第2章18話 黒泥の正体

 ドールの振り回す大斧によって生まれる破壊音と瓦礫は、家と道路と賑わいがあった日常の風景を戦場に塗り替えていく。


 鎧を脱いだというのに自分の体に傷を負うことに一切の躊躇がない怪物は、テルとセレスの斬撃を受けながら一度として防御をしようとしなかった。それにも関わらず、僅かな消耗も感じさせないのは、ドールの肉体の特異性によるものだろう。


 斧を振り下ろし隙だらけのドールの足に、美しい剣筋を放つセレス。しかし、直後舌打ちを打つ。

 手ごたえもあった。確実に肉を切った。なのに、


「どうして何ともないように動いてるのよ!」


 顔を歪めたセレスが、追撃を躱しながら文句を叫ぶ。

 テルももう野次馬の目を気にしている暇はない、大量の武器を創っては攻撃をしかけるが、常にセレスと接近戦をしているドールに爆弾を使う訳にもいかず、かといって投擲による有効打はない。

 注意を僅かに逸らす程度のことしかできない自分がもどかしく、歯噛みする。


「嗜好ヲ変エヨウ」


 ドールの異音が響せると、自ら持っていた大斧を地面に突き立て、両手を掲げた。


「グッウゥゥッッ!」


 おぞましいうめき声をあげると、両掌からそれぞれ巨大な剣が生えててきて、それを握るとセレスのほうを向き直った。

 テルであれば取り回しに難儀しそうな大剣は、ドールにはちょうどいい大きさで、軽く振るうだけで絶大な暴力を生み出すことが想像に容易い。

 

「君ニハ才覚ガアリ、研鑽ヲ怠ラナイ。シカシ、生来ノ体力ノナサガ致命的ダ」


 一見アドバイスにも聞こえる弱点の指摘は、明確な殺害宣言であり、その証拠に本気を出したドールのまとう空気が変わった。


 受けていてはきっと崩される、ならば速攻で。直感で選択をしたセレスが大地を蹴ると同時に、テルは作り出した槍をドールに放つ。


 ナイフ以上の物量と濃密な魔力が込められた威力の槍はドールの首のあたりを貫通したが、ドールはものともせずにセレスの猛攻を受け止めた。

 

 テルの槍は押し出されるようにして、抜け落ちる。その最中、セレスとドールは互いの剣戟をぶつけあう。


 技量に関してはセレスに分がある。しかし、先ほどドールが口にしていたように、セレスは効き目のない攻撃で体力を消耗している。ドールの重い一撃によって戦況を覆されるのは、時間の問題だった。

 

 一秒一秒と立ち位置が変わる二人の鍔迫り合いは、ついにテルを傍観者へと追いやった。


「くそっ!」


 テルに目もくれないドールに、魔力を込めた剣を振るうために駈け出す。

 黒泥の鎧を纏っていたドールに有効だった攻撃は、序盤の爆発だけだった。しかし、それ以降、爆発を警戒してかセレスとの接近戦を徹底しているドール。

 新たに一撃を加えさせるなら、セレスを巻き込まない小規模な爆弾をドールの体内に爆破させることだけだと、爆弾付きナイフを左手に作り出した。


 僅かにセレスと視線が交わり、こちらの意図を汲んだように小さく頷く。

 体力が残っているうちにセレスが決定的な隙を生み出してくれるはず。

 短いながらに生まれた信頼関係で、そこまでの勝利への道のりを見出した。


 セレスは翻して巨剣を躱すと、ドールの振り下ろされた剣を踏みつけにし、そのまま逆側の腕に深く剣を切り込んだ。

 腕を切断とはいかないものの、確実にしばらくは機能不能に陥ったはずだ。そこをテルは見逃さない。

 懐に潜り込み、ナイフを突き立てようと踏み込んだそのとき、背後から鋭利ななにかが、テルの肉を抉り、貫いた。


 「うぁっ……!」


 振り向けば、ドールが地面に突き立てた大斧が、姿を半分だけ人型に変えて、テルの脇腹を切り裂いたのだ。

 激痛に気を失いそうになりながら、地面に倒れる。脇腹にできた浅い窪みから大量の血が流れていく。


 がきんっ、と大きな金属の衝撃音。

 咄嗟にセレスの方を見ると、激しい打ち合いの果て、細剣が勢いよく弾かれていた。セレスは丸腰で万歳をしたような体勢になり、ガードもなにもない腹にドールの蹴りが直撃した。


 声にならない悲鳴をあげて、後方の壁に勢いよく叩きつけられたセレスは、口から胃液と血が混ざったものが吐き出される。


「若イガ良キ戦士デアッタ。ココデ失ウニハ惜シイガ、是非モアルマイ」


 冷徹に言い放ったドールが剣を振りかざす。セレスはもはや顔を上げることさえままならない。


 野次馬たちが騒めきと悲鳴が押し寄せるように響く。テルは声をあげようと、腹に力を込める。しかし、血が吐き出されるばっかりで、肝心の「やめろ」という声がまるで出せない。


