第2章20話 嘘吐きのバケモノ①

「ニアっ!」

 

 大声で叫ぶと、驚いた顔をしたニアが振り返った。

 テルが追いついたのは、丘を越え、森に差し掛かった辺りだった。


 間違いなく、ニアだ。


 テルは、ニアが生きていたことを自分の目で確認すると、肩の荷が全て降りたように気持ちが軽くなったが、その一方、次にニアにかける言葉が何も出てこなかった。

 ニアは一体どんな気持ちでテルたちを助け、どんな気持ちで火を放たれた家を見ていたのかを考えると、言葉が失われた。


「君はニアの友達かな?」


 無言で互いに視線を交わす二人に、隣の男がそう口にした。


 男は背が高く、黒のような緑の髪をした眼鏡の男だ。着こんでいる分厚いコートはどこか不自然で、不安定な印象があり、そこでテルはこの男が、祭りの初日でニアに声をかけていた男であると思い出した。


「お前、誰だよ」


 テルの警戒心が膨れ上がるのを見ると、男はこちらを馬鹿にするように鼻を鳴らした。


「先に質問をしたのは、私なんだがな。まあいい。君のような猿には興味がないがニアのお友達だ」


 そう不愉快な前置きをして、咳払いした男は告げた。


「私はノーラント。そうだな、ニアの先生と言ったところだ」


「先生……?」


 ノーラントはそう口にすると、ニアの肩に手を乗せる。するとニアは、重いものを被せられたように目を伏せた。ノーラントの馴れ馴れしさは、テルの神経を逆撫でする。


「どこにいくんだよ、カインもセレスもきっと心配してる」


 テルが言うと、ニアは一度ノーラントの顔を見上げ、ノーラントが頷くのを見るとこちらに視線を戻した。

 ニアの発言権をノーラントが握っているような、視線だけのやり取りのあと、ニアは被っていたローブを外すと、絞り出すように口を開いた。


「ごめんね、もう一緒にはいられない」


 唐突のような、どこかそんな予感があった言葉に、テルは眩暈を起こしかける。


「……どう、して?」


 何とか声を出すが、ニアはまた視線を落とした。


「もう誰にも迷惑をかけたくないから。私のせいで、家も―――」


「ニアのせいじゃないだろ!」


 声を張り上げてニアの無実を訴えるが、二人の目は合わない。


「そいつと一緒にいくのかよ」


 テルの問いに、ニアは時間をかけて頷いた。とても自ら望んでそうしているとは思えない表情に、テルの臓腑ぞうふは煮えくり返るように熱を持った。


 頭のなかで引っかかっていた小さな違和感が繋がり、一つの輪郭を露わにしていく。

 ほとんど言いがかりに近い自覚はあった。それでも揺るがない確信を持って、テルはノーラントを睨む。


「お前があのとき、ニアに変なことを吹き込んだんだろ」


 ニアが「また祭りも行きたい」と言ったときのことだ。テルはそのとき、ニアの真意を深く考えなかったが、あのときニアはあの場に来ざるを得なかったのだ。結果、ニアは黒泥の力を使い、村民に諸悪の根源として仕立て上げられてしまった。


 家に暴徒を送り込んだのもそうだ。


 ニアがあそこに住んでいると知っている村人は限りなく少ない。それこそ執拗にニアを狙う何者かが、ニアの居場所を奪い、罪悪感を植え付けるために憤っている村人に、彼らにとって都合の良い敵の居場所を吹聴したのだ。


 鋭い視線を向けられるノーラントは、「さて、なんのことだか」と肩を竦めて白を切る。


「お前、何者なんだよ」


「だから先生と言っただろう。リベリオとかいう野蛮な男が連れ去るまで、私がずっとコレの世話を見てきたんだ」


 面倒臭そうに説明するノーランドに、テルはまなじりを決した。ニアをコレ呼ばわりしただけでなく、他者のために命を掛けた恩人を侮辱したのだ。それだけで、テルにとっては十分だった。


「わかった、もういい。お前は敵だ」


 テルが剣を創り出す。しかし、


「ダメ、辞めて!」


 ニアの悲鳴にも似た声が届くよりもさきに、ノーランとから放たれたレーザーのような黒いなにかがテルの腹を貫く。

 見覚えのある攻撃、あれは初めて戦った黒泥の『泥の弾』だ。


 喉が血の熱で満たされ、口が鉄の味でいっぱいになる。力が入らなくなった膝が地面につく。すると、位置が低くなったテルの頭をノーラントが思い切り蹴りあげた。

 視界の歪みと腹部の激痛。テルは本能のままに手で頭を覆いながら倒れると、ノーラントが勢いよくテルを踏みつけた。

 

 どす、どす、と低い音が自分の中に響くたびに、血が零れ落ち、痛みで全身が痙攣する。


「お願い、辞めてっ!」


 ニアがテルに覆いかぶさるようにして庇う。ノーラントはニアを三回ほど蹴りつけたあと、短くため息をついて暴行を止めた。


「手を出さないのが約束だったな。治してあげなさい」


 そういわれたニアは戸惑うように頷くと、テルの腹部に手をかざして神聖魔法を使う。

 邪悪な気配と吐き気に当てられると、満身創痍のテルは堪えられるはずもなく、血の混ざった吐瀉物を吐き出した。


「コレの美貌に当てられたのはわかるが、そんな性欲ごときで命を投げ捨てるのか」


 呆れたようにノーラントが言う。

 テルはぜえはあと息を荒げながら、腕で体を起こしながら、ノーラントをめ付ける。


「テル、もうやめて」


 ニアが弱々しい声でテルの腕を掴むが、組み伏せるような力は込められていない。ニアもすでにいっぱいいっぱいなのかもしれない。


「ふざ、けるなよ」


「まったく、脳の小さい猿の相手は疲れる」


 ノーラントは地を這う虫を前にしたように見下すと、近寄る。

 またテルに暴力を振るうのかと思われた。しかし、テルには見向きもせず、ニアの髪を鷲掴みにして立ち上がらせた。


「ニア!」


 怒声を上げたが、テルがそれ以上近づけないのは、ノーラントが手にしているナイフをニアの首筋に当てているからだ。


「……どういうつもりなんだよ、お前」


 凱旋祭で暴れて大勢の人を傷つけてまでニアに執着する男が、ニアの命を脅かすような状況に、怒りと混乱が同居している。


「コレはお前如きが扱える代物ではないんだよ。それを、教えてやる」


「その汚い手を離せ」


「見ているがいい」


 ノーラントはそう口にして、口端を釣り上げるように笑うと、テルの背筋に悪寒が走った。このままにしてはいけないと直感が叫んでいる。


 テルは体を起こし一歩を踏み出す。

 しかし、ノーラントはそれよりも先に、ナイフをニアの背中に突き刺した。


「くっ、ぅぅ……」


 胸を完全に貫いて、切っ先だけが見えるナイフを引き抜かれる。ニアの胸から勢いよく血が流れ出し、心臓が破かれたのがわかった。

 小さなうめき声を上げるニアは、ノーラントの顔をまじまじと見る。ノーラントはニアを向かい合わせると、深々と首にナイフを突き立てた。


 心臓を刺されたとは思えない量の血を首から噴き出したニアは、そのまま地面に倒れた。

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