第2章19話 あかく、燃える
意識が戻ると診療所のベットの上にいた。もう日が落ちていて、外は既に暗い。
全身、特に腹部の痛みがあるが、触ってみると傷は既に塞がっている。神聖魔法とはいえ、瞬く間に完治と、都合よくことは運ばないらしい。きっとニアの治癒術とは根本が違うのかもしれない。
「ああ、そうだ」
体を起こす。痛みがアラートを鳴らし、命の危険を訴えるが、そんなものはどうでもいい。
早く、ニアのいる場所にいかないと。
「なにやってるんですか、まだ寝てないと―――ひっ」
のそのそと重い足取りのテルを制止する看護師の女性は、テルの一瞥を受けると顔を青くして黙った。
看護師はテルの鬼気迫る表情に圧され、それ以上声をかけることができなかったのだ。
「もう大丈夫なので」
捻り出すように言うが、看護師からの返事はない。それもそのはず、テルの発した言葉は、誰が聞いても空気を奇妙に震わせただけの音だったのだから。
テルは何とか服を着替え、ポケットに淹れていた神聖魔法の魔石を取り出して、発動する。
ほんの少し痛みが和らいだ。その場しのぎだとしても構わないと、テルは診療所を出る。
―――先に帰るね。
その言葉だけを頼りにテルはボロボロの体に鞭を打って、村を歩く。
テルが外に出ると先ほどと打って変わって、賑やかさの欠片もなかった。
誰もが家に閉じこもったわけではないが、道行く人は顔の表情はどこか暗く、不安そうに小声で会話をしている。
「異能者狩りが起こってるらしい」
「物騒だ、あんな家燃やしてしまえばいい」
不穏な話し声が聞こえたが、テルにはあまり関係の深いことではないように思えて、気にせずに進む。
テルは小走りで移動するが、傍から見れば普通に歩くよりもずっと遅い。なので、テルが家につくのには随分と時間がかかった。
そして、不思議なことに家の前には人だかりができている。
「なんだ、これ……?」
目の前で起こっていることが理解できない。
家を取り囲む群衆。飛び交う怒声。そしてその中心にある燃える家。
テルたちの家が燃えている。
テルはこれが夢だと思って、何度も目を擦ったが、一向に目の前の景色が幻になってくれる様子はない。
どれだけ疑おうと、どれだけそうであれと願っても、テルとニアが住んでいた家が炎に包まれている。
周囲の人々は目が血走らせ、冷静さが失われていることが一目でわかる。家の消火活動に協力的である可能性は微塵もない。
言葉が出なかった。
燃えている。数か月間を過ごし、テルのほんの僅かな記憶と、いなくなった恩人との思い出が詰まった家が、業火に晒されている。
理解が追いつかない。
唾を飛ばしながら叫ぶ人たちの罵声と怒声が、怨嗟の声が穏やかだった丘を埋め尽くしている。
「魔女を殺せ」
魔女とは一体だれのことなのか、テルにはわからない。
「黒泥を殺せ」
黒泥と家が燃えていることになんの関係があるのかテルにはわからない。
「白髪の女を殺せ」
白髪の女。思い当たる人物が一人だけいる。純白の髪と深紅の瞳の少女。
ニア。
本来の目的だったのにも関わらず、無意識に思考を遠ざけたというのに、その名前が、ぐちゃぐちゃなテルの頭に理解を強要した。
村人の衆目を浴びる中、黒泥になってテルとセレスを救ったニア。テルたち三人はニアと黒泥事件に何の関りもないことを知っているが、村人はそうではない。
あの一幕を目撃した人たちがニアを諸悪の根源に仕立て上げ、そして、大勢の平和を願う村人たちがこの家に押しかけたのだ。
テルの全身が総毛立った。
―――先に帰るね。
「あ、ああ、あああああ、あああああああああああああ」
震えた声は、やがて絶叫に変わる。
視界が赤く染まっていく。思考が怒りで埋め尽くされていく。
美しい純白の髪の少女が、どんな炎より赤い瞳をもつ少女が、誰よりも自分に厳しく決して人に甘えようとしない孤独の少女が、あの燃えた建物のなかにいる。
一人残らず、殺してやる。
テルは叫んだ。叫んだはずだった。
しかし、出たのは大きなうめき声だけで、その怒りと殺意が、群衆の狂気に上塗りされることはなかった。
背後から組みつかれて、口を押さえつけられた。口腔内に指を押し込められたせいで、荒く息を吐き出すことしかできない。
突然のことに驚きと、邪魔をされた怒りが溢れ出て、指に思い切り歯を立てる。汗と血が混じったものが口に広がった。
「……っ」
指を噛まれた痛みで、小さく悲鳴が上がった。このまま噛み千切ってやろうとするテルだったが、首に腕を回されて、動脈を絞められる。
呼吸が止まり、頭に血が足りなくなって、顎の力を緩めると、
「少しは自分の頭で考えなさいよ」
耳元で、小さくも険しいセレスの声がした。
はっと息を飲むと、拘束から解放され、そのまま地面に膝を着いた。セレスもしゃがみ込み目線を同じくすると、テルの襟元を掴んだ。
「ここで暴れたら、次の標的が異能者のあんたになるってわからないの? 怒りに任せたって不幸な人が増えるだけよ」
「でも、ニアが」
「こいつらをぶっとばしたい気持ちは私も同じなんだから! ……だから堪えて」
体の力が抜けるのを自覚した。それを見たセレスはテルの襟から手を放す。
柱がちょうど燃え尽きたようで、大きな音を立てて建物が崩れ落ちた。小さな悲鳴もあがったが、それも熱狂で掻き消される。
ぱあっと空に上り、地面に落ちる前に燃え尽きる火花。テルは熱を失った目で舞い上がった火の粉の行方を追いかけていた。
すると、燃え尽きる間際に、見知った灰色のローブが視界の端に写り込んだ。被ったローブの隙間から覗き込んだのは、火を反射して僅かにオレンジがかった美しいシルクのような白い髪だ。
ニアだと、すぐにわかった。隣には知らない男が一人。なにかを口にしていたかと思えば、群衆から離れ、森のほうに歩いて行く。
気づけばテルはニアと男の歩いていった方向へ走り出していた。
「ちょっと」
セレスが呼び止めたが、テルの耳には届かなかった。
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