」という言葉を思い出した。

 これはきっと楽しいやうれしいに近いものなんだと、ニアはわかった。


 大事な存在ができたことで、ニアは気づかなかった沢山のことを知った。いつまでもイヴと過ごしていたいと思ったし、もしいなくなってしまったらと考えると眠れないほど怖くなった。


 そうして、気づいてしまった。


 それは自分にだけ当てはまること・・・・・・・ではないという事実に。



 人を殺してしまった。



 いろんな人と接して、いろんなことを体験した誰かの命を奪ってしまった。


 多くの祝福されるべき時間。多くの人と共有されるべき感情。交わされるはずだった言葉。触れあうはずだった温もり。人から溢れだしていた可能性。それらをニアは殺した分だけ、損なわせてしまった。


 真実に気づいたニアは自分の内側に閉じこもった。




 次の日、初めてノーラントの命令に背いた。

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