 群衆のどよめきがピークに達する。まるで公開処刑を見せつけられているようで、人々の緊張感の高まりは、打破できない現状を決定づけるようだ。


 ドールが無情にも剣を振り下ろすと、黒い液体が辺りに飛び散った。


「……え?」


 困惑の声を漏らしたのはセレスだった。

 命を断ち切る剣が、セレスに届くことはなく、何者かがその間に割って入って庇ったのだ。


 しかし、歓声は上がらない。むしろ、「ひぃっ」と引くような悲鳴が聞こえる。それもそのはずだ。


 黒い液体を飛び散らせて、ドールの剣を受け止めたのは、紛れもなく黒泥だったのだから。


「……ッ!?」


 黒泥は液状の体躯を腕のように伸ばすと、困惑するドールの首を巻き取って、その巨体を宙に浮かせた。

 じゅっ、という焼いたような音と煙があがり、ドールは足をもがくようにじたばたと動かす。必死になって両手の剣で粘度のある黒い液体を切り離そうとするが、剣は触れた途端に溶けて何のやくにも立たない。


 やがてドールの堪えるようなうめき声は、明確な悲鳴になって響いたと思うと、そのまま宙に投げ捨てられ、間延びした滞空時間のあとに重々しい音を立てて地面に落ちた。


 肩を上下に揺らし、ゆっくりを体を起こす怪物は、口元に笑みらしきしわを浮かべている。黒泥に愉快そうな表情を向け、しばらく互いに視線を交差させると、大きく跳躍し、その場から逃げていった。


 静けさが辺りを襲った。残されたのは離れた場所にいる群衆と、虫の息のテルとセレス。そして新たに現れた黒泥。

 次の展開が全く予想できず、誰もが息を飲んで行く末を見守っている。


 すると、黒泥の黒い液体が体積を減らしていく。

 排水溝に水が流れていくように、大地が水溜まりを吸い上げるように、やがて全ての黒い液体が消え去った。


「は?」


「どう、して……?」


 テルとセレスの、疑問と混乱の声が上がる。


 黒泥が完全に消えたあとで、その場所に残ったのは、物憂げに視線を落とすニアだった。


「なんで、ニアが……?」


 テルとセレスが次々に湧き出る疑問に、純白の少女はなにも応じず、ただ俯いている。


 不思議とニアは体のどこも濡れておらず、ドールと戦ったというのに髪の毛一本さえ乱れていない。

 ただ何事もなかったように佇むニアは、不自然で、美しくて、どこか恐ろしかった。


 理解不能の出来事を前に、野次馬のざわめきがまた大きくなる。奇奇怪怪な喋る怪物を圧倒的な力で退けたのが黒泥であり、その黒泥の正体がまだあどけなさが残る少女なのだから、当然の反応といえる。


 ニアはセレスに歩み寄ると、肩に触れた。


 嫌な風が吹いたと思うと、セレスは嘔吐しているのがわかった。口に残った血も混ざっていて大量の吐血をしているようにも見えた。


 なので、悲鳴が上がるのも仕方のないことだったのかもしれない。

 きっと大半の人がニアがセレスを殺したように思ったのだろう。しかし、テルはあれが治癒行為であることを知っていた。


 ニアがテルに振り返ったとき、村人の一人が声を上げた。


「やめろ! それ以上の勝手は許さないぞ!」


 勇気ある男がテルの命を守るためにニアとテルの間に立ち塞がった。


 きっと碌に剣を振ったことのなさそうな善良そうな細々とした体格の青年だ。すると、それを皮切りに黒泥の暴挙を食い止めようとする声が次々にあがり、ニアを弾劾する。


「ちが、ニアはなにも……」


 喉にへばりつく血液に抗って必死に声を上げるが、高ぶった人たちには聞こえない。


 ニアは表情を変えずに一歩、後ろに引き下がると、降ろしていたフードを深く被った。


「まって。ニ、ア……」


 薄れる意識のなか、必死に手を伸ばす。 

 きっと誰も、テルとニアが互いを見つめあっているとは思わないだろう。

 そして、明確にニアの視線を受けていたテルは、


「ごめん、テル。先に帰るね」


 泣きそうなニアの声を確かに聞いた。

 再会が判り切った別れの言葉。それなのにどうして、もう会えないかもしれないと思ってしまうのだろう


 たった一言だけ告げ、ニアはそのまま村の外へと走っていく。決して追いつけない速度ではない。しかし、村人は誰一人としてそのあとを追わない。


 叫びたい言葉が洪水のように押し寄せた。それでもたった一文字も言えないまま意識は削ぎ落されていく。

 テルの脳裏には、ニアの悲しそうに浮かべた笑顔が頭から離れないまま、悔恨を抱え気を失った。

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